加藤涼さん 「ニッポンの製造業から消えた400万人労働者の行方 「高まる女性の労働参加率」の裏側」 (11/22)

ニッポンの製造業から消えた400万人労働者の行方 「高まる女性の労働参加率」の裏側
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/111900213/?P=1
加藤 涼 2019年11月22日

※この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年5月8日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。

 女性の年齢別の労働参加率のデータ形状にみられる、いわゆる「M字カーブ現象」の緩和に伴い、女性の就業率が上昇していることは、近年、広く認識されているようだ。一方で、そうした「女性の進出が加速中」といった労働市場全体でみた傾向とは、いささか異なる分野が存在する。

 製造業に絞って就業者に占める女性比率をみると、過去20年間以上、一貫して低下傾向にある(図1)。実際に、確かに解消しつつある(マクロの)M字カーブに対して、製造業では、女性労働者は、絶対数でみても比率でみても、ともに減少・低下傾向を辿ってきた。このグラフが示す事実は、あまり知られていないのではないだろうか。

図1: 製造業の女性比率
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 製造業において、女性比率が長期間にわたって低下の一途を辿ってきたという事実は、実は、日本の労働市場全体が、過去20年間に経験した大きな変貌の一端を映じたものと言える。以下では、日本の労働市場が、1990年代以降、現在にいたるまで、ゆっくりとその姿を変えてきたことを、複数の統計を用いて、明らかにしていきたい。その際、?女性、?新卒就職と転職市場、?賃金構造の3点に特にフォーカスを当てて、特徴を浮き彫りにしていく。

労働者400万人の部門間移動
日本の就業者数の総数は、1995年以降、概ね6400万人前後で安定的に推移してきた。しかし、製造業・非製造業という部門別労働者数に着目し、就業構造の構成の変化をみると、大きなモメンタムが働いていたことが分かる。

 すなわち、90年代以降、製造業は400万人以上の雇用を削減し続けており、数字の上では、この400万人は、ほぼ全員が非製造業に吸収されたという姿となっている(図2)。このような大規模な労働力の部門間移動は、どのようにして生じたのか、その背景を考えることは経済学的見地からも、政策実務的見地からもインプリケーションを持つ。

図2: 製造業と非製造業の雇用者数
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 例えば、400万人の労働者が、各々キャリアアップを意図して自発的に転職した結果、大規模な部門間移動が発生したということだろうか。あるいは、主に製造業において、400万人規模のリストラ・解雇が断行された結果であろうか。実は、これら2つはかなり極端な見方であり、どちらのケースも該当するような実例がなくはないものの、労働力の部門間移動を促した最大の要因とはとても言えない。では、前向きな転職でもない、リストラ解雇でもない、労働市場の変容をもたらした主役とは、どのような要因だろうか。

製造業の雇用削減と女性比率
まず、製造業がどのように雇用削減を進めてきたかを確認してみよう。端的に言えば、製造業の雇用の縮小の主因は、「(新卒を中心とした)採用の抑制」である。

 90年代半ば以降、2000年代初頭まで、入職率(採用者数/従業員数)が10%前後に抑えられてきた一方、離職率は12〜14%程度と入職率を上回って推移してきた(図3)。その後、2004〜07年にかけては入職率と離職率の水準が、いったん概ね一致するが、世界金融危機以降は再び離職率が入職率を上回る。

 日本の製造業における雇用削減の最大の特徴は、(米国型の)レイオフやリストラではなく、主として採用の抑制を通じて実現されてきた点にある。離職サイドに注目すると、明確に「事業所側の都合」によって離職率が押し上げられた時期は、2001〜02年と世界金融危機時だけであり、離職者全体に占める寄与も大きいとは言えない。また、廃業(倒産)による離職もマクロ的な寄与はごく小さい。

 結局のところ、定年や自己都合によって従業員数の約1割が毎年離職する状況が常態化する中、多くの職場で減員が補充されず、結果として人員減が、徐々にだが着実に進んでいった。

図3:製造業の入職・離職率
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 このように長期にわたって採用を抑制し続ければ、女性の方がもともと離職率が高いため、当然の帰結として女性比率は低下する。製造業全体でみれば、主に「自己都合」によって離職した女性社員によって減ったぶんを過去20年間、新卒採用や復職によって十分に補充するような人事方針は採られてこなかった。これが、図1のグラフが示す事実の背景である。

