「超過勤務の解消」が教員の負担を増長するという矛盾 (1/26)

「超過勤務の解消」が教員の負担を増長するという矛盾
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2020/01/26(日) 10:30配信 BEST TIMES

■「月45時間以内」のガイドラインは机上の空論

 「定額働かせ放題」を教員に強いる。その根拠となっている給特法の一部を改正する法案が成立したのは、昨年(2019年)12月4日のことだった。改正をめぐっては、たいした混乱もなく、政府・与党の思惑どおりのかたちに収まった。廃止などは遡上に載せられることもなく、むしろ「定額働かせ放題」が確認されたようなものだった。

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 とはいえ政府・与党が、「定額働かせ放題」に見て見ぬフリを決め込んでいたわけでもない。

 2019年1月25日に文部科学省(文科省)は、「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を示している。その冒頭には、「社会の変化に伴い学校が抱える課題が複雑化・多様化する中、教師の長時間勤務の看過できない実態が明らかになっている」と述べている。
教員の長時間労働、過重労働を、文科省も認めているのだ。逆に言えば、文科省も無視できないところまで、教員の長時間労働、過重労働の問題は深刻な状況にまできているというわけだ。

 そのガイドラインでは、教員の超過勤務の上限を「1カ月に45時間以内、1年間に360時間以内」としている。しかし、給特法において定められている4%の「教職調整額」は、1966年の勤務状況調査の結果を踏まえて算出されたもので、その基準となった超過勤務時間は月8時間だった。

 改正給特法でも4%は据え置かれたままで、そうであれば文科省が2019年1月に示したガイドラインも、45時間ではなく8時間に改めるべきである。しかし、これを改める気など文科省は一向にないようだ。

 教員側から文句のひとつが出ても当然のようだが、教員側の不満が大きな声になるような動きもない。これでは、「教員は月45時間以内の超過勤務なら納得している」と世間に受け取られても仕方がない。

 ともかく、1カ月45時間というガイドラインは妥当なものだったのだろうか。実現可能なものと考えてもいいのだろうか。

 もしそうであれば、このガイドラインの実現に向けて、着々と施策がとられているはずである。そして、ガイドラインが示されてから丸1年を迎えるなかで、それなりの実績が明らかにされてきてもよさそうなものである。

■過労死ラインも超える超過勤務が横行している

 しかし現実は、どうも違った様子をみせている。2019年12月13日の『山形新聞』(Web版)は「教員の超過勤務、80時間超ゼロに」というタイトルを掲げた記事を載せている。教員の多忙化解消に向けて検討していた山形県教育委員会が、県下の公立学校における働き方改革案を公表した、というものだ。

 その記事は、「2020年度末までに複数月平均で在校時間(部活動を含む)の超過勤務が80時間超の教員をなくすなどの数値目標」を定めたと伝えている。80時間超の超過勤務をなくすということは、80時間以内の超過勤務は認める、ということになる。

 文科省が示したガイドラインは45時間だったにもかかわらず、山形県教委は80時間というラインを決めたことになる。文科省のガイドラインを「無視」したどころか、「45時間の上限の実現など無理」と表明したことになる。

 また、文科省がガイドラインを示す前の2018年9月、千葉県教育委員会は公立学校を対象とする「学校における働き方改革推進プラン」をまとめ、「在校時間の超過勤務が80時間を超える教職員をゼロ」にする目標を明らかにしている。

 これはガイドラインとは35時間もの開きがあるわけで、「これが精一杯」と千葉県も言っているように思われる。ガイドラインが示される前の千葉県、示された後の山形県も「80時間が精一杯」の状況といえる。

 これは月45時間という数字自体が、いかに現実を無視したものであるかを示している。まさに、「机上の空論」でしかない数字なのだ。

 ちなみに、「超過勤務時間が月80時間」というのは、過労死を認定する際の厚生労働省の基準である。いわゆる「過労死ライン」である。

 千葉県や山形県の教委が「80時間超の教員をゼロにする」という目標は、「過労死ラインを超えないようにする」ということでしかない。ごくごく当然のことであり、いまさら目標にすることでもない。目標にする以前に、当然守られていなければならない基準である。

 それにもかかわらず、改めて目標にしなければならないのは、その過労死ラインを超えた超過勤務が横行しているのが学校現場の現状だからにほかならない。それを超えないことを目標にするしかないほど、超過勤務を減らすことは難しい。この一事をもってしても、学校のブラックぶりがわかろうというものだ。

 ガイドラインをクリアしようと、それぞれの教委が独自のプランを策定してきている。しかし現実に即したプランというよりは、ガイドラインを守るためのプランばかりだ。

 現実を無視しているから、仕事が残っているにもかかわらず帰宅を強制される「時短圧力」も横行している。時間を決めて、強制的に学校中の電気を消されて、帰宅するしかない状況に追い込まれる、といった話を聞くのも珍しいことではない。

 文科省のガイドラインも、それを守らんがための教委によるプランも、結局は「絵に描いた餅」でしかない。その皺寄せがくるのは、もちろん教員だ。超過勤務をするしかない仕事内容に苦しめられる教員が、さらなる「絵に描いた餅」プランに苦しめられている。

 こうした現状に目を向けようとしない文科省や教委に、学校の働き方改革を推進していく力があるのだろうか。
ほんとうの意味での働き方改革が実現されるのかどうか、教員は危機感を抱いているのだろうか。それとも、過重労働でしかない超過勤務を黙って受け入れてきたように、「仕方ない」と教員たちは沈黙を守りつづけるのだろうか。

文/前屋 毅

 

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