ソーシャルワーカー養成から「生活保護」が消える 水面下の精神保健福祉士養成課程改革に隠されたシナリオ
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020011300001.html?page=1
みわよしこ フリーランスライター 2020年01月14日 論座
2020年4月から、精神保健福祉士の養成課程における教育内容が改定される見通しだ。改定の方向性は2019年6月に厚労省の検討会で決定されており、現在、同時に改定される社会福祉士養成課程とともに、省令案へのパブリックコメントが募集されている(しめきりはいずれも1月18日)。
最大の懸念は、両資格の養成課程から科目「低所得者に対する支援と生活保護制度」が消滅することだ。影響を受ける可能性があるのは、低所得となりやすく生活保護を必要とすることの多い精神障害者だけではない。
■実学重視?で廃止される科目
〔写真〕厚生労働省が入る中央合同庁舎第5号館=東京都千代田区
精神保健福祉士の養成カリキュラムは、精神保健福祉士法に関する省令や施行規則で定められる。現在、改定を控えてパブリックコメントが募集されているのは、「精神保健福祉士法施行規則等の一部を改正する省令(案)」。
現行課程の科目から「低所得者に対する支援と生活保護」「福祉行財政と福祉計画」が廃止されるほか、医学・精神医学・精神保健福祉の理論に関する科目が減少し、実践にかかわる科目が増加する。大学教育での「実学重視」を思わせる本省令は、2020年2月に公布され、2020年度以後の精神保健福祉士養成に反映される予定である。
しかし、精神保健福祉士資格を取得するために大学や専門学校で学びはじめる人々の多くは、低所得者が利用できる公的制度について深い知識を持っているわけではない。また、公的福祉に関わる行政や財政についても、ほぼ「素人」であるはずだ。重要な制度や行政の仕組みについて、学校で充分に学べなかった精神保健福祉士に、メンタルヘルスの問題と関連した複雑なソーシャルワークを委ねられるだろうか? 筆者は正直なところ、不安を覚える(具体的な科目変更案は、4ページ表2)。
■生活保護の重要性を厚労省は強調するけれど
この改定を管掌するのは、厚生労働省 社会・援護局障害保健福祉部 精神・障害保健課だ。筆者の不安を率直にぶつけてみたところ、「科目として、表面上なくなるのは事実ですが、低所得者に対する支援と生活保護制度については今後もしっかりと学んでいただくというのが、われわれの認識です」という回答であった。
制度としての公的扶助や生活保護制度については、現行の科目「社会保障」で引き続き学ぶ。また、精神障害者が抱えやすい生活困窮・貧困、そして制度上の課題については、新設される科目「精神保健福祉制度論」で学ぶという。「メンタルヘルスを切り口に、いろいろなことを考えていただきたい」という意識で科目を見直し、社会福祉士養成課程との重複も減らしたという。
このため、現行の科目「福祉行財政と福祉計画」は廃止されることになったということだ。しかし、この科目は社会福祉士養成課程からも廃止されるのである。公的資格を取得してソーシャルワーカーとして公認される人々は、行政や財政について、どこで「しっかり」学べるというのだろうか(社会福祉士養成課程は介護福祉士とともに改定される。そちらのパブコメ募集はこちら)。
なお、社会福祉士養成課程には、科目「貧困に対する支援」が新設される予定である。しかし、現行の「低所得者に対する支援と生活保護」という科目名の具体性、一個人としての「低所得者」に対する「生活保護」という制度名の?生々しさ?が削ぎ落とされてしまうことは確かだ。
■「活動に参加する学習」の意味するものは?
今回の改定に関する検討は、厚労省が設置した「精神保健福祉士の養成の在り方等に関する検討会」で行われた。この検討会は、2019年3月の中間報告書において、「『(知識の)獲得としての学習』から『(活動への)参加としての学習』へのパラダイムシフト」を重要視する方針と、実践を重視する方向性を示した。具体的な内容としては、必要な知識の獲得に加えて「現場ですぐに必要となる一般的な技能や相談援助の技術(電話相談、面接体験、記録の書き方など)」「コミュニケーション能力」「対人スキル」が身につくものであるという。
また、現場で実務に就いている精神保健福祉士が養成機関の講師となったり、当事者活動をする精神障害者らの話を学生が聴いたりする機会を設けることも推奨されている。
筆者はどうしても、近年の大学改革で声高く叫ばれている「実学重視」や「実務家教員」の導入と共通する地殻変動を感じる。また、故・三浦朱門の「できんやつはできんままで結構、浅学非才の輩はせめて実直な精神を養ってもらう」という発言も連想してしまう。そもそも、高校を卒業して大学に進学し、大学教育の一部として「一般的な技能」「相談援助の技術」「コミュニケーション能力」「対人スキル」を身につけた新人精神保健福祉士に、どのような能力やスキルを期待できるだろうか。筆者の不安は、さらに大きくなる。
■「精神保健福祉士」の役割と立ち位置とは?