 昨今、現在1割前後とされる女性の管理職比率を欧米先進諸国並み(30%以上)に引き上げようとのイニシアティブが官民で高まっているが、その反面、「適格者不足」との声が聞かれることが多い。製造業に限れば、「適格者が不足」する状況に至った理由は、そもそも適格者の母集団が大幅に縮小していたためで、およそ明白である。図1と図3のデータは、意図的でないにせよ、結果として過去20年間以上、製造業が業界全体として、女性管理職の適格者を生むプール自体を用意してこなかったことを示している。

非製造業の雇用拡大:労働力移動の第1のチャネル
製造業が雇用削減を進める一方、1990年代半ばの段階で既に4000万人に達しつつあった非製造業の従事者が、現在では4500万人を超えた。仔細にみると、医療・福祉、サービス、情報通信といった業種で雇用の伸びが著しい。既に触れた通り、データ上は、製造業から非製造業への大量の労働力移動が生じた格好になっているが、労働者は、実際にはどのようなチャネルを通じて移動したのだろうか。

 はっきりしていることは、400万人の移動は、当初は製造業で働いていた労働者が毎年数十万人ずつ非製造業へと転職活動をした結果ではないということである。既述の通り、製造業における人員削減は、新卒を中心とした採用の抑制が主因であった。また、製造業を非自発的に離職した――リストラ解雇された――労働者のボリュームも相対的には大きいとは言えない。

 つまり、労働力の部門間移動の一部は、「1990年代以前であれば製造業に入職していたであろう労働者が、非製造業、特にサービス業に吸収される」というプロセス経て進行した。この入職の変化が、結果として労働力の部門間移動を媒介した「第1のチャンネル」と言える。第1のチャンネルの存在は、非製造業の人員拡大が、ある程度は新卒採用を通じてなされてきたことを意味している。

 しかし、そうは言っても少子化が進行する中で新卒者の労働供給は年々減少傾向にあり、直近では毎年100万人程度までパイが縮小している。製造業による新卒プールの「取り分」は減少してきたものの、労働市場全体でみた新卒採用可能数の増加だけでは、非製造業の人員拡大の全てを説明するのは、供給面の制約からみて難しい。

 これは、非製造業が雇用拡大にあたって中途採用チャネルも活用してきたことを必然的に意味する。以下、この中途採用チャンネルについて、より掘り下げて統計の動きをみてみよう。

「転職者」の真の多数派は出産・育児後の女性
ここで冒頭図1が示すデータと合わせ鏡の事実が指摘できる。マクロ的にはM字カーブが緩和され、女性の労働参加が進む中、製造業における女性比率が一貫して大幅に低下してきた以上、非製造業で女性就業者が増加してきたことは、疑いようのない事実である。つまり、第2のチャネルには女性の労働供給行動が深く関係している。

 やや話が逸れるように思われるかもしれないが、ここで日本の転職市場について、簡単に概観しておきたい。一般に「転職」と聞くと、比較的若い労働者が、せいぜい数カ月以内、場合によっては数週間以内に別の職場・会社に移ることをイメージするのではないだろうか。

 確かに前職を離職後、1年以内に再就職する「短期」転職者は、年間300万人弱(2012年)という単位で存在する。しかし、こうした短期転職者――いわゆる転職者――は、同業種内転職が多い上に、製造業と非製造業という大区分業種を跨いだケースは、ネットでみると極めて少ない。すなわち、一般的にイメージされる(狭義の)転職市場が、日本の労働市場の構造変化に果たしてきた役割は、ごく小さいのである。

 一方、一年以上の不就労期間を経て、労働市場に再参入する「長期」転職者も、毎年100万人程度存在している。長期転職者は労働関連統計の定義である「一般未就業者」に極めて近く、その6〜7割を女性が占める。特に結婚・出産を契機に退職し、一定期間を経て労働市場に再参入した女性が多い。つまり、日本における広義の転職市場の主役は、1年以上の不就労期間を経験した既婚女性たちであったということができる。

