毎日新聞 迫真の非正規雇用の現状ルポ

毎日新聞 11月4日大阪朝刊 シリーズ「日本の足元」第7回

派遣「期限3年」で再び請負 「使い捨て」脱せぬ

 高い能力や専門技術を持つ労働者が会社の枠に縛られず柔軟に働くことができる、との名目で導入された労働者派遣制度。相次ぐ規制緩和によって派遣などの非正規雇用は拡大の一途をたどり、今や全労働者の3人に1人が非正規労働者となった。しかし企業側が正社員を非正規労働者に替える本当の目的は人件費削減だ。その結果、低賃金や不安定な雇用に苦しむワーキングプア(働く貧困層)が急増した−−。シリーズ「日本の足元」第7回は、ものづくりの現場から「非正規雇用」の現状を追う。【日野行介、樋口岳大】

 ◇「正規化」求め訴え
 琵琶湖に注ぐ野洲川沿いに開けた滋賀県湖南市。住宅地と水田が混在するこの地域でここ数年、日系外国人の住民が増加している。個人加盟の労働組合「武庫川ユニオン」(兵庫県尼崎市)は06年8月からここで毎月1回、外国人労働者対象の相談会を開く。異国の地で頼りにする人も少ない外国人労働者たちに口コミで広がり、毎回20〜30人が訪れる。

 近くの自動車や機械関係の工場に勤める日系外国人は大半が派遣労働者だ。メーカーが派遣会社との契約を打ち切れば、職を失う。メーカーからすれば景気次第で人員を調整するのに都合が良いが、労働者には常に失業の不安がつきまとう。

 「来年3月で派遣期限の3年を迎えるが、その後どうなるか分からない」。9月21日にあった相談会で、日系ブラジル人の男性(27)が同ユニオンの小西純一郎書記長(55)に失業の不安を訴えた。日系人労働者たちの相談内容は有給休暇や残業代の不払いなどが多い。しかし話をよく聞くと、相談に来る人の多くが09年に派遣期限を迎える労働者であることに小西書記長は気づいた。「それ以降彼らがどうなるのか分からない。大変な問題が起きている」と言う。

   ◇

 バブル経済崩壊後の90年代、日本のメーカーは人件費削減のため正社員を減らした。浮いた仕事は表向き外部発注(請負)にされたはずだったが、実際には、メーカー側が作業を指示する「派遣」と同様の扱いでカバーされた。違法行為の「偽装請負」である。04年まで製造業は派遣労働者の受け入れを禁止されていたからだ。偽装請負では、期限なく安い賃金で働かせ続けることもできる。利益だけを求めたいメーカーにとってメリットばかりだった。

 06年になって、松下電器産業(現パナソニック)やキヤノンなど日本を代表する巨大メーカーによる偽装請負が次々と発覚した。その結果、メーカー側は労働者の身分を請負から「派遣」や「有期の直接雇用(期間工)」に切り替え、待遇をほとんど変えないまま違法状態を形式的に解消した。だが契約期間に上限のない請負と違い、派遣や有期雇用の期限は3年まで。3年を超えて派遣を受け入れたい場合、メーカーは派遣労働者に直接雇用を申し込む義務が生じる。06年に請負を派遣に切り替えたメーカーが多いことから、多くの労働者が09年に一斉に派遣期限を迎える。これが「09年問題」である。

   ◇

 長期間にわたって同じ製造現場で働く中、熟練した技術を身につけ、職場に欠かせない存在になる非正規労働者は少なくない。しかし日本のメーカーはそれでも正社員にはせず、非正規にとどめたまま働かせようと模索を続けている。

 三重県鈴鹿市の機械部品加工メーカーで派遣労働者として働いていた日系ブラジル人、平出・エリザベテ・ヒトミさん(43)。今年3月、メーカーから「4月から3カ月間だけ期間工にするが、その後また派遣に戻す」と告げられた。平出さんは不審に思い、個人加盟の労働組合に相談。非正規にとどめたまま働かせる手法であることを知った。