精神障害者を「座敷牢」に入れていた1910年代の私宅監置の様子。若い男性が数年来、格子付きの一室に閉じ込められていた=映画「夜明け前」から
社会福祉士と精神保健福祉士は、いずれもソーシャルワークに関わる資格であるが、日本においては、異なる法律のもとで異なる位置づけが行われている。
社会福祉士は、1987年に公布された「社会福祉士及び介護福祉士法」に基づく資格であり、目的は、障害を持つ人々に対する援助とされている。資格取得者の職場の中心は、社会福祉施設など障害を持つ人々に対する直接支援を行う場である。
精神保健福祉士は、1997年に公布された「精神保健福祉士法」に基づく資格であり、目的は「精神保健の向上及び精神障害者の福祉の増進に寄与すること」である。また業務内容は、社会復帰のための「助言、指導、日常生活への適応のために必要な訓練その他の援助」と規定されている。語弊を恐れずに言えば、「精神保健の向上」のついでに「精神障害者の福祉の増進」が実現される。現在は社会の中にいない精神障害者を社会に「復帰」させるためには、社会に「適応」できるように「訓練」する必要がある。要請される職務の性格上、資格取得者の職場は、精神科を中心とする医療機関や行政機関が中心となる。
精神保健福祉士法の「上から目線」風味の根源は、精神障害者の「座敷牢」への閉じ込めを認めた1900年の精神病者監護法から現行の精神保健福祉法(1995年施行)に至る、日本の精神保健福祉にある。現在、「座敷牢」は認められていないが、精神保健福祉法は強制入院の法的根拠となっている。目的は、一貫して「社会防衛」だ。この枠組のもとで、1995年に制度化された精神保健福祉士資格の目的が「社会防衛」となることは、いわば必然である。これは、本人のための福祉を基本とする社会福祉士と、根本的に異なる点である。
■日本の「精神科長期入院」という課題
1997年に精神保健福祉士制度が発足した背景の一つは、当時、約34万人に達していた精神科入院患者を地域に移行させる必要性であった。
日本の突出した精神科入院患者数は、1960年代以来、重大な人権侵害として、国内外からの批判にさらされ続けてきている。精神科入院患者は少しずつ減少しているが、2017年もなお約28万人であり、全世界の精神科入院患者の約20%が日本に集中していることになる。
精神科入院患者の地域移行が進まない理由として挙げられるのは、「地域の理解が進まない」「地域に?受け皿?がない」ということである。障害者グループホームの建設が地域の激しい反対に遭う事例は、現在も多い。一般賃貸住宅への入居となると、さらにハードルが高くなる。
しかし、今回の精神保健福祉士養成課程の改定に危機感を抱くベテラン精神保健福祉士のNさんによれば、精神科入院患者の退院促進と地域移行を阻む最大の要因は、地域の無理解ではなく、福祉と医療の?カネ?の問題である。
■「病院の方がマシ」という究極の選択
Nさん自身は、地域の精神保健福祉の現場で、退院促進、地域移行、そして地域への定着を援助しつづけてきた。しかし、家族の反対によって退院できない事例も多い。
「自分の家から精神科入院患者が出たというだけで、地域から浮き上がってしまったり、親戚づきあいから孤立してしまったりする家族も多いんです。退院にあたっての理解や支援は、期待できません」(Nさん)
充分に地域で暮らしていける病状なのに家族の無理解によって退院できない患者がいる一方で、病状は重いけれども家族や支援者の理解によって地域生活を営める患者もいる。Nさんは、同僚と「運だねえ」と嘆息しあうことがあるという。公的制度の役割の一つは、運や当たり外れをなくすことにあるはずだが、その役割が果たされているとは言えない。
〔写真〕医師・看護師・福祉団体職員らとともに在宅の精神障害者の支援策を話し合う精神保健福祉士
それでも、本人が強く決意して退院し、地域生活を始めたとする。障害基礎年金は、1級でも生活保護費より少ない。生活保護の申請と利用は必須であるはずだ。しかし、生活保護を申請すると、家族に「扶養照会」が行われる。中には、「自分が扶養するので生活保護は不要」と回答し、実際には何の支援も行わない家族もいる。「身内が生活保護受給者」という?恥?を避けるためだ。
