外国人労働者108万人 「移民」認めぬまま進む現実

 空港のホテルでの客室清掃。神社みやげのまんじゅうの製造。旅館に卸す仕出し弁当や、デパ地下で売られる海苔(のり)巻きの調理。中学校での外国語指導助手(ALT)、ネットで利用者を募る家事手伝い……。フィリピン・マニラ出身のセリンさん(56)が日本で就いた仕事や職場を数えると、両手でも足りない。
「移民いないふり」の限界 外国人労働者100万人超

仕事を選ばずに働いていたら、人手不足の職種を転々とすることになった。最も長く勤めたのは高齢者介護の仕事だ。外国人向け介護者育成学校に通った。デイサービス、老人ホーム、病院など、ほぼすべての種類の施設で働いている。
 2000年代に日本人と結婚して滞在資格を得た。収入は手取りで月15万円から20万円ほど。介護保険や年金などは日本人と同様に払っている。
 セリンさんの働きぶりが示すように、外国人労働力を頼りにする職種が増えている。民間シンクタンク「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」が、労働現場で外国人労働者が占める割合の「外国人依存度」を試算した結果、調査した産業の平均は09〜16年で1・9倍に増えていた。
 総務省の労働力調査と、外国人を雇用する事業所の厚生労働省への届け出を元に計算すると、16年時点では全就業者の59人に1人が外国人だった。7年前と比べ、卸売・小売業(76人に1人)は約2・5倍、農林業(85人に1人)は3・1倍に。医療・福祉では463人に1人だが、依存度は2・7倍に高まった。
 昨年10月末の外国人労働者数は約108万人、外国人を雇用する事業所は約17万といずれも過去最高だ。半面、外国人労働者の在留資格別割合は近年ほとんど変化がなく、就労目的は18・5%にとどまる。
 「留学生、技能実習生、日系人や日本人の配偶者など、就労が主目的ではない外国人によって国内産業が支えられている。日本の総人口が減り続ける中、国家としての取り組みが遅れている」と同社研究員の加藤真さんは語る。外国人労働者をめぐる数字は、日本が事実上、「移民国家」に足を踏み入れている現実を突きつける。
 世界に目を向ければ、グローバル化で人々の国境を越えた往来が増えるにつれ、各国で排外意識が頭をもたげている。米国のトランプ大統領誕生、そして英国の欧州連合(EU)離脱決定の背景にも、移民に対する人々の反発があった。外国人労働力への依存が強まる日本は、目の前の現実を直視せぬまま、問題を先送りしているように見える。世界最大の移民国家、米国の状況とともに、日本の姿を見つめる。(編集委員=真鍋弘樹)
■子ども受け入れ、悩む学校
 ピンク色のゴムボールを手に、フィリピン出身の女性が明るく声をかける。
 「ほらタナカさん、いくよ。おー、すごーい」
 認知症の高齢者たちは、時に笑みを見せながら、ボール遊びに興じ始めた。
 東京都江戸川区の特別養護老人ホーム「アゼリー江戸川」では約10年前から外国人スタッフを雇用する。「最初は不安もあったが、今では利用者もなじんでいます」と施設幹部は言う。書類記入は不得手だが、物おじせずに明るく高齢者に話しかける人が多い。
 フィリピン、中国、アフリカ諸国などの外国出身者約30人を雇用するアゼリーグループの来栖宏二理事長は言う。「現実的な戦力として活躍してもらっている。今後は業界全体でも、その力を借りなければ現場が回っていかないだろう」
 日本で働く外国人は100万人を超えた。移民は「通常の居住地以外の国に1年以上居住する人」とされることが多いが、日本ではこの意味ではほぼ使われない。安倍晋三首相は昨年、「いわゆる移民政策を取ることは全く考えておりません」と参院で明言した。
 現実を「見て見ぬ振り」することのひずみは、日本社会に積み重なる。
 その現実に直面しているのが、学校現場だ。文部科学省の調査によると、公立学校に通う外国籍の子は約8万人。うち日本語指導が必要な子は3万4千人と10年前の1・5倍だ。
 外国にルーツのある子の学習支援に取り組む「YSCグローバル・スクール」(東京都福生市)。夕暮れ迫るビルの一室で、ラビナ・ダンゴルさん(16)が日本語と格闘していた。
 「ニンジン、ナス、レタス、つまり?」
 「やさいです」
 ネパールから2014年秋に来日。翌春、東京都昭島市立多摩辺中の1年に編入した。市教委の予算で受けられる日本語指導は約30時間。それだけで授業についていくのは難しく、放課後にスクールに通って支援を受けてきた。多摩辺中の喜多野雅司校長は「教育環境には限界があり、受け入れる側も大変。埋めてきたのは先生たちの気持ちです」と語る。スクールの運営責任者、田中宝紀(いき)さんは「多くの親は子が将来も日本で生きていく前提で暮らしているのに、学校現場は人材もノウハウも足りない」と話す。
