高プロ制が導く異次元の「労働者保護」外しの未来

 Yahoo! ニュース 2018年5月29日 (The PAGEの竹信三恵子氏の論説より)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180529-00000005-wordleaf-pol&p=1
[写真]高プロ制を含む「働き方改革」を今国会の最重要法案と位置づける安倍晋三首相(代表撮影/ロイター/アフロ)写真省略

安倍晋三内閣が今国会の最重要法案と位置づける「働き方改革」関連法案が今月内にも衆院本会議で採決される見通しです。この関連法案は今国会で成立する公算が高くなってきましたが、一体どんな内容でどんな課題があるのでしょうか。労働社会学が専門の和光大学教授、竹信三恵子氏に寄稿してもらいました。
【写真】“退社8分後に出勤”で考える過労社会の処方箋「インターバル休息」制度



「働き方改革」の中の「高度プロフェッショナル制度」が論議を呼んでいます。政府や企業側を中心とした「成果を出せば早く帰れる」「柔軟に働ける」といった言説に対し、過労死の遺族や労働側から「『働かせ放題』が可能になり過労死が激増する」といった懸念が高まっているからです。その中身を丹念に点検してみると、確かに、この制度の「異次元」ともいえる労働者保護外しの横顔が見えてきます。

残業代・休憩・休みがなくなる?

「高度プロフェッショナル制度(高プロ制)」とは、どんな制度なのでしょうか。
 「働き方改革関連法案」などを見ると、正式名称は「特定高度専門業務・成果型労働制」。厚生労働省の省令で、高専門かつ高収入、と決められた労働者を対象に、「労働基準法第4章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定」は適用しない、とあります。つまり、厚労省が決めた一定の働き手について、雇う側が、残業代を支払う義務(労基法37条)、休憩(6時間労働を超える労働は45分、8時間を超えれば1時間)を与える義務(同34条)、週1回の休みを与える義務(同35条)などを免れることが出来る制度です。
 労働時間規制は、19世紀の産業革命以来、生命と健康と生活時間を守るため、働く側が企業による働かせすぎに対する防壁として勝ち取ってきた労働者保護の原点と言われています。働き方の国際基準を決めているILO条約が、1号で「1日8時間」労働を掲げているのもそのためです。日本は労働時間の歯止めが緩い社会で、この1号さえも批准していません。こうした状況が、過労死を招いてきたと言われています。
 ところが「働き方改革」法案には、高プロ、「裁量労働制」の拡大というさらなる規制緩和が盛り込まれました。
 このうち裁量労働制の拡大は、データ改ざんが問題になっていったん削除されました。ただ、裁量労働は、一定の残業時間と残業代を見込んで賃金が払われ、この契約時間を超えれば残業代が払われます。緩いとはいえ、一応、労働時間による規制がある働き方で、しかも働き手は自分の裁量で労働時間を決められることになっています。高プロは、自分で労働時間を決める権限のない働き手について大幅に労働時間規制を外すという点では初の制度なので、雇う側が歯止めなく始業時間も終業時間も決められるつくりです。
 高プロの導入は、その意味で、アベノミクスの「異次元の量的緩和」ならぬ異次元の労働時間規制緩和へ歴史的な一歩を踏み出したといえるでしょう。
 にもかかわらず、なぜ、一般の国民の反応は鈍いのでしょうか。それはまず、労基法の原則があまりにも当たり前になっていて、「週休1日が保障されない世界」や「1日の休憩時間がない世界」の過酷さが実感できなくなっていることがあるでしょう。同時に、「高専門」と「高収入」という対象者の要件が、一般の働き手とは無縁と錯覚させてしまったことが大きかったと思います。

国会の議決なしに対象職拡大も

しかし、本当に高プロは、一般の働き手とは無縁の制度なのでしょうか。
 「高収入」の基準については現段階では年1075万円以上と報じられています。確かに、1000万円以上の働き手は2016年度の国税庁民間給与実態調査でも4%程度にすぎません。ただ、この額は法案に書いてあるわけではなく、厚労省が統計をもとに省令で決める「基準年間平均給与額」の3倍をかなり上回る額、とされているだけです。省令ですから、国会の議決を経ずに下げることは可能です。
 10年ほど前、ほぼ同様の仕組みであるホワイトカラーエグゼンプションの導入が話題になり、日本経団連が「400万円以上の働き手を対象に」と提言したことから、今回も、やがてはそこまで適用基準が下げられていくのではと心配する声は少なくありません。
 また、「実際に払われた額」ではなく、「支払われると“見込まれる”賃金の額を1年間あたりの額に換算」したもの、という点も要注意です。ブラック企業問題に詳しい弁護士は、休憩や週末休みを取らせる義務がないことを利用して、1075万円と設定した年収から、働き手が疲れて休憩したり週末休みを取ったりするたびに、「欠勤」分として時給換算で差し引いていく方式を取れば、労働基準法の労働時間規制による労働時間で再計算して年収357万円程度になるという試算を出しています。
 そんな会社はない、と言いたくなるでしょうが、理論的に可能ならブラック企業に抜け穴を与えることになり、法律として欠陥ということです。正規・非正規の指定もありませんから、非正規労働者にも適用可能です。
 「高専門」という要件も、現在は金融ディーラーやアナリストなどの職種が上がっていますが、客観的な基準ではなく、また、厚生労働省の省令で範囲を決められますので、国会の議決なしで範囲を広げていくことができます。実際、1985(昭和60)年に制定された労働者派遣法は、派遣の不安定性から考えて「専門業務」しか認めないとして13業務から始まりましたが、1999(平成11)年には原則自由化されてしまいました。
 そもそも「高度な専門職は会社に対して交渉力が高い」という前提も疑問です。日本の専門職は「プロなのに」と、権利よりむしろ、無際限な奉仕を求められることが多いからです。しかも、専門職でも仕事の量は会社が決め、自分に決定権がないことは一般の職種と同じです。「専門」という言葉を利用したイメージ戦略といっていいでしょう。
過労死増えて認定は困難に

