2013/09/24 朝日新聞 朝刊
この5年、気持ちは焦るのに状況は変わらない。時折、生きている意味もわからなくなる。東京都内の1Kのアパートで暮らす30代の男性は、生活保護を受けながら仕事を探し続ける。昼はハローワークに通い、夜はスーパーのタイムセールで半額の弁当を買い、ひとり食べる。
「仕事を失えば住むところも追われる派遣は二度としたくない」。正社員にこだわるが現実は厳しい。面接にのぞんでは落とされる。知人のすすめで病院に行くと、うつ病だった。
2020年の東京五輪の開催決定にも、素直に喜べない。景気も上向き加減だが、「しょせん不安定な仕事ばかり。ちゃんとした生活にはつながらない」。思いをめぐらすと、「派遣切り」され、派遣村にたどりついた記憶がよみがえる。
「次の更新はありません。退寮してください」。08年11月末、トヨタ自動車の関連工場(愛知県)で派遣社員として働いていた時、派遣元からつげられた。半年の契約を10回ほど更新し、新人教育も任されていたのに突然だった。世界的金融危機につながったリーマン・ショックの2カ月後だった。
寝泊まりしたネットカフェで、液晶パネルをつくるシャープの亀山工場(三重県)での仕事を見つけた。だが、そこも数週間で派遣切りに。それから不安定な生活から抜け出せない。
「都会で仕事を見つけよう」。その年の暮れ、男性は全財産5万円をもって夜行バスで東京に向かった。だが、仕事はなかった。「路上生活者になるのか」。途方に暮れていると、ボランティア団体などが年末年始に「年越し派遣村」をつくることを知った。
危機後に5・5%まで悪化した失業率は3・8%に改善。アベノミクスによる株高や円安で企業業績も良くなった。だが、海外生産は加速。雇用の場がなくなる一方で、企業は正社員の雇いすぎをおそれたまま。派遣社員を含む非正規社員全体の数は膨らみ続け、いまや国内の働き手の3人に1人が非正規になった。
派遣村はもうないが、かつて運営に携わった首都圏青年ユニオン青年非正規労働センターの河添誠(かわぞえまこと)事務局長は「当時の課題はほとんど解決されていない」と語る。(高橋末菜)
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2008年末 東京・日比谷公園にできた「年越し派遣村」。入村窓口に行列ができた
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非正社員数と働く人に占める非正社員の割合
残業月100時間、正社員は命を絶った リーマン・ショック5年
2008年暮れ、男性がたどり着いた日比谷公園の「年越し派遣村」には、同じような職探しの人たちがたくさんいた。支援者に勧められ、生活保護を申請し、アパートに入居した。
男性はこれまで50社近く面接を受けたが、正社員の仕事は見つかっていない。
今月、「精神障害者3級」の認定を受け、障害者手帳を手にした。今夏から企業の障害者の雇用義務の枠組みに精神障害者が加わったからだ。「自分を受け入れてくれる会社を探そう」。気持ちを新たにIT企業の面接に臨むが、障害者枠の募集1人に対し応募者が10人。競争は厳しい。
神奈川県の50代男性も09年初め、自動車部品工場で「派遣切り」にあった。今は生活保護を受けて暮らす。生活を切りつめ、電気工事士などの資格をとったが、面接で「実務経験は?」と聞かれ、ことごとく落とされた。「やっぱり正社員になりたい」。男性は今年春、公共施設で雑用仕事をはじめた。1年契約で交通費も自前だが、「実務経験」につなげるためだ。
リーマン・ショックは正社員の働き方も変えた。
「幸せに出来なくてごめんなさい」。埼玉県の男性(当時48)は11年1月、妻(51)あての遺書にこう残して命をたった。
08年冬、勤めていた東京都内の建材会社が経営難に陥った。3カ月分の給料150万円は不払いになり、退職。住宅ローンや子ども2人の養育費をまかなうため、家族に内緒で金融機関から200万円借りた。
転職先の中堅住宅メーカーは基本給が残業代込みで月約20万円。営業はマイカー、ガソリン代も携帯電話代も自腹だ。子どもは高校と大学に進み、借金返済どころか生活は厳しくなった。成績に応じた手当をもらおうと、午前4時半に起きて見積書を作り、帰宅は翌日午前1時。残業は多いと月100時間を超えた。
亡くなる1カ月ほど前から、帰宅後も思い詰めた表情でソファに座りこむ姿を妻は見ている。過労でうつ病になり自殺したとして、千葉労働局に労災の認定を求めている。「私たちの人生は5年前に暗転してしまった」と妻は話す。
関西大学の森岡孝二教授は「雇用不安を背景に、人を安く使い切る『ブラック企業』が増えた。正社員の労働環境も底がぬけたようになった」と話す。
企業はリーマン・ショック前から正社員を約100万人減らした。正社員でも、安い給料で使い捨てられるケースが少なくない。
■変わる雇用形態
安倍政権の成長戦略では、雇用維持型の政策を改め、労働移動支援型の政策に転換する。政権は今後、社員を雇い続ける企業を支援する「雇用調整助成金」を減らし、職業紹介会社を通じ社員を再就職させた企業に支給する「労働移動支援助成金」を増やす。
人口減少社会で生産性をあげるには、高成長分野への人の移動が必要なのは確かだ。この狙いの延長で、職種や勤務地を限った「限定正社員」の拡充や、「解雇しやすい特区」などの議論も進む。「正社員」の意味は今とは大きく様変わりしそうだ。(伊沢友之、牧内昇平)
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神奈川県の50代男性も生活保護を受けながら職を探す。「少しでも就職に有利になればいい」と、資格試験に向け自宅で勉強する=21日、神奈川県内、内田光撮影