今野晴貴さん「働かせ放題」のアニメ業界に分岐点? 『海獣の子供』制作会社の訴訟が意味するもの (11/26)

「働かせ放題」のアニメ業界に分岐点? 『海獣の子供』制作会社の訴訟が意味するもの
https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/20191126-00152377/
今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。 2019/11/26(火) 12:02

(写真:アフロ)

 劇場用アニメ『海獣の子供』などを制作しているアニメ制作会社STUDIO4℃(株式会社すたじおよんどしい)に制作進行として勤務する20代の男性(以下Aさん)が、未払い残業代の支払いを求めて、今年10月に同社を提訴した。

 Aさんは以前からブラック企業ユニオンに加盟し、団体交渉で解決を模索してきたが、会社が誠実な対応をしないため、同ユニオンの支援を受けて訴訟に踏み切ったという。

 今回の訴訟は、アニメ業界の労働条件をめぐって起こされたことから、インターネット上でも非常に注目を集めているが、訴訟の争点は、適用されていた裁量労働制の有効性にある。

 裁量労働制はクリエイティブ業界全体で広く活用されており、今回の訴訟の判決次第では、アニメ業界にとどまらず、IT、デザイン、映像、出版などにも、多大な影響が広がる可能性がある。

 そこで今回は、裁量労働制の問題点をこの事件を切り口にして考えていくことにしよう。

裁量労働制の弊害

 はじめに、今回争点となっている裁量労働制について簡潔に説明しておこう。裁量労働制とは、実際に働いた労働時間にかかわらず、あらかじめ労働者と会社の間で決めた一定の「みなし労働時間」だけを働いたものとみなす制度である。

 みなし労働時間が仮に1日8時間の労働者であれば、実際には1時間で仕事を終えて帰宅しても、8時間分働いた分の賃金が支払われる。一方で、逆に1日15時間勤務したとしても、働いた時間は労働基準法上、8時間としてしか扱われない。

 残業代は一切払われない(深夜割増分は払われる)し、平日の残業時間が月100時間を超えていたとしても、残業時間の上限規制に抵触しないことになる。

 このように裁量労働制は、長時間働いても残業代が増えず、長時間残業の規制もすり抜けてしまう「定額働かせ放題」に陥るリスクが高いのである。

 STUDIO4℃のAさんも、みなし労働時間は1日9時間15分だったはずが、徹夜業務や、月100時間を超える残業があり、同僚もそれを超える残業が頻繁にあったという。

 労働時間が長くなる理由の一つとしては、アニメーターから上がってくる作画を待つ作業が挙げられる。アニメーターが深夜早朝まで時間をかける場合、制作進行のAさんも完成まで職場で待たざるを得なかったという。

 これは労働法上の「手待ち時間」にあたり、労働時間としてカウントされなければならない。しかし、Aさんら同社の制作進行には、何時間残業しても、追加の残業代が支払われることはなかった。

アニメ業界に広がる裁量労働制

 そもそも、アニメ制作会社において、制作進行に対する裁量労働制の適用はどれくらいに及んでいるのだろうか。

 有名作品を手がけている元請会社のうち、2019年に出された求人情報からいくつか紹介しよう。

 『名探偵コナン』『ルパン三世』『アンパンマン』などで有名な株式会社トムス・エンタテイメントでは、「制作進行職」(契約社員)で裁量労働制の求人がだされている。

 『ガッチャマン』『ヤッターマン』などで有名な株式会社タツノコプロでは、「アニメーション制作進行」(契約社員)でやはり裁量労働制の求人が出されている。

 そのほかにも、『鋼の錬金術師』『僕のヒーローアカデミア』などで有名な株式会社ボンズ、『ナルト』『おそ松さん』『幽遊白書』などで有名な株式会社ぴえろ、『忍たま乱太郎』『かいけつゾロリ』などの株式会社亜細亜堂などでも裁量労働制(契約社員)の求人が出されているのである。そのほかにも事例は枚挙にいとまがない。

 少し調べただけでも、歴史ある大手制作会社から、新進の制作会社に至るまで広く見つけることができる。あまり知られていない下請け制作会社も加えれば、かなりの数にのぼる。

 もちろん、これらの会社の裁量労働制が低賃金・長時間労働であるかはわからない。だが、裁量労働制が不適切に運用されているケースが多いことも事実なのである。

適用業種ではないのに適用?

 実は、裁量労働制を適用するためのハードルは決して低くはない。むしろ、本来高いハードルがあるといってよい。

 まず、「定額働かせ放題」に陥るリスクの高い裁量労働制は、あくまで裁量がある労働者に限って、適用することが認められている。したがって、適用は出退勤の時間や業務の進め方を自由に決められる労働者に限られている。

 また、専門業務型裁量労働制は、適用できる労働者の業務について、「業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をすることが困難」であるとされる19の業務に限定されている。

 そして、実は19の対象業務の中に「アニメーションの制作進行」という業務は見当たらない。記載がないにもかかわらず、STUDIO4℃はどのように制作進行を裁量労働制に当てはめたのであろうか?

