「月350時間」想像以上だった“ブラック度” 元居酒屋店長の告白

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産経新聞 2013年12月26日(木)

「月350時間」想像以上だった“ブラック度” 元居酒屋店長の告白

「店の売り上げを伸ばすためにあらゆる手を尽くしたが、どうにもならなかった」と語る元店長の田牧氏(左)。アルバイト店員と「地獄の日々」を振り返る=都内(写真:産経新聞)

 「もう、限界だ」−。就職戦線に遅れを取った田牧幸一郎(24)=仮名=は首都圏の大学を卒業後、バイト先の縁で居酒屋の店長になった。しかし、わずか半年で音をあげた。生きる気力を失い、仕事へのモチベーションは限りなくゼロに近かった。「居酒屋という業態が(過酷な労働を強いる)ブラックという噂は聞いていたが、実態は想像以上」。まる1カ月間、休みなし。月350時間という異常な労働時間が引き金となって「店長」の肩書きと決別した。

 ■開店1カ月の「悪夢」

 都心から電車で40分。高度経済成長期に開発が進んだ人口約10万人のベッドタウンに店はあった。駅前周辺には昔ながらの飲み屋やスナックが多く、「地域密着」の土地柄が感じられた。

 大阪に本店を置く居酒屋チェーンがオープンしたのは5月のこと。常連客でにぎわう繁華街の地域性とは裏腹に、客の反応はよかった。「開店から3日間は串揚げに使うクシが足りなくなるほど、まともな営業ができなかった。深夜1時の閉店まで満席状態。サラリーマンだけでなく家族連れも多く、大阪の食いもんが関東で受け入れられた」。田牧は店長としてやりがいを感じた。

 開店当初、一日の売り上げは50万円を超えた。全国の店舗の中でも上位に入った。しかし、1カ月もしないうちに客はみるみる離れ、行きつけの馴染みの店に戻っていったという。

 ■労働時間の改ざん要求

 当初は固定給だった。残業時間にかかわらず20万円そこそこの給料は一定。客足が遠のくほど、残業はキツく感じられた。客が来ないと分かっていても、厨房に入って下準備をして客の来店を待った。「売り上げ目標を立てても、現実的な解決方法が見えてこなかった」

 毎日、午後2時過ぎには店に入り、片付けを終えて店を出るのは深夜2時。労働時間は多いときで月350時間に達した。「実働が300時間を超えると、本社から『こんなに多いのか』とケチをつけられ、勤務時間の書き換えは日常茶飯事で行われた。休憩がまったく取得できなくても、『勤務表には休憩時間をきちんと付けとけよ』とクギを刺された」

 営業成績が低迷していると、本社の幹部社員が来店し、24歳の新米店長を厳しく指導した。「営業のやり方が悪いんだ」「接客を工夫しろ」「もっと常連客を作れ」「客と親しくなって売り上げを伸ばせ」…。収益悪化の要因は、店長の資質にあるかのように叱責された。

 日曜の午前、常連客が勤める会社のソフトボールの試合に参加したことがあった。居酒屋の店長が勤務前に客のプライベートにつき合う。抵抗はあったが、「営業成績が少しでもよくなれば」と寝る時間を削ってつきあった。しかし、現実は甘くなかった。

 ■客いなくても「営業中」

 8月、大型台風が関東に上陸した夜のことだ。当然のように、客はだれ一人、いなかった。聞こえてくるのは雨と風の音だけ。そんな最悪の日に限って、本社の幹部社員が応援に来ていた。「こんな夜は店を早く閉めればいいのに…」。しかし、自分から言い出せるような雰囲気ではなかった。「あの夜は、かなり気まずかった」と振り返る。

 転職サイトを運営する「リブセンス」が転職経験者を対象に行った調査によると、「ブラック企業」と判断する指標で最も多かった回答は残業時間。以下待遇、社風、人間関係の順。また、転職理由で最も多いのも「残業が多い・休日が少ない」だった。言い換えれば、拘束時間の長い職場は嫌われ、離職のきっかけになる。

 「辞めたい」。10月、一大決心をして電話で切り出すと、予期せぬ反応があった。「もっと自宅に近い店で働いてみるか?」。完全に拍子抜けした。店長になって半年間、身を粉にして働いてきたことを察する様子はなかった。

 ■連絡取れない店長も

 師走に入って、店を再建すべく、30代前半の新店長がやって来た。就任早々、閑散とした人通りをながめながら、「やるだけやってみるけど、立て直すのは厳しいな」とこぼしたという。

 田牧は述懐する。「深夜営業の飲食業界にはどこでもブラックな部分があって、それを払拭することなんてできない。系列のある店長の場合、営業的にはまずまずなのに、突然、連絡が取れなくなり、そのままフェードアウト。営業目標を一度クリアしても、翌月にはさらに高い目標が設定される。休日が取れず、働きづめの毎日が続いて、ついに心が折れたんだと思う」

 立地条件や客層などを総合的に考えれば、田牧がいた居酒屋が赤字に転落するのは自明の理だった。「関東圏の店舗数を増やすことで認知度をアップすることが本社のそもそもの狙いだったのかもしれない。辞めてみて気づいた…」

 店長としての200日間は地獄の日々だったが、辞めてみて募ってくる思いは会社への恨みというより、未熟で世間知らずだった自身への忸怩たる思いだという。「人間的には成長できたし、この業界に対する浅はかな認識しかなかった自分を反省もした。年齢を考えれば、まだやり直せる」。しばらく自分と向き合い再就職を考えるつもりだが、飲食業界への道は考えられないという。=敬称略

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