このような危険性を指摘する声に対し、政府も労基法に代わるさまざまな保護措置を盛り込んではいます。週休1日の規定がなくなる代わりに、保護措置として、年104日、4週間に4日以上の休日を義務付けたのはその一つです。
 いまの労基法では休日は年間最低52日以上とされているので、ネット上では「現行より倍増」と持ち上げる声も流れています。ただ、注意すべきは、従来のような1週単位ではなく4週単位ということです。これだと、月の28日のうちの初めの4日だけ休ませ、後は24日間、毎日24時間ぶっ通しで働かせることも理論的には可能です。翌25日目に1日休ませれば、月末までまた毎日24時間働かせることができ、計月600時間を超える労働時間も合法化されるとの指摘もあります。
 これでは過労死が増える、という批判に対して設けられたのが、「在社時間」と「社外で働いた時間」を合わせた「健康管理時間」の把握義務です。この時間をもとに、残業代は払わなくていいから企業には4つの「健康確保措置」をとってほしいというのです。
 ここでは、1日の労働時間規制である「インターバル規制」の導入や、年に連続2週間の休日確保、などの結構なメニューが並んでいます。ただ問題は、そこから「一つだけ選べばいい」という点です。4つの措置のうちには「省令による一定の時間を超えた働き手には健康診断を受けさせる」という選択肢があるので、これを選べば、健康診断だけ受けさせればOKになってしまうわけです。
 残業代という経済的な歯止めがなくなり、健康診断を受けさせれば極端な長時間労働もお構いなしとなれば、過労死は増える恐れが強まります。会社の把握した「健康管理時間」と実労働時間が異なる場合、労災は今以上に認定しにくくなるでしょう。過労死の遺族たちが訴える「過労死が増えて過労死が見えなくなる」事態が起こりうるということです。
 「日本維新の会」など一部野党の要求で高プロ制適用への同意を働き手が後で撤回できるよう修正もされましたが、会社との力関係でどこまで活用できるか難しく、指針でも対応できる程度の修正に過ぎません。
労働時間の記録が必須アイテムに

これだけの疑問点が再三指摘されながら、国会の答弁の中ではほとんどまともに応えられてきませんでした。働き手への影響について、野党から実態調査を求める質問も出ましたが、政府側は「高プロは新しい制度なので実態を把握することは困難」(山越敬一・厚労省労働基準局長)と答えるにとどまりました。つまり、前人未踏の領域なのでよく分からないが、とにかく始める、ということです。
 となれば、政府がすべきことは、施行後に働き手への影響について、データを改ざんしたり誤記したりすることなく、定期的にきちんとした実態調査を行い、問題があれば手直しすることでしょう。場合によっては制度そのものを撤回することも視野に入れるべきです。
 また、会社の労働時間への責任がこれほど弱められた今、働く側は最低限、自分の労働実態を把握し、記録する習慣をつけていく必要があります。始業と終業時間を手帳に毎日記録したり日報をつけたりして、労災や賃金不払いに備えた資料づくりを日々やっておくことは、これからの働き手の必須アイテムになったといっていいでしょう。
 また、ブラック企業による法の悪用を考えると、入社前によく調べ、こうした企業には入らない、もし入ってから危ないと感じたらすぐに労働相談窓口などに相談し、体を壊す前に辞める――という対応も必要になるでしょう。
 今回、裁量労働制や高プロの問題点が浮上する中で、「そうはいっても自由に働ける仕組みは必要だ」とニーズを主張する上層ホワイトカラーや医師・教員などにも出会いました。ただ、よく聞いてみると、それらはフレックスタイム制や従来の裁量労働制でも対応できるものがほとんどで、人員削減による人手不足こそ問うべきではないかというケースも少なくないように感じました。日本の労働時間はすでに相当に規制緩和されており、だからこそ過労死が相次いでいるということを、働き手自身がよく知らないのです。
 また、労働者派遣法のように、対象が本来の趣旨を離れて無際限に拡大されていくことがないよう、働く側からしっかり監視していく必要もあるでしょう。
 そのために、労働弁護士や地域労組、労働NPOなどの専門家の相談電話で助言を仰ぐなど、自分なりの法律顧問をつくること、働き手同士がネットワークをつくって働くルールについて情報交換し、問題点を発見し、指摘していく力を身に着けていくことが問われています。

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■竹信三恵子(たけのぶ・みえこ) ジャーナリスト、和光大学教授(労働社会学)。1976年、朝日新聞社に入社。編集委員兼論説委員(労働担当)などを経て2011年から和光大学現代人間学部教授。2009年、貧困ジャーナリズム大賞。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書、日本労働ペンクラブ賞)、「ピケティ入門〜『21世紀の資本』の読み方」(金曜日)など

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