 派遣労働者はあくまで「一時的・臨時的」とされ、厚生労働省は3年間の派遣期間終了後、再び派遣労働者を受け入れるまでに3カ月を経過していない場合は「継続派遣」とみなす。これを逆手に取り、3カ月余り期間工として直接雇用し、再び派遣労働者に戻す手法がメーカーの間で横行している。

 平出さんが派遣労働者に戻ることを嫌がると、期間工としての雇用期限が終わった後、新たな契約はされなかった。職を失った平出さんは10月、正社員としての地位確認などをメーカーに求めて提訴した。「人をばかにしている」と憤る。

 厚労省は今年9月、こうした手口について、派遣会社と派遣先があらかじめ派遣に戻すことを合意している場合などを違法と判断し、厳しく是正指導するよう各労働局に通達を出した。

   ◇

 三菱重工業高砂製作所(兵庫県高砂市)は09年4月以降、派遣期限を迎える数百人の労働者を基本的に再度請負に戻す方針だ。同製作所は06年4月に非正規労働者を請負から派遣に切り替えている。

 00年5月から請負、派遣として働いてきた同県加古川市の圓山(まるやま)浩典さん(46)は8年半、一貫して発電用ガスタービンの金属部品をつなぎ合わせる作業を担当してきた。熟練した技術には自信があり、正社員に教えることもある。圓山さんは「なぜ請負に戻されるのか理解できない。使い捨てにされるのが怖い。正社員になって安心して働きたいのに」と話す。

 圓山さんは「請負に戻すと言っても、職場では正社員と派遣が混在している。『請負会社の職場』と『三菱重工業の職場』に分けるのは不可能だ。以前の偽装請負状態に戻るしかない」と言う。圓山さんは今月6日、同製作所に対し、正社員として直接雇用するよう申し入れる。

 同製作所のように、同じ業務で派遣と請負か期間工を繰り返すケースについて、厚労省の通達は「法の趣旨に反する」と問題があることを認める。だが、「直ちに法違反とはならない」と、厳しく取り締まる姿勢は示していない。

 派遣ユニオンの関根秀一郎書記長は「09年問題は企業のエゴが招いた結果だ。日本のメーカーは法律の趣旨に反して派遣労働者を正社員の代用(常用代替)にしてきた。そのまま働かせ続けたいなら正社員にしたらいいのに、今になっても逃れる方法ばかり考えている。企業は派遣を適正な請負にすると言うが、派遣会社に適正な請負を担うだけの設備や技術はなく、偽装請負に戻るだけだ」と指摘する。

 ◇求人より少ない月収、作った新製品買えず−−家電メーカーに派遣された男性
 今年9月上旬、大手家電メーカーがブルーレイディスクレコーダーの新製品CM発表会を東京都内で開いた。ブルーレイは国内家電メーカーが激しい商戦を繰り広げる目玉製品。CMに起用される人気女優も出席する華やかな発表会だった。大阪府内の30代男性は今夏、派遣労働者としてこの新製品の製造に携わった。発表会の模様を伝えるテレビニュースを見ながら、「買う気になんてなれない。そもそも買えない」とつぶやいた。

 男性は7月中旬、求人広告誌で「レコーダー組み立ての軽作業」と書かれた求人広告を見つけた。条件は「時給1000円、月収18万円以上可」。期間は8月末までの1カ月半。募集元は最大手の製造業派遣会社だったが、メーカー名の記載はなかった。男性は派遣先の工場が自宅から近く、賃金も比較的良いと感じて応募した。

 しかし、面接で派遣会社から提示された実際の労働条件は広告とかけ離れていた。8月は工場全体に10日間の盆休みがあり、実質的に働くのは15日間。残業や休日出勤をしなければ月収は12万円程度しかならない。さらに作業服のレンタル代が5000円。派遣会社が用意する寮に住む場合は1人5万円の家賃がかかる。光熱費も給料から天引きされる。男性は不信感を覚えたが、また仕事を探すのも疲れると思い、仕方なく契約した。

 同じ派遣会社から大阪府内のレコーダーの製造現場に派遣された労働者は約130人。大半が30〜40代の男性だった。男性が製造ラインに入ると、ラインはすべて派遣労働者で占められ、違う作業服を着たメーカーの正社員は1人もラインに入っていなかった。正社員はラインの後ろを歩いて回りながら、ストップウオッチを手に工程を管理し、完成した製品を最終チェックしていた。短時間だけ働くパートやアルバイトはラインにはいない。「ラインが動いている途中に抜けられたら困るから」と正社員から説明された。

