第256回 産業競争力会議が提唱する労働時間制度をめぐる七不思議

 安倍内閣の下に置かれた産業競争力会議は、4月22日、労働時間制度の新たな規制緩和案を提示しました。それは普通では理解しがたいことが多いという意味で不思議だらけです。ここではそのうち七つの不思議について考えてみましょう。

1 労働時間制度が経済成長戦略として検討される不思議
 産業競争力会議は安倍内閣の成長戦略をについて審議するために設けられた政府機関です。産業競争力が成長戦略に関係するのは分かりますが、労働時間制度の規制緩和がなぜ産業競争力に直結しているのでしょうか。あるいはなぜ成長戦略の柱に位置づけられるのでしょうか。今回発表された同会議の文書では「労働生産性の向上」がしきりに強調されているところから考えると、「少ない人数でもっと長時間働いて生産性を上げろ」と言っているように聞こえます。だとすればそれは「労働者をもっと搾らなければ、日本経済の成長はありえない」と言っているのも同然です。

2 労働者代表も厚労大臣もいない場で雇用・労働政策を議論する不思議
 まえ(第239回)にも書きましたが、同会議は8人の政府委員と10人の民間委員から構成されています。雇用や労働時間のいっそうの規制緩和が大きな柱の一つでありながら、政府委員は首相と官房長官のほかは財務、金融、産業・経済、科学技術、規制改革関係の大臣ばかりで、厚生労働大臣は入っていません。民間委員の10人中8人は民間企業のトップです。学識経験者と目される竹中平蔵氏もパソナという人材派遣業を営む民間企業のトップです。いずれにせよ、労働界の代表は1人もいません。

3 第1次安倍内閣で見送られた「残業ただ働き法案」が生き返る不思議
 わたしは、2007年に政権を投げ出した安倍晋三氏が自民党の新総裁に選出された2012年9月(第197回)に、「総選挙で安倍首相が誕生すると、残業ただ働き法案が生き返らないともかぎりません」と書きました。今回の提案は、各紙が報道しているように、「残業ただ働き法案」とか「過労死促進法案」と批判され、第1次安倍内閣の下で「国民の理解が得られていない」という理由で断念された、「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」(WE)を化粧直ししたものです。

4 もっとハードな働き方が柔軟な働き方を可能にするという不思議
 賃金を労働時間の長さに関係なく仕事の成果で決めるという今回提案されている制度は、残業という概念をなくし、企業の残業代支払義務を免除するというのですから、結局は労働者に今まで以上にハードな働き方を迫らずにはおきません。にもかかわらず、産業競争力会議は、新しい労働時間制度は「自由」で「柔軟」な働き方を可能にすると言います。実は、東京都知事の舛添要一氏は、第1次安倍内閣の厚生労働大臣であったの2007年9月に、ホワイトカラー・エグゼンプションは「家族団らん法」と呼ぶべきで、これが導入されれば、労働者は残業代が出なくなるので早く帰宅し、家族団らんが促進されるという主旨の見え透いたウソをついたことがあります。今回の提案も、現在でも「自律的な働き方をする労働者」が大量にいるというウソと、労働時間規制を外せば、労働者はもっと自由で柔軟に働けるようになるというウソとで塗り固められています。

5 青天井の36協定を認める労働組合が歯止めになるという不思議
 労働時間制度の新提案はAタイプ(労働時間上限要件型)とBタイプ(高収入・ハイパフォーマー型)のセットとして示されています。いずれも「導入においては一定の試行期間を設け、当初は過半数組合のある企業に限定」するとしています。しかし、労働組合との協定は何の歯止めにもなりません。労働基準法の36条では、使用者は、労働者の過半数で組織された労働組合またはそれに代わる者との間で協定(36協定)を結んで労働基準監督署に届け出れば、時間外および休日にいくら働かせても罰せられないことになっています。この制度は、労働組合が労働時間の規制力をもつことを前提にしていますが、実際には労働組合のほとんどは青天井の36協定の締結に同意しています。東京新聞の調査では、労働組合と結んだ協定のほうが、組合に代わる過半数代表との協定より、延長時間が長いことも分かっています(2012年8月8日)。

6 労働者は会社の求める働き方に「ノー」と言えるという不思議
 産業競争力会議の労働時間の規制緩和提案は、AタイプもBタイプも「本人の希望選択に基づき決定」されるものとなっています。労働組合の後ろ盾のない労働者が、使用者の求める働き方を拒否できるとは考えられません。労働組合に強いイギリスにおいてすら労働時間規制の適用除外についての労働者本人の同意制は有名無実化していると言われています。EUでは労働指令で週労働時間は48時間を超えてはならないと厳格に規制されていますが、イギリスはその制度を受け入れる際に、本人の同意があれば48時間以上働かせることができるという特例制度(オプトアウト)を導入しました。その結果、派遣労働者は同制度への同意を求められて、ノーということはほとんどできないと言われています。労働組合の強いイギリスでもそうなのですから、日本では推して知るべしです。

7 「過労死防止法案」をまとめながら「過労死推進法案」を持ち出す不思議
 4月23日のNHKニュースは、「過労死や過労自殺の防止対策の法制化を検討している超党派の議員連盟は、(自民党案を受けて)、実態調査や相談体制の整備など、政府の取り組みを定めた法案を今の国会に議員立法で提出し、成立を目指すことを確認しました」と伝えています。これは歓迎すべきことですが、一方で「過労死防止法案」をまとめながら、他方で過労死を推進する恐れのある労働時間制度を導入することは、理解に苦しみます。産業競争力会議の今回の文書は、冒頭で「過去の労働改革においては、働き過ぎやそれに伴う過労死、なかんずく法令の主旨を尊重しない企業の存在のために、前向きな議論や検討が妨げられてきたケースもある」と述べています。今回の提案は自らが認める過去の愚を繰り返すものと言わなければなりません。

 労働時間の適正な把握にもとづく労働者の健康と安全の管理はなによりも企業の責任であり、政府は企業のこの責任を指導監督する立場にあります。そのことを曖昧にして、働きすぎやそれにともなう過労死をなくすことはできません。

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