労働力移動の第2のチャンネル:共働き世帯の増加
結論を導くための最後のデータとして、1995年から2010年にかけて、公的年金の第3号被保険者(厚生年金・共済組合に加入している第2号被保険者に扶養されている20歳以上60歳未満の配偶者)の総数が200万人程度減少したことに触れたい。要するに、共働き世帯が大幅に増加してきた、と言いかえれば、分かりやすいだろう。

 こうした事実が示唆する400万人の労働力移動を媒介した第2のチャンネルは、「20年前であれば専業主婦を続けていたであろう女性」が、ある程度の不就労期間を経て、労働市場に参入、ないしは再参入し、非製造業、特にサービス業で働き始めたというものである。

 よく知られている事実と思われるが、パート・アルバイトなどの「非正規雇用比率」は、雇用拡大が著しいサービス業で相対的に高い。さらに、パートを含めた非正規労働者に占める女性の割合が高いこともよく知られていると思われる。これまで成長ペースが速かったサービス業や医療・福祉といった業種の多くは、他業種対比、もともと女性比率が高い業種であった。

 上記の「第2のチャンネル」は、(主に既婚)女性による労働市場への(再)参入という労働供給サイドに着目した議論であった。同じ事実を労働需要サイドからみると、非製造業におけるパート雇用など、比較的低賃金・低年収の職が、(再)参入する一般未就業者の受け皿となってきたという図式が浮かび上がる。

労働力の部門間移動と「賃金デフレ」
労働力の部門間移動や労働市場の「サービス化」の進捗の大きな担い手が(既婚)女性であったことは、マクロの平均賃金に対してインプリケーションを持っている。

 例えば、フルタイム労働者とパートタイム労働者の時間当たり賃金をみると、過去20年間、前者が2000円弱、後者が1000円前後で極めて安定的に推移している(図4)。いずれの賃金水準も低下していないにも拘わらず、マクロの平均賃金が1990年代後半から大きく低下したという事実を合わせて考えれば、ロジカルな解釈はひとつしか考えられない。

図4:時間当たり賃金
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/111900213/zu04.jpg
(資料)厚生労働省

 すなわち、「賃金デフレ」は、中高年男性を中心とする比較的高賃金な雇用が徐々に減少し、新たに低賃金(低年収)の雇用が増加することで、マクロ的な平均賃金が引き下げられた結果の現れである。

 むろん、実際には、個々の労働者の賃金が引き下げられたケースが相応に発生していたことを否定するものではない。マクロ的・平均的にみた場合、一人当たり賃金の低下に寄与した最大の要因は、労働者全体に占める低賃金労働者の比率の高まりという、「構成比効果」であったことを各種のデータが強く示唆している。

 構成比効果が賃金デフレに寄与していたことは、男女別賃金からみても容易に確認できる。女性の年収分布をみると、年収130〜200万円程度が最多分布帯となっている。平均年収をみても、男性労働者の方が明確に高い。賃金構造・賃金水準を所与とする場合であれば、女性をはじめとする相対的に低賃金な集団の労働参加率の上昇は、マクロ的な平均賃金を下押しする効果を持つ。

労働市場の変容:過去と将来
ここまで見てきたように、90年代以降、日本の労働市場は大きなうねりのような変化を経験してきた。上記の議論は全て、概ね2012年頃までのデータに基づいた事実に裏付けられたものではあるが、基本的には過去についての議論である。

 日本の労働市場が、将来にわたって同じ方向で変化を続けるとは限らない。日本社会においても、女性の一層の活躍によって経済の活性化を促進する気運が高まっており、名だたる大企業において、「初の女性役員誕生」とのニュースが聞かれるなど、これまでのトレンドとは異なる動きも、ごく最近では観察されている。

 女性に限らず、社会人のキャリアは、個々人が自分の意思と責任によって築いていくものである。むろん、成否は努力や資質以外に、個人ではどうしようもない社会制度や環境、あるいは運によっても左右される。

 筆者がかつて勤務していたIMF(国際通貨基金)のトップであるクリスティーヌ・ラガルド専務理事は、公式な場で、“trailblazer”と紹介されることが多い。男女の違いなく、「ロールモデル」を探して進むより、1人でも「trailblazer(道を切り拓く者)」として進む人材が増え、それを周囲が後押しすることによって、本当の変化、――望ましい変化――がもたらされるのではないだろうか。

 

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