メキシコ、スペイン、チリの労働ニュースに魅かれる
日本ではあまり報じられていませんが、世界では労働をめぐる新たに注目すべき動向が広がっています。その中でも、メキシコの派遣・下請原則禁止、スペインの有期雇用規制など労働法の大改革、チリ・新大統領の時短・賃上げ公約など、スペイン語が話される国々での労働に関連する注目ニュースが増えています。これらの国は、従来、労働運動や労働法・労働政策で目立ったニュースが少ない国でした。むしろ、右派政権の下で、新自由主義的な政策が活発に展開された国でした。その結果、正規雇用に代わって、非正規雇用、さらには法的保護がまったくない非公式労働(informal work)が広がり、一部の大企業や富裕層には「経済成長」の恩恵がある一方、働く多くの労働者・市民は低劣労働条件や不安定な暮らしに苦しむ、貧富の格差が大きな国と考えられてきました。とくに、経済危機やパンデミックの健康・生活危機による深刻な困難が、貧困・脆弱層に大きく偏って、危機のたびに大きな打撃を受けてきました。しかし、最近になって、メキシコ、スペイン、チリでは、こうした状況を克服しようとする声が高まり、労働組合や市民団体の運動の進展を背景にした「労働法改革」が進んできたのです。
こうしたメキシコ、スペイン、チリの事情については、日本語情報がきわめて少なく、主にWebの英語情報を通じて知りました。ところが、英語情報だけでは十分ではなく、知りたいことの詳細が分からず、思うような情報を集めることができません。イタリア語、韓国語など理解できる言語も使って調べましたが、同様でした。しかたなく、新たにスペイン語の勉強を開始することにしました。イタリア語は、約50年前、大学院に入ってから始めました。韓国語は、約20年前、韓国の非正規運動団体から招かれたときに若い活動家の情熱に感激して勉強を始めました。50歳を超えての開始でしたが、「시작이 반이다(始めることが半分だ=迷うより始めることが肝心だ)」という諺に励まされました。
70歳を超えた現在、視力、記憶力の減退もあって、新たな語学学習には躊躇(ちゅうちょ)があります。しかし、現役時代に比べて時間だけはあります。iPadは文字拡大できるので辞書の壁はありません。Webでの情報入手も簡単ですし、翻訳ソフト、TV・動画の講座など、語学の学習環境は50年前とは比較にならないほど改善されています。何より幸いなことにスペイン語は、イタリア語と文法や語彙でかなり近い関係です。*
* 私は、1988~89年、大学の海外研究員としてイタリアのボローニヤに1年間滞在していました。その間に、マドリードで開かれた国際労働法・社会保障学会に参加する機会がありました。「同じラテン系のスペインではイタリア語でも通じる」というイタリアの知人のアドバイスを信じて一週間ほどスペインで過ごしました。確かに、スペイン語は単語や文法がイタリア語に似ていましたが、私の不十分なイタリア語では、ほとんど通じませんでした。相手はイタリア語と思わず、「変な分かりにくいスペイン語」と思ったようです。
早速、昨年から集め始めたメキシコ、チリ、スペインの注目すべき労働関連情報を読み始めました。まだ正確には訳し切れない箇所もありますが、自分なりに理解して、日本語訳をしています。以下、詳しい内容の紹介は後日にして、3ヵ国の労働改革の概況をまとめてみました。
メキシコの派遣・下請の原則禁止
2021年、メキシコで、「派遣・下請の原則禁止」という画期的な法規制が導入されました。これは、ロペス・オブラドール大統領が主導する改革で、弊害の多いアウトソーシング(人材派遣・下請)を原則禁止するとともに、従来広がっていたアウトソーシングは、厳格な登録制度の下で認められた専門的職務に厳しく限定する徹底した内容です。狭い意味での労働法的な面だけでなく、社会保障や税法など関連5法(①連邦労働法 、②社会保障法、③住宅基金法、④連邦税法、⑤所得税法)の改正をともなう本格的な制度改革です。
日本でも、この改革の背景や概要については、いくつかのメディアが報じています。*
- メキシコ政府は、人材派遣で働く労働者について、法律で定められた福利厚生や社会保険が提供されない問題があることを問題指摘してきた。とくに、フルタイム従業員が関連会社や第三者企業に雇用されると、法律に義務づけられた利益分配、退職金、医療給付などの福利厚生や基本的保護を受けられないことが多く、派遣・下請が濫用的に利用されている。
