過労死防止法5年 遺族の願い (10/31)

過労死防止法5年 遺族の願い
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20191031/2020005362.html
NHK News 2019年10月31日 21時52分

「働いていただけなのに、どうして死ななければならなかったのか」。
過労死や過労自殺の遺族が声をあげて、国会を動かして、できた法律「過労死防止法」。
11月1日で施行から5年を迎えます。

過労死をなくそうという考えは確実に社会に浸透してきました。
しかし、昨年度、過労死・過労自殺で労災と認められたのは、全国で158人。
遺族が求める「過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会の実現」は、ほど遠いのが現状です。
過労によって倒れたり、心を病んだりしたとして労災を申請する人は増え続けています。
法律の制定を求め続けた遺族が神戸市にいると聞き、過労死をめぐる現状について、話を聞きました。
(神戸放送局記者 堀内新)

【過労死の遺族との出会い】
3年間の警察担当を経て、ことし8月から労働分野を担当することになった私。
初めての取材分野なので、インターネットで情報を探していたところ、偶然、過労死防止法の制定に力を尽くした遺族が神戸市内に住んでいることを知りました。
それが、西垣迪世さんとの出会いでした。
西垣さんは、平成18年1月に、一人息子の和哉さんを亡くしました。
当時、和哉さんは27歳。
大手電機メーカーの子会社で、システムエンジニアをしていました。
労働基準監督署に過労死だと訴えたものの、最初は認められませんでした。
裁判を起こし、和哉さんの死は労災だったという判決を勝ち取りました。
その後、会社と協議し、和解したのは、和哉さんが亡くなってから6年後のことでした。
「国や企業に、過労死や過労自殺の防止を義務づけてほしい」と、同じ境遇の遺族たちと一緒に署名や国会での活動を重ね、過労死防止法の成立を実現しました。
それから5年。
西垣さんに過労死の現状について尋ねました。
「この5年間、過労死の事件が起きて、遺族は増えています。法律ができて『過労死』が社会的に認知され、申請する人が増えたという面はありますが、それにしても多すぎます。悲しい現状です」。

【支え合う遺族の輪】
西垣さんは、2か月に1度のペースで、神戸市内で集まりを開いています。
私が訪れた日は、遺族6人が集まりました。
この日は、夫の労災を申請した女性が参加していました。
女性が、今後、労働基準監督署で行われる聞き取りについて「どんな雰囲気の場所で、何を聞かれるのですか」と質問し、西垣さんたちが詳しく説明していました。
会合に参加することで、勇気を出して労災を申請した人に会うことができました。
芦屋市の前田和美さんです。
平成28年6月、神戸市の洋菓子メーカーに勤めていた息子の颯人さん(当時20)を失いました。
職場でのパワハラと長時間労働による過労自殺でした。
颯人さんが亡くなった直後、不安や悲しみにうちひしがれている時に、出会ったのが西垣さんです。
「西垣さんは、涙を流しながら息子の話をする私の体を抱き寄せ『一緒にがんばろう』と言ってくれた。同じ境遇の人がだからこそ、とても心強かった」と振り返る前田さん。
西垣さんたちの支えを受けて、去年、颯人さんの労災が認められました。
西垣さんたちは、これから社会に出て働く高校生や大学生などに自らの体験を語る取り組みを行っています。
「遺族を支えることは大切。でも、最終的には過労死や過労自殺をなくしたい。だから若い人たちに過労死の遺族のことを知ってほしい」と西垣さんは話します。

【部下に頼られた夫の死】
この日の集まりで、夫を亡くした35歳の女性に話を伺うことができました。
亡くなった夫は訪問美容師。
自分で車を運転して、主に兵庫県内の病院や高齢者の施設を訪ねて、仕事をしていました。
お客さんは、体が不自由で病院や施設から出かけることが難しいお年寄りが多く、非常に高い技術が必要とされる仕事に誇りを持っていたと言います。
仕事が忙しくなったのは、主任に昇進した平成26年ごろ。
部下の勤務シフトの調整を任されるようになりました。
仕事は連日、早朝から深夜にまで及び、寝ている間も耳にハンズフリーのイヤホンをつけ、そばには業務用のタブレットを置いていたといいます。
忙しくても常に部下を気遣い、一緒に働く仲間からとても好かれ、頼りにされていたといいます。
女性は「いつも夜遅くに帰ってきて、次の日の準備をしながら眠ってしまうような生活でした。なんとか起きて仕事には行くんですが、とてもベストな状態ではなかったです」と話します。
そのような状態が3年も続いたおととし10月。
女性が、自宅の1階の和室で眠っていた夫を起こそうと体を揺すりましたが、反応がありません。
冷たくなっているのに気付き、救急車を呼んだときには亡くなっていました。
当時、夫は38歳。
2人の子どもが残されました。

【「移動時間」は労働時間ではない】
すぐに労災を疑った女性。
労災を申請するため、夫の同僚たちの力を借りて、勤務の記録や携帯電話の通話記録などから労働時間を計算することにしました。
しかし、そこでひとつ問題が起きました。
「移動時間」の扱いです。
夫は社用車に施術器具を積み、自宅と施設や病院を行き来し、運転中も連絡をしばしば受けていました。
しかし、「移動時間」は原則として、労働時間としては認められないものだと、弁護士から説明を受けたのです。
「移動時間」を除いて算出したところ、時間外労働の平均は月に124時間にも上っていました。
少なく見積もっても、月80時間の「過労死ライン」を大幅に超えて働いていました。
これをもとに、労働基準監督署に労災を申請しました。
女性は、夫の働き方の実態を踏まえ「移動時間」も含めて労災として認めてほしいと考えています。
取材の最後、女性は涙を流しながらこう話しました。
「移動時間を含めた労災認定は、夫が必死に働いてきたことの証しだと思う。うちの夫は、ただ亡くなったわけじゃない。病気で突然、亡くなったわけじゃない。働きすぎたことによって、体を壊して亡くなったんだということを、子どもたちにしっかり説明できる日が来てほしい」。

【「移動時間」が労働時間と認められるには】
「移動時間」の考え方について、労働問題に詳しい松丸正弁護士に話を聞きました。
「移動時間」が労働時間として認められるには、上司から業務の指示を受け、打ち合わせや資料をつくったということが明らかでなければならないということでした。
携帯電話やパソコンがない時代は、移動中に業務をすることはそう多くなく、あまり問題にならなかった「移動時間」。
しかし、スマホやタブレットが普及し、上司の目の届かない事務所の外で働く人も増えています。
移動中、上司の指示のもと業務をしていたことが証明できなければ、労働基準監督署に労働時間であると認めてもらえないということです。
労災を認定する基準は、過労死(脳・心臓疾患)が平成13年に、過労自殺(精神障害)が平成23年に決められました。
このうち、過労死の基準について、厚生労働省は見直しに向けた検討を始めることを、今月30日、明らかにしました。
今回の取材を通して、働きすぎで命を落とす人が1人でも減るとともに、働いて命を落としたり、心身を損なったりした人が広く労災と認められるように、社会全体で考え続けていく必要があると思いました。 

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