日本労働弁護団有志弁護士「芸人とその所属事務所との契約の7原則」 (8/4)

芸人とその所属事務所との契約の7原則

川上資人
2019/08/04 22:45
 
目次
1 はじめに 
2 芸人とその所属事務所との契約の7原則
3 解説
4 契約7原則の提案に至るこれまでの経緯
 
1 はじめに 
 
 この1か月ほど、吉本興業に所属する芸人の反社会的勢力との交際問題に端を発し、吉本興業とその所属芸人との間に「契約書が存在しない」という問題がクローズアップされています。問題の指摘を受けて、7月25日には、希望者と書面を交わすことが発表されました。
 しかし、書面を交わすと言っても、不利な契約がそのまま書面になるだけでは何の意味もありません。私たち、日本労働弁護団の有志弁護士は、以下のとおり、芸人と所属事務所との契約についての7原則を提案します。
 芸能人の活動は、私たちの文化そのものです。芸能人が自由に発言し、活動できることは、ひいては私たちの社会の言論の豊かさ、自由さにつながります。そのためには、まずは芸能人の契約上の地位を向上させ、権利を確立することが重要です。
 この契約7原則の提案がそのための一助となれば幸いです。
 
2 芸人とその所属事務所との契約の7原則
 
原則1 契約を書面化すること
原則2 契約期間(有無を含む)を明示し、契約期間を定める場合は芸人に対する拘束が過大とならないようにすること
原則3 芸人が行う業務内容や負担する義務を明示すること
原則4 報酬の額又は報酬の分配方法並びに報酬の支払い時期を明示すること。所属事務所の芸人に対する誠実義務を確認的に明示すること
原則5 専属・非専属を選択可能とし、専属義務を定める場合は合理的な期間に限ること
原則6 肖像権の帰属や使用方法・条件を明示すること
原則7 移籍・退職は原則自由であること
 
3 解説
 
原則1 契約を書面化すること
 公正取引委員会競争政策研究センターが、2018年2月15日に公表した「人材と競争政策に関する検討会報告書」(以下、「報告書」といいます。)によれば、契約は、書面により、報酬等取引条件を具体的に明示することが望ましいとされています 。契約が書面でなされていない場合、芸能人は自己の権利・義務の範囲が分からないまま業務を行わざるを得ないために、所属事務所による独占禁止法の違反行為の一つである優越的地位の濫用行為を誘発する原因となります 。芸人が交渉を通して契約条件の向上を実現するためにも、まずは書面で契約を結ぶことが必要です 。
 また、労働基準法や職業安定法では、労働条件等の明示規定が置かれ、一定の労働条件については書面による明示義務があります 。また、労働契約法では、労働契約の内容の理解の促進として,労働契約の内容について、できる限り書面により確認するものとされています 。
 
 
原則2 契約期間(有無を含む)を明示すること
 契約期間も取引の重要な条件ですが、この点が不明確なまま取引が行われている例が珍しくないとの指摘が報告書において記載されています 。契約の長短は、契約の安定性や拘束性に影響を与えるため、少なくとも契約書において明示される必要があります。
 芸人が所属事務所との間で専属義務を負う場合には、専属義務を設ける目的や内容に照らして契約期間が過大に長いときは、優越的地位の濫用の観点から独占禁止法の問題となりえます。この問題については原則5で後述します。
 また、労働契約に該当する場合には、契約期間は上限3年の制限があり、さらに契約期間の初日から1年を経過した日以後においては、所属事務所に申し出ることにより、いつでも退職することができます 。さらに、期間中であってもやむを得ない事由がある場合には退職が可能です 。また、「労働契約の期間に関する事項」や「期間の定めのある労働契約を更新する場合の基準に関する事項」は明示義務の対象となっています。
 
 
原則3 芸人が行う業務内容や負担する義務を明示すること
 業務内容は契約の本質的部分であり、芸人もその内容を十分に理解した上で契約を締結する必要があります。そして、その前提として、特に芸人と所属事務所との保有している情報の不均衡や交渉力の格差に鑑みれば、契約書において業務内容が明示された上で、所属事務所から芸人に対し十分な説明が行われることが必要です 。
 労働法分野においても、「労働時間」や「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」は明示義務の対象とされています 。
この点に関し、芸人からは、「事前の説明と異なり危険な内容の仕事を指示された」、「長時間の拘束について何らの説明もなかった」といった声が寄せられています。
 