- 2020年11月公表の政府資料では、4709回の査察で約1200社で違法派遣が確認され、86万2489人の労働者に悪影響が及んだ。
- 法律上、民間企業は、毎年12月に労働者に冬季一時金を支払う義務を負うが、人材派遣会社を通じた労働者は解雇が容易で、一時金の支払いをしないために、年末に派遣労働者の解雇が増えている。
国会審議を経て、メキシコ連邦議会下院は2021年4月13日、上院は同年4月20日、関連する労働法・社会保険法などの改正法案を可決しました。企業側の準備期間をおいて、関連5法が施行された(法律によって2021年9月1日から2022年1月1日の間に発効・施行)。*
* メキシコの労働改革については、Jetroの情報などを基に、エッセイ「第48回 派遣・外注の原則禁止を定めるメキシコの動きについて」で紹介しました。また、これについては2021年の法制定をめぐって日本のメディアも取り上げました。「メキシコ、人材派遣を原則禁止に 中南米」(日経新聞2021年4月21日)、「人材派遣とPTUに関する一連の法改正を官報で公布(メキシコ)」(Jetro 2021年4月27日)。とくに、朝日新聞は、特派員による記事「派遣労働禁止、揺れるメキシコ 一流大卒も解雇 背景に『非公式経済』」(2021年10月24日)で詳しい事情を報じています。
改革の概要(連邦労働法関連)
(出所)メキシコ政府ホームページ「連邦労働法第15条の改正により何が変わりますか?」より(仮訳)
下請改革の8つのポイント |
1.企業の基幹的活動およびその支配的経済活動では下請は禁止される。 |
2.専門的なサービス・業務の下請のみ可能である。 |
3.専門サービスの提供を受ける事業者は、これに従わなければならない。 |
4.専門下請業者は、税務および社会保障の義務を遵守していることが証明された後、労働・社会保障局への登録が義務づけられる。 |
5.課税上の偽装や詐欺を避けるため、財政法、所得税法、付加価値税法の基準は、連邦労働法に統一される。 |
6.何千人もの労働者が正規雇用制度に移行し、利益分配の権利を得ることができる。 |
7.改革の期限 ①2021年5月24日までに、労働・社会保障局は、専門下請企業の登録に関するガイドラインを発行する予定である。 ②ガイドラインの発行後、企業は3ヶ月以内に労働者を正規雇用し、転籍させ、自分たちの労働者として認める。 ③3年ごとに労働・社会保障局への登録更新が必要となる。 |
8.国家公務員に関する連邦法を改正し、連邦政府において人員の下請が存在しないようにする。行政機関において、下請人材の正規化に向けて診断プロセスを開始する。 |
メキシコの派遣・下請原則禁止関連の法改正の背景には、①無権利で劣悪労働条件の働き方が労働者の間に広がっていたこと、②労働法・社会保障法関連の規制があるのに、企業による法違反や使用者責任回避が目立っていたこと、③その結果、税法による企業負担や社会保険料負担が少なく、政府として財源確保ができないことなどの問題がありました。そこで、企業・使用者の責任回避を許さず、弊害の多い派遣・下請関係を法的に整備し、罰則をともなう規制を加えることになったのです。こうした状況は、メキシコに特有なものではなく、韓国や日本にもきわめて類似して共通する状況です。企業による法律、とくに労働法を守らない労務管理が蔓延しているという点では、メキシコも同様のようです。そのメキシコでの改革は、改革内容とともに、実際の施行プロセスや改革の結果など、大いに注目すべきものです。また、大いに参考にできることになりますので、その詳細を調べるなど、引き続き追跡していきたいと思います。
チリ新大統領の労働改革公約に期待
