第76回 書評? 熊沢誠『格差社会ニッポンで働くということ』岩波書店

『週刊エコノミスト』2007年10月2日号掲載

熊沢 誠著『格差社会ニッポンで働くということ――雇用と労働のゆくえをみつめて』
岩波書店、1995円

労働世界をパノラマで展望し、組合の責任も鋭く指摘

ここ2年余り、格差社会の進行とホワイトカラー・エグゼンプションの導入をめぐる政治状況が重なって、ワーキングプアと過労死を焦点に、働き方をめぐる議論が空前の規模で巻き起こってきた。

経済誌はもちろん、新聞やテレビも、正社員と非正規労働者の二極分化と、両者の労働環境の悪化について競うように報道してきた。またこの間にはフリーターや派遣その他の雇用・労働問題を扱った単行本がかつてなく多数出版され、ブームの観さえ呈してきた。

本書は数ある類書に単に新たな1冊を付け加えたものではない。従来の類書の多くは雇用と労働の現場に取材し、あるいは賃金や労働時間の統計に語らせ、格差や働きすぎの実態を抉っている点で有益であるが、それらはジグソーパズルの嵌め絵の断片を描いていて、全体像が見えない恨みがあった。

しかし、本書は格差社会の構造をいくつもの断片に切り分けて分析しているだけでなく、それぞれの断片をしかるべき位置に置いて、今日の労働世界の全容を「パノラマ」として浮かび上がらせることに成功している。これは多年にわたって日本の社会政策論と労使関係論の第一線で活躍してきた著者にしてなしえたことである。

本書は労働所得格差の諸相を、女性および若年者において著しい正規雇用と非正規雇用の間の賃金格差にとどまらず、支払い能力格差を背景にした大企業と中小企業の間の賃金格差、また能力主義管理や成果主義賃金によって拡大された個人別賃金格差にも立ち入って考察している。その分析を貫くのは、「恵まれた仕事」と単純労働の間の階層形成を踏まえ、雇用形態別、性別、職業別、所得階級別に格差の全体構造を捉える視点である。

その際、新自由主義に立つ小泉構造改革の影響という短期の視点と、1970代半ば以降の人事・労務管理の変容と雇用形態の多様化の影響という長期の視点をうまく接合しているのも、本書の特色である。

類書に欠け、本書が重視する論点の1つは、労働組合の責任である。格差の拡大には労使関係が深くかかわっているが、80年代以降、日本の労働組合は無力化してきた。その結果、ワーキングプアや過労死をめぐる新聞の投書をみても労働組合の存在そのものが視界から消えてしまっている。格差の是正を進めるうえで期待されているのは、政治の役割とともに労働組合の役割である。それを考えるためにも一読を薦めたい。

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