突然リストラ「強く生きろ…」と課長苦笑い 生活限界の貧困シングルマザー

Sankei Biz 2012.11.18
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 定年後は「晴耕雨読」「悠々自適」……。そんな夢を打ち砕くのが「リストラ」だ。現在、リストラは実際どのように行われているのか。そしてリストラに遭ったら、老後をどう過ごせばいいのだろうか。

 「私には、小学生や中学生の子どもが3人います。これからどのようにして生きていけばいいのですか……」

 「強く生きていけ……」

 総務課長は苦笑いしながら繰り返した。

 伊藤直子さん(仮名・41歳)は昨年5月、社長と総務課長から呼び出され、「今月末で辞めるように」と言われた。突然の、退職勧告である。全身の力が瞬く間に抜けていく。とっさに子どもたちの顔が浮かんだ。かすかな力を振り絞り、今後のことを尋ねた。

 総務課長が苦笑いをしながら、「強く生きろ」と繰り返す。その言葉を聞くと、悔し涙が落ちた。社長らは、労働契約を解除する理由を告げなかった。それどころか、「辞表を書くように」と何度も促した。

 
 伊藤さんは、それをかろうじて拒んだ。安易に辞めることはできない事情があった。6年ほど前に離婚し、いまは3人の子どもを抱え、シングルマザーとして働く。事務職の正社員としてフルタイム(残業は月20時間ほど)で働く毎月の給与は、手取りで約19万円。年収は300万円に満たない。国から支給される児童扶養手当を含めてやりくりをするが、生活は苦しい。

 この会社には、4年前にハローワークの紹介で中途採用試験を経て入社した。それより前の一時期は生活保護を受けることも考えた。

 「ハンディがある私を採用してくれたことに感謝していた。だから、仕事はベストを尽くしていた」。

 仕事上の大きなミスもなければ、上司とぶつかったこともない。考え抜いたが、辞めざるをえない理由が見つけられない。放心状態の母親を中学2年の長男が気づかう。「何か、悪いことをしたの?」。下の、小学生の子ども2人は重いぜんそくなどで苦しむ

 風向きが変わったのは、伊藤さんが入社したときの社長が赤字の責任を取らされ、辞任に追い込まれたことだった。2カ月後、伊藤さんを含む20人近くの正社員が退職勧告を受けた。そのほとんどが「辞めさせられる理由がわからない」と漏らしている。しかも、会社から退職金が支給されることもなければ、再就職に向けての支援もない。

 伊藤さんは、この顔ぶれを知って思い当たることがあった。「おとなしい性格の人とか、私のように負い目を持って生きている人が多いように思えた」。

 会社が辞めさせる社員を選ぶ際に、抵抗することなく、すんなりと辞表を出すタイプがリストに挙がることはよくあることだ。特に正社員の場合は、退職強要や解雇を不服として争うと、会社のほうが不利になる可能性がある。穏便に済ますために辞表を出すように仕向ける。

 会社は創業40年を超え、社員は正社員が90人ほど。リーマン・ショックの影響により、業績は急速に悪化。経費削減はもちろん、役員報酬や管理職らの賃金カットを行った。だが、回復のきざしは見えない。いつか人員削減があるだろうと噂はされていた。

20人ほどのうち半数近くの社員が辞表を書くことをしなかった。「期限」である5月末になると、社長は伊藤さんらを「整理解雇」とした。解雇の理由は、通知書に書かれていなかった。解雇には、懲戒・整理・普通と3種類あり、いずれも証拠や根拠が必要となる。特に整理解雇は、いくつもの要件を満たすことが求められる。

 伊藤さんは、このときに会社に異議申し立てをする覚悟ができた。解雇になった同僚らと労働組合のユニオンに相談に出向き、会社と団体交渉を行った。ところが、社長はその場に現れない。「会社代表」として出てきた総務課長は、「自分は、(解雇の理由などは)わからない」とかわす。その態度にしびれを切らし、裁判に訴えた。

 数カ月の後、和解となる。会社が一定の和解金を支払うことになった。その額は、給与の数カ月分ほど。社長は法廷に現れたが、謝罪はしなかった。伊藤さんは言う。「お金のために争ったわけではない。納得のいく理由を説明してもらいたかった」。

 解雇になった後の数カ月間は収入がなかったが、知人の紹介で新たな会社で働くことができるようになった。パート社員(非正社員)として給与は月に10万円ほど。年収は150万円に達しない。子どものこともあり、短い時間しか働くことができない。

 「生活は苦しく、限界に近い。だが、ハンディをいくつも抱える私をいまの社長は“誰でもそのような時期はある”と雇ってくれた。恩返しをしたい。子どもたちのためにも……」

 最後に見せたのが、母親の顔だった。(吉田典史=取材・文)

 

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