チリでは、2021年末の大統領選挙で、左派統一候補のボリッチ(Gabriel Boric)氏が当選しました。チリは、1973年、米・ニクソン政権の支援を背景に、アジェンデ政権が軍事クーデターで転覆され、それ以降、長期間、ピノチェ独裁政権下で「新自由主義の実験場」となってきました。民主的な選挙で選ばれたアジェンデ大統領の政権が、軍部のクーデターで倒されたこと、その背景には、アメリカのニクソン政権による直接・間接の軍事政権を支持する介入があったと報じられました。まだ、大学院生の時代でしたが、民主主義を否定する軍部や大国の露骨な介入に強い憤りを覚えました。チリでは、軍事政権の弾圧時代を経て約50年間、貧富の格差が広がって深刻な社会矛盾が深まりました。新自由主義的な政策・考え方も根強い中で、市民・労働者が支持する、元学生運動指導者の若いボリッチ候補が、大企業や富裕層が支持する与党候補を破って当選したことは画期的なことだと思います。 この大統領選挙の詳細については、以下のYoutubeが大いに参考になります。
大統領選挙では、ボリッチ候補は、労働市場に関して、①「最低賃金の驚異的な引き上げ」を提案し、フルタイムで働く人が貧困ライン下で暮らすことがないように、現在の337千ペソ(343ユーロ)から500,000ペソ(509ユーロ)に変更すること、②週40時間労働を促進すること、③労働協約や労働組合により大きな力を与えること、④企業による解雇の範囲規制などを公約しました。今年、就任するボリッチ新大統領が、新自由主義の弊害を克服するために、どのような労働法改革を進めるのか大いに期待されます。*
* チリ大統領選挙については、「チリの次期大統領、左派のボリッチ氏に決定」(Jetro 2021年12月21日)、「新自由主義から転換へ チリ大統領選 左派ボリッチ氏勝利 史上最年少35歳」(赤旗2021年12月21日)参照。
ボリッチ候補の労働政策については、「ボリッチ氏は、格差是正のため、年金や健康保険の制度改革を進めると公約してきた。労働時間を週45時間から40時間に減らし、環境への投資を増やす」と訴えたと報じられています(「チリ大統領選、左派のボリッチ氏が勝利 格差是正を掲げ」(BBC 2021年12月20日))。今後、チリで労働法改革が進むことが期待されますが、逆に、経済界に近いメディアは、ボリッチ大統領の政策に警戒を示しており(「税金、年金または雇用:チリ経済を脅かすガブリエル・ボリッチの計画」(Libremercado 2021年12月21日))、大企業・富裕層などからの強い抵抗も予想されており、簡単には進まないと思います。今後、大いに注目したいと思います。
スペインの政労使合意に基づく労働法改革
スペインでも、最近になって、労働運動、労働法の進展が注目されています。EU諸国は、フランスとドイツを中心に北欧諸国など、労働運動が大きな役割を発揮し、労働法に基づく労働者の権利という点では世界でも最先端を進んでいます。しかし、その中でスペインは、フランコ独裁政権が長く続いた後、EUに所属することになりましたが、多くの労働指標でEUでも最下位に位置してきました。とくに、失業率が高く、政権の企業よりの新自由主義政策の結果、有期雇用(派遣労働を含む)が4人に1人にも達し、賃金の低下、労働者権の抑圧など、多くの問題が指摘されています。とくに、2012年に当時の国民党(PP=Partido Popular)のラホイ政権が導入した新自由主義的な「労働法改革」は、経済危機を乗り越えることを口実に、労働者・労働組合の権利を大きく制約するもので、スペインの労働社会に多くの否定的な結果をもたらすことになりました。*
Eurostat「15-64歳の有期・派遣従業員の割合 2017年」
スペイン(緑の棒グラフの最長)がEU諸国の中でも突出して多い。
* 2012年のスペイン労働改革については、JIL『欧州諸国の解雇法制―デンマーク、ギリシャ、イタリア、スペインに関する調査―』(資料シリーズ No.142、2014年 8月)99頁以下参照。そこでは、首相となったラホイ(Mariano Rajoy Brey)が 2012年2月10日に労働市場改革法を成立させたとし、主に、解雇を容易にし、既存の労働条件を引き下げることを可能とする制度の変更を打ち出したことが指摘されています。改革全体については、スペイン政府労働省『2012年労働法改革』(MINISTERIO DE EMPLEO Y SEGURIDAD SOCIAL, LA REFORMA LABORAL DE 2012)参照。2012年改革への批判的分析については、El desplazamiento del equilibrio del modelo(Consideraciones sobre la reforma laboral de 2012)、CCOO, EFECTOS DE LA REFORMA LABORAL 2012(2013)参照。
