■残業容認は過労死への道

朝日DIGITAL(耕論) 2017年7月14日
寺西笑子さん(全国過労死を考える家族の会代表)

飲食店チェーンの店長だった夫は1996年に、49歳で過労自殺しました。店は年中無休で、朝に出勤したら、ほぼ毎日が午前様。月2回の休日すらつぶれがちで、亡くなる前1年間の労働時間は、約4千時間に上っていました。さらに叱責(しっせき)され、心身とも疲れきり、うつ病になった末の出来事でした。労働災害に認定され会社は謝罪しました。
 過労自殺には、「自ら死を選んだ」という無理解があります。私自身、最初は「家族のことは考えなかったんか」と夫に怒りをぶつけました。でも、違うんです。疲労困憊(こんぱい)になると、ダメージは心臓や脳だけでなく、精神を襲うこともある。あんなに家族思いだったのに、正常な判断力を奪われ、選ぶ余地なく死に追い込まれた夫に、今はねぎらいの言葉しかありません。長時間労働は心も壊すのです。
 人は、何のために働くのでしょうか。まず睡眠時間や自分の時間、家族との時間があり、そのために労働があるはず。だから労働基準法は、労働時間を原則、週40時間と定めるのではないでしょうか。
 なのに、これまでは労使が協定を結べば事実上、青天井に残業できました。そこで政府と連合と経済界は今春、協定を結んでも超えられない罰則つきの上限を作ろうとし、極めて忙しい月の残業上限を「100時間未満」とすることで合意してしまいました。
 天井ができるから前進だ、という人もいます。でも、私にとっては後退です。今まで国が認めてきた残業時間は、労使協定があっても「原則45時間」で、それ以上は例外でしかなかった。なのに、わざわざ倍以上の時間数を法律に書いて、容認してしまうのです。しかも、100時間は過労死認定の基準ラインです。
 せっかく長時間労働はいけないという風潮が広がってきたのに、これでは「100時間までOK」という「過労死合法化」になりかねない。法案化の前に、今からでも見直してほしい。理想は残業ゼロですが、せめて月45時間以下にすべきです。経済のため、100時間までは仕方ない、という逆算は本末転倒です。
 もちろん、やるべき仕事をこなしたり仕事を覚えたりするため、時間を気にせずに働くという日本人の美徳もあると思います。ただ、働き手がそうであればこそ、会社が正しい労働時間管理をして「帰らなあかん」というブレーキは踏まないといけない。本当に国際競争力や労働力確保を考えるなら、過労死ラインまで残業させる国が、外国にどう映るかも考えるべきです。
 命より大切な仕事はありません。ご本人も家族も、長時間労働に注意して、最後は命を守ってほしい。たとえその働き方が合法でも、過労死ラインは超えてはいけない。死んでからでは、遅いのです。(聞き手・吉川啓一郎)

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