第310回 「とと姉ちゃん」から旧高商で「商業」が禁圧された歴史を想う

今回は脱線して、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」に関連した話をすることをお許しください。今週のあらすじを見ると、1941年の太平洋戦争突入後、ヒロインの常子が勤める出版社も一段と厳しい言論統制におかれるようになります。深川の木材商は個人営業が禁止され、材木問屋の青柳商店を営む祖母の滝子は陸軍の統制下に入るという苦渋の決断をするそうです。

このことを知って、戦時中に戦後の新制国立大学の経済学部の前身である高等商業学校(旧高商)で「商業」の看板を掲げることが禁止された歴史を想い起こしました。

以下は関西大学経済学部の100周年記念誌(2004年)にあらまし書いたことですが、高商や商科大から 「商業」が一斉に排除されたのは1944(昭和19)年3、4月です。その法的根拠になったのは、1943(昭和18)年10月12日閣議決定の「教育ニ関スル戦時非常措置方策」と、それを受けた同年12月21日閣議決定の「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備要領」です。

前者は、冒頭に「現時局ニ対処スル国内態勢強化方策ノ一環トシテ学校教育ニ関スル戦時非常措置ヲ講ジ、施策ノ目標ヲ悠久ナル国運ノ発展ヲ考ヘツツ、当面ノ戦争遂行力ノ増強ヲ図ルノ一事ニ集中スルモノトス」という方針を掲げています。そして、国民学校、青年学校、中等学校などについて教育内容を「生産ノ増強、戦力ノ増進ニ資スル」ものに「刷新」することことに関連して、「男子商業学校ニ就テハ昭和十九年度ニ於テ工業学校、農業学校、女子商業学校ニ転換スルモノヲ除キ、之ヲ整理縮小ス」としています。

後者は、さらに「高等商業学校ニ付テハ一部ハ之ヲ工業専門学校ニ転換シ其ノ他ハ生産技術ヲモ修得セル工業経営者ヲ養成スベキ工業経営専門学校(仮称)又ハ従来ノ高等商業教育ノ内容ヲ刷新シタル経済専門学校(仮称)トス」としています。これは、高商を、工業専門学校、工業経営専門学校、経済専門学校に改称・改編せよという指令だと読めます。

ウィキペディアの「高等商業学校」の項をみると、「官立高商のうち高岡・彦根・和歌山の3校は工業専門学校に転換(彦根・和歌山は戦後経専に再転換したが、高岡は工専のまま廃校となった)、その他の高商はすべて経済専門学校(のちの経済学部)に改称され、東京商科大は東京産業大、神戸商業大は神戸経済大に改称された(前者は戦後の1947年、東京商大の旧称に復した)。 結局、市立の大阪商科大を例外として、全ての官立商大・高商の校名から「商」の文字が消えた」という説明があります。官立だけでなく私立も同じような改称・改編を余儀なくされたようです。

例外的に改称を免れた大阪商大も1944年4月に高等商業部を「大阪工業経営専門学校」変えさせられています。大阪商大の名が残ったのは、凶暴な軍部といえども、商都大阪の「商」を完全否定はできなかったということでしょうか。

戦争末期に「商業」が排斥されたのは、すでに戦時統制下で流通が配給制になっていたなかで、軍部が自由を志向する「商業」を徹底的に嫌い、商業無用論を唱え、高商を目の敵にしたからだと考えられます。大学時代の恩師からは「商いは武士(もののふ)の心にもとる」という理由で排斥されたと聞きました。

1944年3〜4月に実施されたこの廃商強制はもっと語られていい負の歴史だと思います。にもかかわらず、ほとんど語られていないのは、おそらく当時は軍事教練や学徒動員で大学自体が圧殺されていたという事情があって、当時の人々も関係者以外は知らず、戦後は忘れられたからではないでしょうか。

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