この「2012年労働法改革」の弊害が、スペインの労働状況をEU諸国のなかで最下位にまで低下させたのです。スペインの労働組合は、フランスやイタリアと同様に、組合活動家の組織で組織率は10%台と低率ですが、産別全国労組と使用者団体が締結した全国協約が拡張適用されて組合員以外の労働者も協約適用を受けるという労働慣行が定着し、80%以上の労働者が協約適用を受けていました。しかし、2012年改革で、①企業別協約があれば全国協約の効力が及ばないこと、②協約の期限が来れば余後効が否定され、妥結をしぶって締結を延ばす企業側が交渉で有利となること、③有期・派遣契約導入を広く許することなど、労使の力関係を大きく変える一連の改悪が導入されました。その後、10年間に、非正規雇用(有期・派遣)で働く労働者が、全体の25%にも達し、協約の適用も、従来の80%台から40%台へと半減してしまい、賃金の低下をもたらすことになりました。こうした状況を打開するために、二大労組CCOO(労働者委員会、共産党系)とUGT(労働総同盟、社会党系)は粘り強く共同行動を強め、労働者の権利実現の運動と、「2012年改革」の見直し、とくに、非正規雇用(有期・派遣)の抑制・縮小を求めてきました。*
* このブログの「エッセイ 第9回 欧州司法裁判所が画期的判決。企業には全労働時間を客観的に把握・記録する義務あり!」で、スペインの労働組合(CCOO)が取り組んだドイツ銀行の残業代不払い訴訟は、EU司法裁判所で画期的な判決を引き出したことについて指摘しました。当時は、まだ読めませんでしたが、CCOOのホームページに、2019年5月14日付けで、El Tribunal de Justicia de la Unión Europea da la razón a CCOO en la obligación de implantar un sistema que permita computar la jornada laboral diaria(EU司法裁判所は、1日の労働時間を計算するシステムを導入する義務についてCCOOに同意しています。)という記事を掲載していました。
2019年の総選挙で、左派の連立政権が成立し、その第2副首相となったヨランダ・ディアス労働・社会相が中心となって、政府、労組(CCOO,UGT)、使用者団体であるCEOE(大企業)とCEPYME(中小企業)の政労使交渉が進められました。各国に復興基金を融資するEU委員会も、スペインに、経済危機やパンデミック危機にも堪えられるためには安全網(セイフティーネット)強化、とくに労働改革が必要であるという立場を示しました。政労使合意の成果は、2021年5月にEUで最初に制定された「配達ライダー法」として現れました。そして、復興資金について判断するEU委員会との良好関係を保つために、改革合意の期限とされた2021年末の直前のクリスマス前になって、政労使合意が成立することになりました。
政府改革案(2021.12.28)の内容 *
そして、この合意に基づいた労働法改革案が、12月28日のスペイン政府閣僚会議で了承され、王政令2021年12月28日第32号(Real Decreto-ley 32/2021, de 28 de diciembre)として公布され、30日付けの官報(BOE-Boletin Oficila del Estado)に掲載されました。この王政令は、54頁に及ぶ大部なもので、総論的部分と、労働者憲章法、建設業下請規制法、社会保障法、職場における職業訓練法、社会秩序における犯罪・刑罰法の改正、追加規定(7)、暫定規定(9)、廃止規定(1)、最終規定(8)の修正に関連する部分から構成されています。
詳細な分析と検討が必要ですが、主な改革の内容は、次の通りです。
