エコノミスト 2011年11月29日号
ロナルド・ドーア『金融が乗っ取る世界経済――21世紀の憂鬱』中公新書
金融化をキーワードに世界経済の流れを読み解く
100年に1度の金融危機が世界を震撼させたのは3年前であった。その記憶も覚めやらぬうちに、ギリシャ発の暗雲が金融界を包んでいる。本書はこうした世界経済を見据えて、過去30年にわたる経済の流れを「金融化」をキーワードに大胆かつ縦横に論じた労作である。
金融化とは、本書によれば、金融機関が経済に対する支配権を強め、株式会社の実権が経営者から投資家に移行してきたことを言う。これは「グローバル化」と似ていて、米英だけでなく、日本やヨーロッパの企業もその波にのまれてきた。
イギリス人でイタリアに住む著者は、1950年に東京大学に留学して以来、日本の教育や農村事情や工場制度や資本主義の研究をしてきた。「老いて益々盛ん」の喩え通り、ここ数年でも、本書のほかに『働くということ』(中公新書)や『誰のための会社にするか』(岩波新書)を著している。本書の特色も著者のこうした経歴と無関係ではない。
サブプライムローン問題に例を見るような、投機と絡んだ証券化の「洗練された」技法を考察する場合にも、著者の目は労働者に注がれている。金融化の進行につれて、賃金は抑えられ雇用は不安定になり、「国民の大多数の安定した中流の生活も、不 安に満ちたものに変わる」。
金融化は、金融的利益の追求を梃子に経済を突き動かしてきただけでなく、政治や人材形成や社会保障までも金融本位に変えてきた。もともと教育に詳しい著者は、金融化の弊害の一つとして、「各世代の最も優秀な人材が金融業界に吸収されすぎたこと」を挙げている。
ハーバード大学やMITなどのビジネス・スクールは、卒業生を主に証券会社や投資ファンドに送り込む機関と化した。そればかりか、アメリカの大学の工学部や理学部の優秀な卒業生までも、 しばしば金融機関にスカウトされてしまう。
日本がきわめて短期間のうちに、従業員の福祉にも配慮した「準共同体的企業の国」から「株主主権主義」の国に傾斜してきたのも、アメリカでMBAやPhDを取ってきた「洗脳世代」が政財界の中堅幹部になり、世論形成により多くの影響力を持つようになったからでる。
余人の追随を許さない世界的視野から金融化を考察した著者は、最後に中国の動向に注目する。西太平洋の覇権が中国に移ることが必至な今、日本はなおも米国に密着しているのか。米中が不幸な衝突に突き進まないよう立ち回わることができるのか。
これが本書の最後の問である。