第322回 無理が通れば道理が引っ込む過労死残業法認の「政労使提案」

  3月17日開催の第9回「働き方改革実現会議」で、「時間外労働の上限規制等に関する政労使提案」なる文書が示されました。以下に述べるように、これは奇妙きてれつ、複雑怪奇、危険至極な規制緩和の「合意」です。

 1 奇妙きてれつ
経過から見てもこれはなんとも奇妙な合意です。さかのぼれば、2012年12月に総選挙で第二次安倍内閣が成立し、13年1月、アベノミクスの成長戦略を策定するために「産業競争力会議」がスタートしました。そして、同会議は14年4月22日の会合で、労働時間制度の新たな規制緩和案を提示しました。これが安倍内閣による労働時間制度改革の出発点です。私はその直後、この連続エッセイの第256回に、「産業競争力会議が提唱する労働時間制度をめぐる七不思議」と題して拙文を書きました。そこには次のような不思議を挙げておきました(??は省略)。
 
? 労働時間制度が経済成長戦略として検討される不思議
? 労働者代表も厚労大臣もいない場で雇用・労働政策を議論する不思議
? 第一次安倍内閣で見送られた「残業ただ働き法案」が生き返る不思議
? もっとハードな働き方が柔軟な働き方を可能にするという不思議
? 「過労死防止法案」をまとめながら「過労死推進法案」を持ち出す不思議  
 
そのときにも書きましたが、同会議は雇用や労働時間のいっそうの規制緩和を検討課題としながら、政府委員は首相と官房長官のほかは財務、金融、産業・経済、科学技術、規制改革関係の大臣ばかりで、厚生労働大臣は排除されていました。民間委員の10人中8人は民間企業のトップでした(人材派遣会社パソナ会長の竹中平蔵氏を含む)。つまり、労働界の代表は1人もいないところで、労働時間制度の改革論議は始まったのです。
 
今回の残業の上限設定に関する議論は、2016926日に安倍首相の私的諮問機関として設置された「働き方改革実現会議」で行われてきました。そこには閣僚の一員として厚生労働大臣が加わり、有識者枠15人の一員として、経団連会長の榊原定征氏とともに、連合会長の神津里季生氏が入りました。
 
神津氏が連合の会長であるからと言って労働者の代表にふさわしいかどうかは疑問です。長時間労働の是正と過労死の防止が課題なら、過労死遺家族の代表を入れるべきでした。しかし、そうならなかったのは、過労死防止の目標など端からなかったからだと考えられます。安倍内閣の「働き方改革」の原点からいえば、今回の「合意」は、政府と財界のあいだで土俵が作られていて、その土俵に途中から連合が上がらされて、政府・財界が合意した案を連合が呑まされたといえます。
 
2 複雑怪奇
労働基準法における労働時間についての規定は、いたずらに込み入っていてわかりにくいのが特徴ですが、今回の「政労使合意」は、複雑に怪奇がつくほどややこしくなっています。それは、法定労働時間である週40時間を超える時間外労働(残業)の限度を、週については設けずに、「月45時間、かつ、年360時間」とするとし、そのうえで、「特例として、臨時的な特別の事情がある場合」は、上限を「年720時間」とすることを認めると言います。月45時間、年360時間は「健康障害防止」の観点から定められた現行の限度時間が基準になっていることは理解できます。しかし、現行の基準にある週15時間がなぜ落ちたのかは疑問です。年720時間は360時間の倍であることはわかりますが、なぜ720時間が労働者の健康を確保するための限度として妥当なのかはわかりません。
 
もっと奇っ怪なのは、1か月だけが「100時間未満」とされ、2〜6か月の月平均は「80時間以内」、1年は「720時間以内」となっていることです。この100時間や80時間という基準値は、脳・心臓疾患の労災認定基準にいう過労死ラインからきています。しかし、厚労省の基準では、発症前1か月で「おおむね100時間超」か、2〜6か月の平均で1か月当たり「おおむね80時間超」の時間外・休日労働がある場合とされています。これからいえば「未満」とするか「以内」とするかはたいした問題ではありません。それをあえて「未満」としたのは、連合の合意を最後的に取り付けるための(見方のよっては連合に花を持たせるための)安倍首相の小細工にすぎず、おおむね意味のない政治的な茶番です。
 
もう一つ不可解なのは、単月100時間や複数月80時間は「休日労働を含んで(いる)」とされながら、年720時間は休日労働を別枠としていることです(休日労働を別枠扱いとしている点では「月45時間、年間360時間」も同様です)。法定休日は週1回(または4週間に4回)あります。これを含めれば、残業は、月平均80時間以内という縛りがあっても、年間最大960時間(=80時間×12ヵ月)までは可となります(3月18日「朝日新聞」朝刊)。
 
3 危険至極
単月100時間、複数月平均80時間、年960時間を許容する残業は、どれをとっても過労死ラインの長時間残業です。出勤日数を1か月20日(月4週×週5日)とすれば、月100時間は1日平均5時間の残業に相当します。しかし、今回の合意案は、1日および1週については、8時間および40時間という法定労働時間を超える延長の上限を定めていないので、1日10時間の残業(実働18時間)を10日続けてさせることも許されることになっています。これでは人間の身心は壊れてしまいます。このように死ぬほど働かせることを法認する合意案の法制化を許してはなりません。
 
4 規制緩和
私は最近書いたいくつかの拙稿のなかで、労働時間の制限と短縮は、今までのように労働時間の決定を企業あるいは労使自治に任せているかぎり期待できず、法的規制に踏み出すほかはないと書いてきました。しかし、今回の合意案は、危険極まりない、特例と抜け道だらけの、まやかしの「規制」です。こんな「規制」なら、ない方がましです。これは政府が抱き合わせに強行しようとしている「高度プロフェッショナル制度」の創設と「企画業務型裁量労働制」の拡大と一体の、残業の規制緩和案にほかなりません。
 
「政労使提案」は「メンタルヘルス対策等」との関連でのみ、過労死防止法に触れ、同法に基づく「大綱」を「見直す」としています。同法の規定では、厚生労働大臣は大綱の作成・変更や法の見直しに際して、「過労死等防止対策推進協議会」の意見を聴くことになっています。実際、大綱を策定する際の協議会では、36協定の見直しや勤務間インターバル規制の導入について議論がありました。しかし、今回の合意の枠にしたがえば、今後は働き方のそうした見直しを議論することさえ封じられる恐れがあります。
 
「政労使合意案」として出てきた提案を、いまから押し返すのは容易ではありません。しかし、森友学園事件や防衛省日報隠蔽露見事件で安倍内閣は大揺れで、政局はどうなるかわかりません。そうした情勢にも期待をかけて、「無理が通れば道理が引っ込む」を絵に描いたような、過労死残業を放任する「政労使提案」の法制化を阻止しましょう。
 
 *お断り:咋日(3月18日)夜遅くいったん掲載した文章を、今朝、アクセス数が100を超えた時点で修正中に、誤って削除してしまいました。これは新たにポストしたものです。

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