 
原則4 報酬の額又は報酬の分配方法並びに報酬の支払い時期を明示すること。所属事務所の芸人に対する誠実義務を確認的に明示すること
 仕事の対価がいくらかという点は、契約の基本であり、この点について不明なまま契約を締結することは社会通念上あり得ないと言えます。そして、仕事の対価が分かって初めて、自己の取り分が全体の何割に相当し、それが妥当なのか判断することが可能となります。したがって、芸人と所属事務所との契約において、仕事の対価(=報酬の総額)と分配割合の明示がなされることは必須といえます。この点は、報告書も、報酬が事前に明示されることが望ましいと指摘している所です 。また、報酬の支払時期についても明示されるべきです。報酬の支払い遅延や虚偽計算に基づく支払いは債務不履行となります。
 なお、労働契約に当たる場合は、労働基準法や職業安定法では、労働条件等の明示規定が置かれ、一定の労働条件については書面による明示義務があります 。
 さらに、マネジメント契約等の当然の義務として、所属事務所は芸人に対する誠実義務を負うと考えられ、そのことを契約書上も確認的に明示するべきです。所属事務所が誠実義務に反した場合は、債務不履行に該当し契約の解除事由となります。業務量の抑制などの不利益取り扱い、悪評の流布等による移籍妨害などがこれにあたります。さらに、所属事務所の脱税行為が発覚した場合、反社会的勢力との繋がりが発覚した場合等も、所属事務所と芸人との間の信頼関係が破壊されるようなときは契約の解除事由となりえます。
 
 
原則5 専属・非専属を選択可能とし、専属義務を定める場合は合理的な期間に限ること
 専属 とは、芸能人がマネジメント契約等を締結した所属事務所を通じてのみ芸能関係の仕事を受けることを指します。芸能人と所属事務所との契約においては、所属事務所が提供する仕事に専念させることや、一定のノウハウやスキルを身につけるための育成投資を行ったうえで、その育成に要する費用(投下資本)の回収をするために芸能人に対して包括的な専属義務を課すということが一般に行われています。
 芸能人にとっては、所属事務所から相応の仕事や収入を見込めたり、所属事務所による育成費用の負担が期待できる場合には専属義務を負う意味があります。反対にこうした前提条件を欠く場合は専属義務は対価のない不当な拘束にほかなりません。
 そこで、芸人と所属事務所の契約を考えるにあたっても、まず、専属義務を選択可能としたうえで、専属・非専属を明示することが求められます(専属・非専属の選択)。
 また、専属義務を定める場合には、その期間はその目的に照らして不当に過大なものとならないよう合理的な期間に限定されます。育成費用との関係についての考え方も交渉にあたって明示することが求められます。
報告書は、専属義務は、芸能人が他の発注者から仕事を受ける機会を失わせている点において、芸能人に不利益をもたらしていると指摘し、芸能人との関係で優越的な地位にある所属事務所が課す専属義務が芸能人に対して不当に不利益を与えるものである場合には独占禁止法上の問題にもなり得るとしています 。契約終了後、所属事務所の一方的な判断によって専属義務を含んだまま芸能人との間の契約が更新される場合がありますが、これも同様に独占禁止法上の問題となりえます。
 報告書は、契約期間終了後は再契約をしないとの意向を示した芸能人に対してそれを翻意させるために、報酬の支払遅延や業務量の抑制などの不利益な取扱いをしたり、悪評の流布等により所属事務所の変更を妨害し再度契約を締結させる行為は、不利益の程度がより大きいとしており 、これらも優越的な地位の濫用の問題になります。
 さらに、芸人が契約を締結する際の専属義務の内容には、芸人の肖像権や名称を利用する権利は会社に帰属させるということが一般に行われているため、後述の肖像権の帰属や使用方法・条件を明示する際に、専属義務と肖像権との関係についての考え方も併せて明示することが求められます。
 
 
原則6 肖像権の帰属や使用方法・条件を明示すること
 芸人の活動において、肖像は芸人の作品の一部であり、その肖像権が芸人自身に帰属することを明確にする必要があります。そして、肖像権を所属事務所が使用する際の方法や、使用条件については事前に定め、商品化については事前に芸人の承諾を必要とするべきです。
 報告書も、肖像権を一方的に所属事務所に帰属させることは、自由競争減殺の観点から独占禁止法上問題となりうるとともに、他の発注者に対して肖像等を提供する機会を失わせ、芸能人に不当な不利益を与える場合は、優越的地位の濫用の観点からも独占禁止法上問題となりうることを指摘しています 。また、報告書は、肖像等を利用したグッズ等を販売するに際し、対価(ロイヤリティ)について芸能人と協議をせずに決定したり、対価(ロイヤリティ)を一切支払わないような場合には、優越的地位の濫用の観点から独占禁止法上問題となり得るとしています 。
 
