〔韓国労働社会研究所ホームページの〔研究所の窓〕に、分岐点に立つ韓国・文在寅政権の動向を論じたノグァンピョ所長の文章が掲載されていました。とても興味深い小論ですので試訳してみました。脇田滋〕
逆走する労働尊重社会
2019/03/08 ノ・グァンピョ韓国労働社会研究所所長
〔訳・文責:脇田滋〕
民主労総が弾力勤労制の単位期間を延長する労使政合意に反発し、6日、全面ストライキに入った。大宇造船と現代モービスなどが参加したが、完成車労組の不参加でストライキの規模や破壊力は大きくなかった。しかし、今回のストライキが労働界の組織的な抵抗の開始という点で、状況は深刻である。文在寅政府発足2年ぶりに労政関係は協力から対立に変わった。かつて蜜月関係と評価された労政関係がどのような理由で対立関係に転換したのか。過去2年間の労使関係を振り返って、その中で問題解決の糸口を探してみよう。
政府の労働改革意志の後退である。現在、労政対立の表面的な理由は、弾力勤労制の期間拡大と最低賃金決定構造の改編である。しかし、これらの問題は枝葉であり、本質的には政府の労働改革意志の後退にある。現政府は、政権初期の経済民主化と労働尊重社会を前面に打ち出した。文大統領は就任後初の訪問先として仁川国際空港に赴き、「公共部門の非正規職ゼロ時代」を宣言した。続いて、最低賃金を16.4%引き上げ、低賃金労働者の最低限の生活の質を保障したいと述べた。政府の前向きな措置に労働界は拍手を送り、闘争ではなく対話を通じて問題を解決していこうとした。双龍自動車などの長期闘争事業場の懸案と解雇者復職も、政府の積極的な努力で解決され、民主労総の要求で労使政委員会は経済社会労働委員会に変貌した。
しかし、政権1年を基点に、労働改革は知らぬ間に後順位に押しやられ、景気活性化と雇用創出が前面に登場した。経済状況の悪化で雇用事情が悪くなると、政府は過去そうであったように、短期成果主義の誘惑に落ちこみ、産業構造と労働市場再編ではなく政治的なイベントに掛りっきりになる。5年で再任のない大統領に、これ以上を要求することは苛酷かもしれないが、現在の労使関係は労働尊重社会と決別した逆走である。
労働時間短縮を見てみよう。判断基準が揺れるならば原則が壊れる。韓国の労働時間短縮要求は経営界の主張に揺れるほど暇でない。バス運転手の居眠り運転で大型交通事故が日常茶飯事で発生し、過労やストレスに疲れ果てた大企業会社員が自殺し、配達員は郵便物を配達している途中の道で倒れる。残業と夜勤で汚れが染みついた野蛮な韓国社会の現状である。
過去数年の努力で今かろうじて平均労働時間が2000時間以下に低下した。雇用部によると、昨年常用5人以上の事業体の労働者の1人当たり平均労働時間は1986時間で、前年の2014時間より1.4%減少した。しかし、韓国の労働時間は、2016年を基準としたOECD平均労働時間(1763時間)を大幅に上回る水準だ。昨年7月から週52時間制施行に入ったが、それも300人以上の事業所に限定されて大きな効果がなかった。
こうした状況で、政府は企業の困難を解消するとして弾力勤労制単位期間の拡大カードを出した。現在の単位期間が最大3ヶ月だったものを6ヶ月に拡大するということが、労使政合意の要旨である。もちろん合意文には11時間の連続休息時間を義務化して、現行のとおり労働者代表との書面による合意を経て導入するようにした。ところが悪魔はディテールにある。労働者の保護のための安全装置にあちこち穴が生じている。弾力勤労制に関する詳細な事案は、労働者代表との書面合意で施行することになっているが、選出条件などが法定されていない状態で、使用者の意のままに労働者代表が選出される可能性が濃厚である。
労働尊重社会は、過去10年余りの間に後退した労働基本権の原状回復と労働者の生活の質改善要求に触発された。全労働者の半分近くが非正規職で働き、全体労働者の38.3%が200万ウォン未満の賃金を受ける低賃金状態を持続していては、経済成長も国民生活も改善できないからである。
文在寅政府の労働政策は分岐点に立っている。企業の競争力強化、柔軟化、規制緩和などはどんなに粉飾しても、過去の政府の代表商品である。労使中立という政府の態度は、過去の傾いた運動場〔1〕を維持するという意味である。財閥大企業に集中した力の均衡をとらなければならない。これ以上躊躇している時間はない。国民所得3万ドル達成というニュースの字幕の後には、労働者の苦しく厳しい生活が重なる。「労働は商品ではない。社会の持続的進歩のために表現と結社の自由は避けられない。一部階層の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」。1944年、フィラデルフィア宣言の一節である。この宣言が、今日の韓国の労働現実に依然として響き合うのは悲しいことである。
〔訳注1〕傾いた運動場(기울어진 운동장)
弱者、少数者など不利な立場にある人々(陣営)が、有利な立場にある人との不均衡を主張するときに比喩的に使われる表現。欧州サッカーでFCバルセロナが圧倒的に強かったときに、「強者に有利に運動場が傾いている」などの脈絡で使われた表現に由来すると言われる。政治的対立、企業間競争、男女のジェンダーなどの分野で、一方に偏った状況があるときに使われる。本文では、韓国政治で、財閥大企業とそれを支持する保守勢力が極端に有利な地位を長く続けた状況を示している。〔ナムウィキ(나무위키)〕参照。
〔訳者解説〕
韓国の文在寅政権の労働政策が昨年から揺れています。その意味を、韓国の民間研究所である「韓国労働社会研究所」のノグァンピョ所長が分かりやすく論じた小論です。(※訳者は、2005年、同研究所に短期間滞在していました)
本文中の「弾力勤労制」は、日本の「変形労働時間制」に当たる制度で、1日当たりの時間上限が時期によって変わる制度です。この単位となる期間を3ヵ月から、6ヵ月に延ばすことが争点になっています。日本の制度をモデルにした、過労死を促進する法改悪だとするのが、労働組合、市民団体の主張です。
当初は政権と協力関係にあった労働組合、とくに民主労総が、労働時間法と最低賃金法の改悪に強く反対し、ストライキ(3月初め)に続いて、「労働法改悪」を審議する国会前で1万人抗議集会を行い(4月初め)、民主労総委員長が警察に連行されています。〔参照:「レイバーネット日本」の関連情報 http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2019/1554422220388Staff〕
政権に比較的協力的な韓国労総も、ILO条約批准などで明確な姿勢を示さない政権を批判しています。分岐点に立つ文在寅政権の動向は、労働者の環境が酷似する日本との比較でも目を離すことができません。〔参照:「特集 韓国労働法のいま」労働法律旬報1932号(2019年3月下旬号)〕