【朝日新聞】ライフ > 医療・健康 > 患者を生きる 2012.9.6
「こんなに頑張ってるのに、なんでわかってくれへん……」 滋賀県の幼稚園教諭の女性(44)は2006年、担任の年少のクラスで、毎日のように起こる問題に追われていた。男の子が別の子に手を上げたり、かみついたり。そのたびに、親に謝って回ったが、「先生は、悪い子をかばうんですか!」。
翌年4月、体に障害がある女の子の受け持ちになった。こまやかな支援が必要と考え、園長に話したが、「自分で考えなさい」と言われた。
「この子は、自分が守らなければ」。そう思うほど空回りし、どうすることもできない絶望感が膨らんだ。教諭になって14年目。頼りにされる立場となり、誰にも「つらい」と言えなかった。
6月のある朝、目が覚めると、仕事に向かう気持ちがもうどこにも残っていなかった。小学4年生だった長女(15)を学校に送り出し、長男(9)を保育園に預けたあと、近くの総合病院の心療内科を受診した。
医師に話をしながら、涙がボロボロ止まらなかった。その場でうつと診断され、「3カ月の自宅療養を要する」と書かれた診断書を手渡された。「えっ、私が『うつ』のわけないやん」。途方に暮れた。
15歳の時に卵巣腫瘍(しゅよう)になり、片方の卵巣を摘出。抗がん剤治療で髪の毛は抜け、かつらで高校へ通った。「将来、子どもが産めないかもしれない」と覚悟し、子どもと関わる仕事をすることは、その時からの夢だった。それなのに、幼稚園生活に慣れ
たばかりの30人の子どもたちに別れも告げず、クラスを投げ出してしまった。考えただけで、胸が苦しい。
抗うつ薬をのむと、一日中眠気に襲われた。食欲がわかず、体重は3キロ落ちた。2人の子どもたちを送り出したあとは、雨戸を閉めて布団に潜り込んだ。
大好きだった花を見ても、きれいと思えない。人の目が怖くて、家に閉じこもった。料理の段取りができなくなり、近くに住む母に家事を手伝ってもらった。子どもの前では元気そうに振る舞ったが、寝静まったのを確認してから毎晩、1人で泣いた。
「このまま、死ねたらいいのに……」(佐藤建仁)