愛媛新聞 2008年05月31日(土)付、コラム地軸

サマータイム 

きょうは早めに帰ろう。見たい映画がある。仕事はあらかた片付いた。かといって日が明るいうちは帰りづらい。夕方まで資料整理でもするかと机に向かう。明るいうちというのがくせものだった▲

さあ日が暮れたと思って時計をみると夕刻は過ぎ、夜に入っていた。ささやかな余暇の計画があっけなく崩れ去る。あすは衣替え。気づかぬうちに昼は長くなっていた▲

夏はみんなで時計の針を一時間早めようというサマータイム法案が国会に提出されそうだ。長い昼を有効に使って、省エネを進めるとのふれこみで、二〇一〇年の導入を目指す▲

 「夕方」が長くなれば、仕事終わりの余暇に幅が出る。たいていのライフスタイル運動は、新たな消費をつくる。経済界の期待も膨らむ。だが余暇を支えるための残業を強いられる人も当然出てくる▲

二十四時間営業の日本社会。終業時間はあってなきがごとし。こんな状況でサマータイムを導入しても、始業を早めるだけで労働時間の延長を招く(森岡孝二著「働きすぎの時代」岩波新書)。人の動きを作り出し、過剰労働と浪費の悪循環が加速するなら、省エネの大義はあやしくなる▲

北海道洞爺湖サミットが近い。「やっと仲間になれました」―サマータイムが当たり前の欧米首脳陣と肩を並べ、にんまり顔の福田康夫首相が目に浮かぶ。あの顔色も明るいうちがくせものだ。

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