 男性の仕事はレコーダーのフレームをネジで締める単純作業だった。電動ドライバーでネジ4本を手早く締め、フレームを隣の労働者に手渡す。ラインが滞らないよう、作業を25秒以内に終えなければ、後ろにいる正社員から「早くやれ」とせき立てられた。

 7月下旬、製造機械の不具合が続き、ラインの停止時間が長く続いた。正社員たちは次第に「これじゃあ間に合わない」といら立ちを募らせていた。8月末までの製造目標台数には届かなかった様子で、派遣労働者の契約期間も9月以降に延長された。男性は「私たちの都合なんて全く考えてないんだ」と感じ、延長はしなかった。使った作業服はクリーニングして返すよう派遣会社から求められた。「レンタル代を5000円も取っておいてクリーニングまで要求される。人をばかにしている」

 男性が1カ月半の労働で得た賃金は約19万円。大半は生活費に消えた。一方、男性が作った新製品は1台15万〜30万円だった。

 ◇「名ばかりの改正」 規制強化案に関係者ら失望
 労働者派遣に関し一貫して規制緩和の方針を取り続けてきた厚生労働省は、労働者派遣法を初めて規制強化する改正案を今国会に提出する予定だ。改正案の原案は、特に違法派遣や低賃金が問題とされた日雇い派遣の原則禁止などを盛り込む。だが、非正規拡大で利益を上げてきた派遣先企業に対する規制の強化は打ち出していない。関係者の間では「名ばかりの改正だ」と失望感が広がっている。

 日雇い派遣は、労働者が派遣会社に登録し、派遣先の紹介を受ける登録型派遣の一種。これまで主に運送や倉庫会社などが単純作業に利用してきた。派遣先の仕事がないと賃金は支払われず、雇用は不安定だ。改正案は「専門性が高く、労働者保護に問題がない業務」として通訳など18業務に限って日雇い派遣を認め、それ以外を禁止する。

 しかし禁止するのはあくまで労働者と派遣会社との契約で、派遣会社と派遣先の契約に制限はない。そのため、派遣会社が労働者と30日以上の短期契約を結び、期間内にさまざまな企業に派遣することは法的に可能。派遣先企業にとっては実質的に従来と変わらない形で派遣労働者を利用できる。また週30時間以上2カ月を超えて働く従業員は健康保険、厚生年金に加入を義務づけられているが、改正案は加入に伴う負担から派遣会社が逃れる余地を残している。

 偽装請負状態が長く続いたり、派遣期限を超えているなど労働者が違法状態に置かれている場合、労働者側はこれまで、直接の安定雇用を原則とする労働法の趣旨にのっとり、派遣先企業と労働者の間に直接の雇用契約が自動的に成立しているとみなすよう主張してきた。偽装請負で働いていた男性労働者がパナソニックの子会社に対して解雇無効を求めた訴訟の大阪高裁判決(今年4月)も、男性労働者の主張を認め、パナソニック子会社と男性には直接の雇用契約が成立していると指摘した。しかし改正案は、こうした「みなし雇用」の考え方を否定し、行政が派遣先に直接雇用を勧告できる規定を盛り込む方針だ。これだと労働者が偽装請負や違法派遣を告発しても、直接雇用が実現するかは行政の裁量に委ねられる。

 非正規労働者の問題に詳しい村田浩治弁護士(大阪弁護士会)は「改正案は日雇い派遣問題に矮小(わいしょう)化された内容。企業が本来負うべき責任を逃れていることが問題の本質なのにまったく改めていない。だまされてはいけない」と厳しく指摘する。

 ◇派遣労働者321万人 業界売り上げ5.4兆円−−06年度
 総務省統計局の労働力調査によると、アルバイトや派遣労働者など非正規労働者は07年平均で約1732万人。役員を除く雇用労働者全体(約5174万人)の約33%を占める。今や労働者の3人に1人が非正規労働者だ。