悪用され放題な「プロデューサー又はディレクター」

 STUDIO4℃の資料によれば、制作進行の業務は、19業務のうち「放送番組、映画等の制作の事業におけるプロデューサー又はディレクターの業務」と定められているという。

 確かに、アニメーション制作は「放送番組、映画等の制作」には含まれることは理解できる。

 では、「プロデューサー又はディレクター」はどうだろうか? 厚労省の通達は、裁量労働制の対象となる「プロデューサー」と「ディレクター」の業務について、もう少し具体的な記載をしている。

 「プロデューサーの業務」とは、制作全般について責任を持ち、企画の決定、対外折衝、スタッフの選定、予算の管理等を総括して行うことをいうものであること。

 「ディレクターの業務」とは、スタッフを統率し、指揮し、現場の制作作業の統括を行うことをいうものであること。

 確かに、作業過程の全体を統率、指揮しているのであれば、裁量があるといえるだろう。だが、「ディレクター」としてある程度の裁量があるとしても、その程度は場合によってまちまちだ。

 つまり、実際に、どの程度の権限があればよいのか、この定義からは判然としない。そのため、本当に十分な権限が実際にあるのかあいまいな労働者たちが、次々に裁量労働制の対象にされてしまっているのである。

実際の労働内容

 Aさんによれば、同社の制作進行の実際の業務は、TVアニメであれば1話数ごと、劇場用の長編映画であれば、パートや工程ごとを担当し、スケジュール、スタッフ、素材などの管理を行うというものだ。

参考:『海獣の子供』『鉄コン筋クリート』のスタジオ4℃で労使紛争! アニメ制作進行の「ブラック」な実態

上記記事で詳細に論じた通り、制作進行は、あくまで制作工程を下支えする業務であり、制作全般の「総括」「統括」と定義することは厳しいと考えられる。

 ましてや、「業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をすることが困難」とは言い難いだろう。

 その文言からはどう見ても上の定義に当てはまらないとみられるような、アニメの制作進行の求人の事例もある。

 『ジョジョの奇妙な冒険』『はたらく細胞』などを手掛けるアニメ制作会社・株式会社デイヴィッドプロダクションは、「アニメーション作品の制作を円滑に進めるための車両を中心とした進行業務、他」を職務内容とする「車両進行スタッフ」(契約社員)にまで裁量労働制を適用するとしている。

 これは制作進行の業務のうち、自動車を運転してアニメーターの自宅まで行き、作画を回収する業務を切り出したものだろう。この業務を制度上の「プロデューサー又はディレクター」の業務というのには、かなりの無理がある。

 さらに、「プロデューサー又はディレクター」のずさんな利用は、アニメの制作進行に限らない。特に映像などのクリエイティヴ業界においては、「プロデューサー」「ディレクター」との肩書がつくだけで、実際の労働実態を考慮せずに裁量労働制が適用されている労働者が散見される。

 肩書のみならず、ほとんど映像やクリエイティヴ、エンターテインメントに関係しているというだけの理由で適用されている労働者も多い。

 例えば、筆者は以前、芸能事務所のマネージャーを「プロデューサー又はディレクター」として、違法性の疑われる裁量労働制の使い方がされていた事例を紹介している。

 参考:芸能マネージャーの「やりがい搾取」 裁量労働制の悪用が「違法行為」と認定

 このように、「プロデューサー又はディレクター」の裁量労働制は、その曖昧さゆえに、クリエイティヴ業界で悪用され放題なのである。

裁量労働制の歴史的な判断は下されるのか

 今回の訴訟が判決に至れば、曖昧な裁量労働制の「裁量」について、歴史的な判断が下される可能性がある。

 まず、裁量のある対象業務について、これまで曖昧だった「プロデューサー又はディレクター」の定義が厳密に判断されるかも知れない。

 さらに、裁量のある労働時間の使い方や業務の進め方とは何かについても、これまでは不明瞭だった。

 今回の裁判では、出退勤時間を自由にできないことや、上司や取引先から作業を頻繁に指示されることについて、裁量の基準が司法によってはじめて明確に判断される可能性がある。

 いずれにしても、判決が出されれば、アニメ業界に限らず、クリエイティヴ業界に対して、決定的なルールが生み出されることになる。

おわりに

 裁量労働制についての裁判例は、これまでほとんど出されていない。そのため、ここまでみてきたような「あいまいな基準」のままに、各社ごとに運用されている。

 判決が出されない最大の要因は、裁判の費用が高額だからである。幸いにもAさんはブラック企業ユニオンの支援を受けているが、ユニオンは裁判費用をクラウドファンディングで賄うという。

(ファンディングの名称は「アニメ・クリエイティヴ業界の違法な裁量労働制に、訴訟でルールをつくりたい!」だという)。

 労働のルールを明確にしていくためにも、本件に限らず司法の場での判断を増やし、個々の労働者を支援する社会の仕組みづくりも求められているのではないだろうか。
 

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