 ラビナさんは作文を書いた。「私はこれからのゆめがかなうようにほんとうにがんばります。私はせんせいたちのおかげでがんばるきもちがいっぱいです」。保育士になるのが夢だ。
 移民を受け入れてきた国々では、子や孫の世代が将来に希望を見いだせず、分断の一因となっている。外国人児童の教育に詳しい佐藤郡衛・目白大学長は「彼らが『日本人になる』かは別として、社会の一員として人生を選択できる環境を作れるか。日本人を再定義する必要がある」という。
 日本社会を支える外国人たちもいずれは老いる。在日フィリピン人介護労働者協会の代表でアゼリーグループ研究員であるケリ・イメルダさんは、在日フィリピン人労働者のための高齢者施設を造る計画を持っている。「年老いた時にどうするか、私たち自身で考えなければならない」。建設費など多くの壁があるが、老後の備えが必要だとイメルダさんは考える。
 「多くの外国籍の人たちが日本で働き、その労働力で社会が成り立っている。この事実をどう直視するのかが問われている」。移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)の鳥井一平代表理事はそう話す。
 「外国人受け入れは拡大するが、『移民』政策とは一線を画すというのが政府の方針です。外国人は、生活者としては『いないこと』になっており、技能実習生制度など様々な形で人権侵害が起き、ヘイトスピーチにもつながっている」
 外国人の存在を見えにくくすることで、当面は感情的反発や排外主義がもたらす「分断」を回避できるかもしれない。しかし現実だけが先に大きく進んだ時、何が起きるのか。
 まず、移民を移民と認めることから始めよう。そう鳥井さんは呼びかける。(仲村和代)
■米の街「必要だから歓迎」
 米カンザス州ガーデンシティー。中心部のスーパーマーケットでは常にスペイン語が飛び交う。まるで中南米の街のようだ。メキシコ料理の食材はもちろん、国外送金の設備や国境行きバスの停留所もある。
 フアン・アンドラデさん(62)が35年前に開店し、次々と店舗を拡大した。草原に囲まれた街は現在、約3万人の住民のうち半分近くがヒスパニック系だ。
 移民国家の米国では、移住者受け入れは「国是」。1965年の移民法改正を機に、欧州だけでなく世界中から移民が集まるようになり、今も毎年100万人前後が永住権を得る。だが移民受け入れと同時に差別や摩擦が生じるのもこの国のならいで、特に地方では反移民感情が強い。昨年の大統領選ではメキシコ移民を「犯罪者」と呼び、国境への壁建設を約束したことが、トランプ氏当選の原動力となった。
 そんな中、この街は「移民歓迎」を前面に出す。「私たちの生活を維持するために移民が必要なのです」と市幹部のマット・アレン氏。市郊外にある全米最大級の食肉処理工場は、地域経済に不可欠だ。「重労働のため、米国人労働者で続ける人は少ない」
 中南米だけではなく、アジアやアフリカからの移民も多い。父親が食肉工場で働くソマリア出身のアダン・イスマイルさん(16)は将来の夢がある。「大変な仕事だけどお金になる。僕は経済を勉強してビジネスマンになりたい」。米国に着いて数カ月だが、高校に通い、自動車の仮免許も取得した。「難しかったが、1回目の試験で合格した」
 移民らの支援をする修道女のジャニス・トーミさん(71)は「70年代に食肉処理工場の建設が議論された際、拒んでゴーストタウンとなるか、誘致して様々な人を受け入れるかの選択肢を迫られた。ガーデンシティーは、『様々な人たち』を恩恵としてとらえた」と振り返る。トーミさんがボランティアをする市内の保育施設では、30以上の言語が使われている。
 ただそんな街でも差別とは無縁ではない。昨年10月、ソマリア人が多く暮らすアパートなどに爆弾をしかける計画を立てた疑いで、同州に住む3人の白人の男が連邦捜査局(FBI)に逮捕されたのだ。
 裁判所に提出された書面によると、3人は「十字軍」と名乗る組織に所属し、FBIが入手した会話の録音ではイスラム教徒を「ゴキブリ」と呼び、虐殺によって「社会を目覚めさせる」ことを目標にしていた。「多くの人が国を取り返す決断をしないと、手遅れかもしれない」とも語り、大統領選翌日の犯行を計画していた。フェイスブックには、「不法移民」に反発し、「雇用が奪われている」という趣旨の書き込みもしていたとされる。ただ公判はまだ始まっておらず、詳しい動機は分かっていない。
 市議のジャネット・ドール氏(58)は容疑者の1人の家族と知り合いだ。「私が会った移民たちは、より良い生活を求め、社会にも貢献している。人口が増えて街が活性化すれば皆がその恩恵を受けるのに、容疑者たちの憎しみはどこから生まれたのだろう」と悩む。
 移民の暮らしぶりを知らない人らの偏見にどう向き合うか。移民先進国の米国でも手探りの状態だ。(ガーデンシティー=中井大助)

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