 調査結果をさかのぼると、94年2月には雇用労働者全体(約4776万人)のうち正社員は約3805万人。一方の非正規労働者は1000万人以下で、全体の約20%に過ぎない。その後、正社員数が約360万人減少した一方で、非正規労働者数は急増した。特に派遣労働者数は、厚生労働省がとりまとめた06年度の「労働者派遣事業報告」によると約321万人に達している。

 派遣労働者の増加に伴い、派遣会社数も急増している。厚労省によると、派遣会社の事業所数は約1万4500カ所(00年度)から5万1540カ所(06年度)と、わずか6年間で3・5倍に。派遣業界全体の年間売上高も約5・4兆円(06年度)に上る。これは国内最大の電力会社「東京電力」とほぼ同じ規模になる。

 企業が正社員を減らす一方で非正規労働者を増やす目的は人件費の削減に他ならない。一般に正社員1人を派遣労働者に切り替えると社会保険の負担も含めて年間300万円の人件費を削減できるとされる。

 関西大学経済学部の森岡孝二教授(企業社会論)が総務省の就業構造基本調査を分析したところ、97年から07年までの10年間で、年間300万円未満の収入しか受け取っていない労働者の割合は約45%から約52%に拡大した。また07年の調査結果に基づくと、非正規労働者の約65%は年間200万円未満の収入しか受け取っていないという結果が出た。一連のデータからは、非正規労働者の増加が社会全体の貧困が進む一因となることが裏付けられている。

 ◇年金納付率が低下 20兆円追加負担も
 低賃金で雇用が不安定な非正規労働者の急増は、年金制度にも大きな影響を与えている。05年の社会保険庁の国民年金被保険者実態調査によると、国民年金だけに加入する「第1号被保険者」の総数は約1896万人で、99年に比べて約244万人増加。また滞納者数も約482万人で約217万人増加した。

 一方の納付率は約74・5%(99年度)から67・1%(05年度)に低下した。1号被保険者の就業割合を見ると、非正規労働者が16・6%から24・9%に急増しており、非正規労働者の増加が納付率低下につながったことがうかがえる。

 将来、特に問題になりそうなのが、バブル経済が崩壊した後の93〜02年ごろに高校や大学を卒業した現在30〜40歳くらいの世代、いわゆる「ロストジェネレーション」だ。就職氷河期に直面したため正社員としての就職口が少なく、非正規労働者が急増した。

 民間シンクタンク「総合研究開発機構」(東京都)は今年4月、ロストジェネレーションの老後について衝撃的な試算を公表。インターネット上などで大きな話題を呼んだ。

 総務省の就業構造基本調査を基にしたこの試算によると、約1887万人いるこの世代では、前の世代に比べて非正規労働者と無職者が約192万人増加した。うち少なくとも約77・4万人が年金を払えないまま老後に生活保護を受けると推定。2030年代半ば以降、前の世代に比べて年間約8000億円、累計で約17・7兆〜19・3兆円の生活保護費の追加負担が必要になると算出している。

 試算をまとめた同機構の辻明子リサーチフェロー(36)は「非正規労働者を増やした付けは生活保護費の増加という形で社会にはね返ってくる」と話す。

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 ◆非正規雇用拡大の経過表◆

86年 7月 労働者派遣法施行。当初は通訳やソフトウエアなど専門的な13業務に限定(後に16業務)。派遣期間の上限は9カ月〜1年

96年12月 同法改正で対象業務にアナウンサーや商品・広告デザインなどを追加して26業務に拡大

99年12月 同法改正で製造業や医療などを除いて派遣対象を原則自由化

00年12月 派遣先が事前面接できる紹介予定派遣を導入

01年 6月 労働分野での規制緩和をさらに進める骨太の方針を閣議決定

04年 1月 労働基準法改正で、有期労働契約を3〜5年に拡大

04年 3月 派遣法改正で派遣期間の上限を1年から3年に拡大。製造業への派遣を解禁(当初は上限1年)

06年    製造業で偽装請負の問題が次々と表面化。派遣や期間工への切り替えが進む。同年3月以降に切り替えた場合は上限が3年

毎日新聞 2008年11月4日 大阪朝刊

 

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