第276回 紅白は日本社会に立ちはだかる壁のような存在です

私は大晦日の「国民的行事」とされてきたNHKの紅白歌合戦は見ないことにしています。2012年に話題を呼んだ美輪明宏の「「ヨイトマケの唄」もネットで聴きました。

社会学者の太田省一さんの『紅白歌合戦と日本人』 (筑摩選書、2013年) によれば「紅白歌合戦は日本人の安住の地」だそうです。1951年の第1回から数えて今年で65回を迎えるお化け番組にふさわしい表現かもしれません。かつての6〜7割台と比べるとかなり下がったとはいえ、今でも3〜4割台という視聴率を維持しているのですから。

しかし、私は、紅白歌合戦は働き手を男性軍(白組)と女性軍(紅組)とに引き裂いている点で「日本の社会進歩を妨げている性別分業の壁」を象徴する存在であると言いたいと思います。

紅白の起源は敗戦直後の1945年の大晦日に放送されて大きな反響を呼んだ『紅白音楽試合』というラジオ番組だそうです。戦後の民主化がまだ始まる前の、日本社会が今よりはるかに強固な男性中心社会であった時代に、紅白対抗という形式が多数のリスナーに受け入れられたのはなぜでしょうか。

この形式は人数の上では「男女平等」です。それが受け入れられたと考えれば、新日本の新しい空気とマッチしていたと解釈することもできます。しかし、たとえ出場者数は男女同一でも、紅白対抗形式ではない、「日本レコード大賞」のような混合形式や、今年の「ものまね紅白歌合戦」のような紅白は名だけの個人戦であったならどうでしょうか。その場合は、たぶん視聴率が7割を超えるようなお化け番組には育たなかったでしょう。視聴者が安心して受け入れたのは、紅白という対抗形式のゆえです。言ってみれば、女は赤(赤は女)という今なお支配的な社会通念が視聴者をして紅白という番組をすんなり受け入れさせたのです。

近年の紅白の視聴率低下の原因については、長寿化にともなうマンネリズム、音楽文化の多様化にともなう世代間ギャップの拡大、スーパースター的大歌手の不在などの要因が指摘されているようです。しかし、視聴者のなかには、紅白に男と女は別というジェンダー的組分け思想をそれとなく感じ取って、嫌気がさして離れる動きが広がっているということも、視聴率低下につながっているのではないでしょうか。

「男は仕事・女は家庭」あるいは「男は残業・女はパート」という働き方の性別分業と、紅白という組分け対抗形式は無関係ではありません。紅白対抗形式は一見「男女平等」のようにみえますが、男性と女性とは住む世界が違う、社会の中心には男性がいるという構図は変えずに、女性にも「活躍」の場を与えるという男性優位の思想を表しています。その意味では、夫婦別姓をかたくなに拒む思想と同根です。

安倍内閣が唱える「女性活躍推進戦略」の根っこにも紅白と同じ思想があります。この戦略を推進する20名の産業競争力会議のメンバーのうち女性は2人だけです。これでは紅白的な数の平等さえない構成で、紅白的な女性の活躍を議論しているようなものです。

話しは少し飛躍しますが、伊藤園に「おーいお茶」というペットボトル商品があります。ネットにはアメリカ在住の経営コンサルタントの海部美知さんがこの商品名を男尊女卑的ではないかと指摘して大炎上したという情報が出ています。「おーい」(おい)という日本語は目上の者が目下の者に使うか、男性が女性に使う言葉です。「おーいお茶」に疑問を抱く人は、紅白にも疑問を抱くのではないかと思います。

1990年代後半に住友金属(現新日鐵住金)の女性差別裁判を支援しているときに、法廷に資料として提出するために、住金の女性労働者たちに取材したあるアメリカの新聞の記事を翻訳したことがありました。その記事で興味を引いたのは、職場で男性社員がお茶を飲むとき、ポットの使い方が要領を得ず、女性社員を「おーい」と呼ぶというのです。かたちはかわっても、こういう紅白型の時代遅れの職場はまだなくなっていません。

そう思うと嫌気がさして紅白を見る気にはなれません。

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