本人は、生活保護が必要なのに利用できず、障害基礎年金での苦しい生活を余儀なくされることになる。すると、「まだ病院の方が生活はラク」ということになる。障害基礎年金から入院費を支払う必要はあるが、高額療養費の限度額にとどまり、ごくわずかな小遣い程度の現金は手元に残る。
■「退院して生活保護」が歓迎されない?カネ?の事情
自治体にとって、「地域で生活保護より病院」という選択が?トク?かどうかは微妙なところだ。
精神科病院に入院すると、年間約500万円の医療費が必要になる。この費用は、国民健康保険・国民年金、または生活保護制度によって支出される。年金の国庫負担率は50%だが、国民健康保険と生活保護の国庫負担率は75%だ。
全額が生活保護によって賄われるのであれば、入院より地域生活の方が?安上がり?になるはずだ。介護や見守りなど福祉サービスの費用を含めても、生活保護での地域生活に必要な費用は年間約300万円程度という試算がある。しかし、「地域に移行したら、もう入院することはない」というわけではない。病状の変化によって入院したり地域生活したりすれば、場合によっては入院費用と地域の住居の維持費用が同時に必要になる。
生活の場が変わるたびに、細やかなケースワークが必要になり、自治体の人件費削減も難しくなる。Nさんは、「結局、社会保障費や医療費を抑制したい国の意向を、みんなで?忖度?しあっているのではないか」と見ている。
■結局、負担を押し付けられるのは地域とあなた
それでも、精神科長期入院患者は、これから自然に減少していくであろう。数十年にわたって精神科病院に?滞留?させられて年老いてしまった「社会的入院」患者たちは、自然の流れで寿命を迎えるからだ。
厚労省も、新規に社会的入院患者を作らない方針で数多くの施策を実施している。特に若年層に対しては、早期に入院して早期に退院させる方向性が強まってきた。長期入院の報酬も削減され、精神科病院にとって?ワリに合わない?ものとなった。このため、長期入院化は起こりにくくなった。今後の精神保健福祉は、自然の流れとして、精神障害者が地域で生活していることを前提としたものへシフトしていくだろう。それ自体は、歓迎すべきことだ。
しかしNさんは、現在でも生活保護や公的扶助制度を知らない精神保健福祉士が多い現状を「国の方針は、市町村に責任を押し付ける方向で一貫しています」と憂慮する。
たとえば、地域で触法障害者を処遇し、刑務所の福祉施設化を防ぐ方針も打ち出されている。しかし、そのためには専門家が必要だ。増大する人件費は、委託によって抑制することも可能だが、支援の質が下がることの責任は各自治体が負う。
これらの方向性は、2016年に厚労省が提唱した「『我が事・丸ごと』地域共生社会」という考え方、および同年に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」に示されている。困難を抱えた人を地域で支援するには、福祉・介護・医療の分野で続く深刻な人材不足を解消する必要があるはずだ。人材不足の原因は、まず、賃金の低さや劣悪な労働条件にある。改善するには費用が必要だが、もしも「地域力」を高めてボランティアを活用することができれば、費用は増加しない。
障害者や福祉関係者の中には、「他人事・丸投げ」と揶揄する声もる。「貧」や「困」を抱えた人々は、政府にとって「他人事」である。だから、政府は支援を地域に「丸投げ」するというわけだ。厳しい財政状況の中で、政府からの財政支援も受けられない地方自治体に残される選択肢の一つは、地域の善意や無償の労働力に頼ることである。結果として支援の質が低下したときに責任を問われるのは、充分な「地域力」を確保できない地域だ。
ともあれ、厚労省の「我が事・まるごと」方針がそのまま実施されれば、地域住民が責任と役割を負うことになる。いずれ、地域住民から「精神障害者は病院か施設に閉じ込めておいてほしい」という声が上がるかもしれない。
経済的支援とケースワーカーによる人的支援がセットになっている生活保護制度は、精神障害者の地域移行を最も強力に推進できるはずだ。しかし、精神保健福祉士の養成課程からは、生活保護に関する科目が消えようとしている。Nさんは、「結局、生活保護を申請させないようにしたいんでしょうね。情けないです。『ソーシャルワークはするな』と言われている気がします」と嘆息する。
この動きを押し留めることができなければ、あなたが支援を必要とするとき、利用できない可能性が高くなる。さらに、課せられる見えない?税金?も増えるかもしれない。