 
原則7 移籍・退職後の芸能活動は原則自由であること
 芸人が、所属事務所での待遇や環境に問題があると考えた場合には、移籍・退職して従前と同様の活動ができることが保障されなければなりません。ところが、契約終了後に芸人に対して競業避止義務を負わせ芸能活動を禁止する契約が多々見られます。
 そもそも、憲法において職業選択の自由が保障されていることから 、移籍・退職後の芸能活動は原則として自由に行うことができるものです。合理的な代償措置を欠く競業避止義務は公序良俗に反し無効となると考えます。旧事務所の投下資本の回収を保障することに合理性がある場合は、実務的には所属事務所を移籍した後に旧事務所に対しても一定の範囲で報酬を分配する「サンセット・クローズ」(日没条項) を締結することが可能です。退職後の芸人の活動を不当に制限することは芸人の人権の問題であると同時に、自由競争や文化の健全な発展を阻害します。
 報告書は、競業避止義務について、芸能人が他の発注者からの仕事を受ける機会を失わせている点において、芸能人に不利益をもたらしていると指摘し、芸能人との関係で優越的な地位にある所属事務所が課す競業避止義務が、芸能人に対して不当に不利益を与えるものである場合には独占禁止法上の問題にもなりうるとしています 。
 そこで、芸人と所属事務所との契約書においては、まず、他事務所への移籍の可否や競業避止義務の有無と内容、期間を明示することが求められます。また、競業避止義務の内容や期間がその目的に照らして不当に過大なものとならないよう、競業避止義務の期間を設定する合理的な理由を明示することが求められます。
 労働契約に該当する場合も、移籍等の制限は、実務的に厳格に解されており、使用者(もしくは社会公益)の正当な利益を確保する限度で認められるにすぎず、不当な制限は無効となります 。また労働契約の不履行について違約金を定めたり、損害賠償予定の合意することは労働者の退職の自由を保障するため禁じられています 。留学・研修費用の返還制度についても実質的に労働者の足止め策として機能する場合は労働基準法16条違反となります。
 なお、所属事務所が芸人及びタレント等に秘密保持義務を課すことがありますが、いかなる秘密について、いかなる範囲の保持義務を負っているのか、不明確なままかかる義務を負わされる例が見受けられます。報告書は、秘密保持義務について、内容や期間が具体的、限定的でなく抽象的であるため、会社によって拡大解釈される余地がある場合は、独占禁止法上の問題が起こり得る、としています。また、会社が秘密保持義務の内容について実際と異なる説明をし、又はあらかじめ十分に明らかにしないまま、芸人タレント等がそのような義務を受入れている場合には、独占禁止法上の問題となり得る、としています。したがって、芸人としては、秘密保持義務について同意を求められた際には、秘密の内容、範囲、保持期間等について説明を求めた上で、規定内容を具体的、限定的なものとすることを求め、それがなされない場合には独占禁止法上の問題を生じるものとして、署名しないこともあり得ます。
 
4 契約7原則の提案に至るこれまでの経緯
 
 本提案の執筆者は、日本労働弁護団に所属し活動しています。日本労働弁護団では、2017年6月より、芸能人・タレントとその所属事務所との間の契約・移籍問題、スポーツ選手とクラブ・球団との間の契約・移籍問題に関する研究を行ってきました。今回の提案はこの間の研究会の成果をふまえたものですが、今回の意見書はあくまでも私たち有志弁護士の責任で公表するものです。
 研究会では、国内外で、「雇用によらない働き方」の研究に携わる大学教授や芸能・スポーツ分野において活動実績のある弁護士との意見交換を実施し、米国においては、アメリカの映画・テレビ俳優などが加盟する労働組合Screen Actors Guild‐American Federation of Television and Radio Artists(SAG-AFTRA)との意見交換を含む調査を実施してきました。
 さらに、公正取引委員会競争政策研究センターが2018年2月15日付けで「人材と競争政策に関する検討会 報告書 」(以下「報告書」といいます)を公表して以降、同センターが実施するパブリックコメントに意見書を提出するなど、実務上問題のある事例の情報提供にも努めてきました。
 
 使用者との関係で構造上交渉力の格差のある労働者を保護するために最低限度の労働条件を定めた労働基準法・労働契約法の定めは、芸人が法律上「労働者」と解されるべき場合に適用されることはもちろんのこと、そうでない場合も、契約内容を公正たらしめるためにその趣旨が適用されるべきです。また、芸能分野の取引の公正を守ると共に、所属事務所との関係で劣位に置かれている芸人に対する濫用行為を防止する上では、独占禁止法の観点も踏まえて、契約内容が決せられる必要があります。
 そこで、私たちは、芸人と所属事務所との契約内容を公正たらしめる一つの方策として、労働法や独占禁止法の考え方を踏まえ契約内容を策定するにあたり考慮すべき観点を定めた『芸人とその所属事務所との契約の7原則』を提案することにしました。
 
 この問題に関し、正確な議論を行う上では、芸人と事務所の労務実態の調査等が必要であることは言うまでもありませんが、この原則の提案が、現在報道されている問題だけでなく、所属事務所との間の地位に悩む芸人はもとより、同じ立場に置かれたタレント・芸能人等の一助になればと考えています。
 
 なお、日本労働弁護団では、今後も、芸能人と所属会社との間の標準契約書の作成、芸能事務所に対する業法規制など芸能人保護法の立案の研究をすすめ、また芸能人に対する権利侵害に対するききとり調査、相談活動、労働組合結成の支援などを行なっていくことにしております。
 
2019年8月4日
 
日本労働弁護団有志弁護士
菅 俊治(日本労働弁護団常任幹事)
大久保 修一(日本労働弁護団本部事務局)
川上 資人(日本労働弁護団常任幹事・本部事務局次長)
川口 智也(日本労働弁護団本部事務局)
平井 康太(日本労働弁護団本部事務局)

この記事を書いた人