6月24日、政府は「新成長戦略」(「日本再興戦略」改訂2014−未来への挑戦)の基本方針を閣議決定しました。それは労働時間制度の改革について次のように述べています。
「時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応えるため、一定の年収要件(例えば少なくとも年収1000万円以上)を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、健康確保や仕事と生活の調和を図りつつ、労働時間の長さと賃金のリンクを切り離した「新たな労働時間制度」を創設することとし、労働政策審議会で検討し、結論を得た上で、次期通常国会を目途に所要の法的措置を講ずる」。
これは第2次安部内閣のもとで昨年1月に発足した産業競争力会議で議論されてきものです。同会議が6月16日に発表した文書にもそっくり同じことが書かれていました。今回、閣議決定されたことで、この夏から秋にかけて厚労省の労政審(労働政策審議会)で検討され、その結果を受けて、来年1月からの次期通常国会に上程、という運びになりそうです。労政審では労働側が強く反対するでしょう。
6月17日の日経新聞のインタビュー記事によれば、連合総研副所長・龍井葉二氏は、「新たな労働時間制度」案を次のように批判しています。
「働く人の過労を招く政策でとても認められない。労働時間の制限を取り払えば、求められる成果がどんどん上がり、際限なく働くことになる。成果で評価すれば働く時間が減るというのは実態を知らない人の議論だ」
「雇用とは働く人が決まった時間だけ会社の指示に従う契約だ。時間を決めずに指示に従うなら奴隷労働になってしまう。労働時間の上限は明治時代に、工場労働者の過労を防ぐために生まれたものだ。今回の提案は明治以前に戻る改革だ」
「金額にかかわらず反対だ。年収が高くても過労死する人はいる。対象を絞っても、後から広げることもできる。労働者派遣制度も最初は専門的な仕事に限定していたが、のちに原則自由化され、派遣期間も延びた」
労働側がこうした立場を貫くなら、そう簡単にまとまるとは思えません。けれど、世論の批判や反対運動が盛り上がらなければ、強行される恐れがあります。ネット上の議論を見ていると、以前のWE(ホワイトカラー・エグゼンプション)導入論議のときと同じように働く人々の間には強い反発があるようです。ですが、さしあたりは年収1000以上という高賃金層に限定しているうえに、批判や疑問をかわすために、労基署による監督指導の徹底、長時間労働の抑制、年次有給休暇の取得促進などの空手形を乱発して、まるで時短のための改革であるかのような装いを凝らしているので、反対世論が沈静化させられる心配もあります。
さしあたりの対象とされる「年収1000万円以上」の労働者の多くは、40歳台から50歳台の年代層です。毎年6月に発表される厚労省の「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」をみても分かるように、この年代層では過労死が多発しています。過労死の一形態である過労自殺は40歳台から30歳台、さらには20歳台に広がって増え続けていますが、40〜50歳台の働き方に影響する制度が、30歳台あるいは20歳台に影響しないわけはありません。
成果を上げる人は労働時間が短くなるなんてことはありまえせん。むしろそういう人は、仕事の要請度が高まり今よりもっと働かされることになるでしょう。残業代がなくなれば早く帰宅するようになるという解説もありますが、いまでも長時間のサービス残業を毎日強いられ、通勤時間を入れると、帰宅は夜の10時、11時という労働者も少なくありません。1日15時間働いても残業代がつかないブッラク企業の横行も問題になっています。残業代が出なければ労働時間が短くなると言う学者や経営者は、現実をまったく知らない人か、承知でウソをつく人です。
そもそも働きすぎの歯止めをなくす制度は、「希望する働き手のニーズに応えるために」創設するという言い方からして、ウソが見え透いています。もっと正直に、「日本を世界で一番労働者を働かせやすい国にするために」、企業の側のニーズに応えて導入すると言うべきです。
政府が進める労働時間の規制撤廃は、このほど成立した過労死防止法の理念とは相容れません。防止法がその目的に掲げる「過労死等がなく、仕事と生活を調和させ、健康で充実して働き続けることのできる社会の実現」は、労働時間の規制を外すことによっては達成されません。過労死防止法が実現したことは、働きすぎ/働かせすぎにストップをかける大きな力になると考えられます。過労死家族の会や過労死弁護団は、近く労働時間の規制外しに反対する声明を出すと聞いています。労働組合でも、今後、防止法を盾に過労死・過労自殺を促進する「残業代ゼロ制度」の反対運動を進めるものと期待されます。