(夜に働く コンビニ編:上)「24時間営業」に縛られて

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朝日デジタル 2014年9月5日

写真は午前0時すぎ、短い食事をとる三井義文さん=千葉県佐倉市、川村直子撮影(省略)
 深夜0時過ぎ。電車も終わると、客足はめっきり遠のく。千葉・JR佐倉駅近くのセブン―イレブン。オーナーの三井義文さん(57)は、店の裏に回り、オムライスとサラダの透明パックのフタを開けた。

 売れ残りで廃棄する商品だ。三井さんは、防犯カメラのモニターを目で追いながら、黙々とかきこんだ。

 売れ残りをなくそうと、2009年に消費期限が迫った弁当やおにぎりを値引き販売し始めた。それでも売れ残る。もったいないと、食費の節約もかねて自分で食べるようになった。店での食事には、もう慣れてしまった。

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 コンビニを始める前は27年間、大手銀行で働いていた。うち15年はロンドンやインドネシアなど海外で過ごした。「経営者として自立し、家族と過ごす時間を取り戻したい」。銀行を辞めて07年5月、255万円を投じ、店を開いた。

 深夜0時45分。Tシャツ姿の公務員の男性(33)が入ってきた。雑誌コーナーで20分間、マンガなどを読みふけると、牛乳を手にとり、レジへ向かった。

 近くの市役所に勤める。残業の後、週5回は立ち寄る。「食べ物は昼間でも買える。それでも立ち寄るのは、仕事で疲れた心が癒やされるから」

 24時間店を開けるため、三井さんの店では、バイト20人超を雇う。三井さんも毎日昼過ぎには店に入り、レジ打ちなどを手伝う。

 午後5〜6時ごろに夕食をとり、消費期限が切れた商品を棚から下げたり、商品の発注を済ませたりしていると、時計の針はいつしか0時を回る。帰宅はいつも午前3時過ぎ。早朝から昼過ぎには妻が出勤する。すれ違いの日々だ。

 休みは月1回あるかどうか。7月の労働時間は370時間、うち残業は194時間で、過労死ラインの月80時間を大幅に上回った。働いた時間は1年のうち3カ月は400時間を超える。だが、労働基準法上の「使用者」なので、労働時間の規制は受けない。

 午前2時45分。近くの飲食店で働く男性(35)が車で来店した。深夜1時で店を閉め、片づけを終えて同僚を送り、帰りがけに寄って夜食を買い込んだ。

 いまの店に勤務する前は、24時間営業のファミレスで深夜まで働いていた。隣のコンビニで顔なじみになった店員が、たばこの銘柄を告げなくても、黙って棚から取ってくれるのが、うれしかった。「自分にとって、他人と温かくふれあえる場所なんです」

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 1970年代後半に広がったコンビニの24時間営業はすっかり定着した。だが、それを支えるのは大変だ。

 8月下旬のある深夜。三井さんのコンビニを訪れた客の数は、午前1時から5時までで30人にも届かなかった。ほとんど店の手取りにならない公共料金の支払いやプリペイドカード販売をのぞくと、この夜の売り上げは約1万5千円にしかならなかった。店に残る金はもっと少ない。

 深夜は、防犯のために常にバイトを2人置いている。午後10時以降は割り増し分を払うため、バイト1人の時給は1千円以上になる。1〜5時の4時間の人件費は2人で8千円以上になる。三井さんは「深夜は完全に赤字」と話す。

 さらに頭が痛いのが人手不足だ。危ない深夜の勤務を希望する働き手はなかなか見つからない。JR佐倉駅の半径約2キロには15店以上のコンビニがひしめき、人材の奪いあいは激しい。

 三井さんは、本部の社員に「24時間営業をやめられないか」と相談したこともある。だが、「1日中営業しているイメージが大事だ」とかわされた。本部と団体交渉できるように09年、労働組合「コンビニ加盟店ユニオン」をほかの地域のオーナーと結成した。現在、団体交渉を求め労働委員会に救済を申し立てている。

 コンビニ本部と交わした契約書ではオーナーは「独立の事業主」。だが、三井さんはいう。「営業時間も自分で決めることができない。しょせんは名ばかりオーナーなんです」(末崎毅)

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