今日はメーデーでした。メーデーが8時間運動と深い関係があることはよく知られています。初期のメーデーには、1日の24時間について「8時間は仕事のために、8時間は睡眠のために、8時間は娯楽のために」というスローガンが掲げられたこともそこそこ知られています。
しかし、それがニュージーランドにおける8時間労働制の父とされるサミュエル・パーネル(1810〜1890、建築職人)によって提唱されたことはあまり知られていません。英語版のウキペディアによると、パーネルは、「われわれは1日に24時間与えられている。そのうち8時間は仕事のために、8時間は睡眠のために、そして残りの8時間は、ささやかながら男たちが自分たちの好きなことをする娯楽のためにあるべきだ」(注)と述べたそうです。
不思議なことに、これを簡略にした表現は、最初の8時間が仕事のためとなっている点では同一であっても、次の8時間は睡眠(sleep)になっているバージョンと、娯楽(recreation)になっているバージョンがあります。そして、後者のバージョンでは、最後の8時間はたいてい休息(rest)となっています。なかには、第2の8時間が休息(rest)、第3の8時間が娯楽(recreation)となっている変種もあります。
こんなことはどうでもいいことですが、見過ごせないのは、この8時間運動の古典的スローガンは、家父長制的男性社会の影響を色濃く帯びていることです。その証拠に、「8時間は仕事、8時間は睡眠、8時間は娯楽」の24時間には、家事労働は存在する余地がありません。家事労働は「さしすせそ」(裁縫のさ、躾けのし、炊事のす、洗濯のせ、掃除のそ)と言われます。いまならこれに買い物のかと介護のかを加えるべきかもしれません。ところが、メーデーの古典的スローガンにおいては、この「さしすせそかか」は、社会生活の維持にまったく必要ないかのようです。
しかし、8時間労働のスローガンを最初に唱えたパーネルは、それが男性のかけ声であることを認めていました。彼の考えでは、8時間の労働と8時間の睡眠が必要なことは男性に限られないとしても、残る8時間の娯楽は、ささやかながら自分たちの好きなことをする男たちのために必要だというのです。そこには女性、したがってまた妻は、たとえ労働者であっても出てきません。ということは19世紀の後半は、労働運動全般がそうであったように、8時間運動ももっぱら男性の運動であったことを意味しています。
日本の男性正社員は今日でも週休2日を前提にすると、平均1日10時間働いています。しかも彼らは家事労働をほとんどしていません。私は、機会あるごとに、家事労働をほとんどせず、サービス残業を厭わず、能動的生活時間のほとんどすべてを会社に捧げる日本的男性正社員モデルこそが、日本的な過重労働と過労死の原因であると書いてきました。それだけに、8時間労働いうと19世紀にあっては先進的要求を掲げながらも、家事労働をしない男性中心の働き方を絵に描いたようなスローガンに無頓着ではいられません。
(注)原文はこうなっています。“There are twenty-four hours per day given us; eight of these should be for work, eight for sleep, and the remaining eight for recreation and in which for men to do what little things they want for themselves”.