第277回 現在のブラック企業の働かせ方の原型は『女工哀史』にあります

週刊『エコノミスト』の本年9月16日号で、川人博弁護士の『過労自殺第二版』(岩波新書)を紹介しました。本書は、戦前の諏訪湖畔の製糸工場で働く女性労働者のあいだで過労自殺が多発したことに触れて、その実態は現代の過労自殺と多くの面で共通していると指摘しています。当時の製糸女工の苛酷な働かせ方については、山本茂美『あゝ野麦峠――ある製糸工女哀史』(角川文庫、初版は1968年)に詳しく描かれています。

『あゝ野麦峠』は、明治から大正にかけての日本の代表的輸出産業であった生糸産業における製糸女工の話です。他方、ここに取り上げる細井和喜蔵『女工哀史』(岩波文庫、原書は1925年)は、大阪が「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大正期の紡績工場を舞台に書かれた話です。これを読むと、現在のブラック企業の働かせ方はさながら女工哀史ではないかとさえ思えてきます。以下ではその事例のいくつかの引用で示し、簡単にコメントしておきます。

引用?「社員と職工との階級的差別は実にひどい。一例をここに挙げるならば工場には数番の電話が取ってあってそのいずれもが何時も公用で塞がっているわけではない。社員連はこれによって弁当の注文も出来るし、待合(現在のラブホ)へかけることも自由だ。しかしながら職工はどんな急用の場合でも断じてその使用をゆるされることがない」(p.58)。

携帯電話の普及した現在では、従業員が社内の電話で外線にかけることは少なくなりました。しかし、現在は、かたちこそ違え、正社員には社用の携帯電話が与えられていても、非正社員には与えられないという差別はめずらしくありません。非正社員には、正社員に割り当てられる社用のメールアドレスがない、名刺もないところが多いのではないでしょうか。非正社員、とくに派遣は、社員食堂を使えず、食堂の社員割引も利用できないという会社もあると聞きます。非正社員は、有休がない、育休・産休がない、健康診断が受けられないという、「ないないづくし」の会社のほうが多いと思われます。

引用?「いずれの工場へ行っても、女工は十年おっても二十年おっても依然として女工以上の待遇へ昇れないが、事務所の給仕は初めから雇員の待遇を受ける。東京モスリンなどは女給仕が雇員待遇で毎半期の賞与を五十円から百円までくらい貰うのに対して、女工は十円か二十円しか貰えない。かくのごとき矛盾がまたと世にあろうか?」(p.59)。

これは今日のパートタイム労働者にも当てはまります。パートには賞与・諸手当はほとんどないか、あってもわずかです。厚労省の2013年「賃金構造基本統計調査」によって「年間賞与その他特別給与額」を見ると、全年齢の平均で、正社員は93万円(男性103万円、女性69万円)ですが、非正社員は5分の1の18万円(男性22万円、女性14万円)です。この場合、仕事の内容や責任や時間が違うとはいえ、女性の非正社員は、男性正社員の7分の1しか貰っていないことになります(注:ここでは正社員は「正社員・正職員のうち、雇用期間の定め無し」、非正社員は「正社員・正職員以外のうち、雇用期間の定め有り」の数字を用いた)。

引用?「(工場では)『辞職勧告』と言って大勢で身を引くように勧める……。会社から解雇すれば手当てをやらねばならぬ故、それを出さないためにかくするのである。/『よし、君が温和しく止さなければ解雇しよう。その代わりに不都合な行為があって解雇したと各工場に通知するよ。もしここから黒表(ブラックリスト)を廻してみたまえ、どこへ行っても君は駄目だ。それに依願解雇なら、困った時再び入社も出来るが、不都合解雇では絶対にもうここへは入社できないからね。どっちでも君のいいようにするがいい』(pp.124〜125)。

現在もブラック企業は、労働者を酷使してうつ病などに追い込み、就労を困難にし、事実上は解雇を強要しているような場合でも、労働者の側から「自己都合退職」を申し出るように仕向けるためにあれこれの手法を用いています。わけてもよくあるのは、会社都合の解雇は訴訟で負けるリスクがあるために、経営上は好業績で解雇の合理的な必要性など少しもない場合でも、執拗で陰湿ないじめ、嫌がらせ、パワハラなどで無理矢理「自己都合退職」に追い込む手法です。

引用?「一年三百有余日残業するところがはたして欧米にあるだろうか?/これを私は『強制的残業政策』という。まことに不都合な残業のためであってもし要用のため十一時間で帰ろうと思えば、早退の手続きが要るのである。自由服夜業もその通りで名目は大層立派だが、一夜に僅か金五銭くらいな『夜業手当』でもって、無智な彼女たちを釣ろうという魂胆に外ならない」(p.131)。

現在でもこれに類した職場は少なくない。過労死や過労自殺の事例は、1日11時間、酷い場合には15時間も働かせながら、残業代は一部しかつかないか、まったくない職場がレアな存在ではないことを示している。

以上に見た範囲だけでも、『女工哀史』に出てくる働かせ方の実態は、現在のブラック企業的な働かせ方によく似ています。ある意味でブラック企業の原型は女工哀史にあるとさえ言えます。なぜそういうことになってきたのでしょうか。私の考えでは、ことの背景には雇用・労働分野の規制緩和が進み、労働者の権利が次々と剥ぎ取られてきたという事情があります。そのうえ、労働組合の交渉力が弱くなるとともに、組織率が低くなって、労働組合が闘ってこそ守られる労働者の権利が眠り込まされてきたことも影響しています。さらに近年では、労働基準の底が抜けて、労基法など知らぬ存ぜぬの無法会社が増えてきたことも無視できません。川人氏は、現在の過労自殺の多くの事例を紹介して、いまや日本は戦前の「女工哀史」の時代の「剥き出しの資本主義」に後戻りしつつあると言っています。私もそれは否定できないと思います。

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