(1)全体的な特徴 2012年改革の中で、最も議論されてきた問題点の中で、労働側の要望である①一時的雇用(有期・派遣労働)の削減、②団体交渉における労使の不均衡の是正の一方、企業側の要望である③柔軟性の提供である。連立政権を構成してきた社会労働党(PSOE)とウニダス・ポデモス(Unidas Podemos)の公約であった「2012年改革の全面的見直し」からは、かなり後退したとの指摘がされています。たしかに、政労使交渉での合意であるので労働側の要望だけでなく、経営側の要望にも配慮がされて、両者の妥協という面があるのだと思います。しかし、政労使交渉に参加してきた二大労組は、「2012年改革」の見直しへの大きな前進があったと評価しています。
(2)有期・派遣労働の限定・縮小
- 常用雇用が原則とされ、有期・派遣などの期間を定めた(一時的)雇用契約は非常に特殊な事由がある場合に限定されます。
- 2012年改革で導入された最長4年の有期契約を容認する「業務・サービス契約(contrato por obra o servicio)」は廃止される。
- 「業務・サービス契約」は建設工事に多く利用されてきたが、契約は期間を定めない契約となり、工事が終了した場合、企業は労働者を別の工事現場に移動(転勤)させるか、企業の負担で労働者の職業訓練が義務づけられる。労働者が、企業の申し出を拒否したとき、または、適切な職がなく移動(転勤)できないとき、労働協約が定める給与表で計算された収入額の7%の補償金を支払えば、契約は終了する。
- 有期契約が認められるのは、次の二つの場合に限定される。
(A)予見不可能な生産量の増加・需要の変動の場合 (最長6カ月。例外として産業別協約の定めで12ヵ月まで延長可能)
(B)職業訓練を目的とする場合 (仕事と勉強の掛け持ちの場合と、インターン=職業実践の場合。後者は30歳までの学生で、2年上限。労働時間は初年度65%、2年度85%以下。報酬は初年度60%、2年度75%以上。) - 有期契約の濫用的反復更新への制限
反復更新の期間が30ヵ月間に18ヵ月に短縮される(従来は24ヵ月)。同じ会社・グループで仕事(違う仕事も含む)に18回従事したときは、常用性があると推定される。この制限を超えた時は、労働者は常用雇用となる。(この場合、派遣労働者も直用の有期契約労働者と同様に派遣先の常用雇用となり、直用と派遣の間で区別がない。) - クリスマスや農業繁忙期など就労が予見可能な場合の有期契約(いわゆる季節労働)
年間90日の短期の契約を結ぶことができる。ただし、固定契約という位置づけで、他の常用契約と同等に年功・勤続に基づく手当などを払う必要がある。また、事前に労働者代表にこの類型の契約を予定する人数を知らせることが必要である。労働者は職業訓練で優先される。 - 企業が、以上の有期・派遣契約に関するルールに違反した場合、労働者は常用雇用とされる。
(3)産業別協約の企業協約に対する優位
「2012年改革」で産業別協約で定められた協約条件があっても、企業単位の協約が結ばれれば、その優位が認められた。その結果、清掃、メンテナンス(保守管理)、情報技術サービスを提供するマルチサービス企業が、企業単位に独自の協約を締結したため、産業別に獲得された協約基準を下回る賃金を定めた企業協約によって、折角の産業部門の最低賃金の意味が失われてきた。協約の適用率を半減させる大きな問題点であったが、労働組合側の強い要望で、賃金などの労働条件については、産業別協約が企業別協約に優位することが認められた。
(4)協約の余後効(協約期間満了後の効力)を認める
「2012年改革」で、協約改定交渉中に協約期間が満了した場合、労働協約は効力を失うことになった。そのため、企業側は交渉を引き延ばして協約の失効を狙えることになり、実際に、団体交渉での労使の力の均衡が使用者側有利に大きく崩れることになっていた。新たな改革で、これを元に戻して、交渉中に協約期間が満了しても協約の効力は失われないことになった。
(5)企業側に与えられる柔軟性
交渉の結果、企業側にはある程度の雇用措置について柔軟性が認められた。既に、不可抗力による既存の一時的解雇を支援するERTE(Expedientes de regulación temporal de empleo)があり、復職を前提にした雇用維持の公的給付が行われてきた。それに加えて、パンデミック時に導入された臨時措置が通常の法律に組み込まれる予定である。企業は事業活動や仕事量に応じて労働者を配置・解雇できるようになる。こうしたERTE手続きは、特に小規模企業に、社会保険料免除などより柔軟な措置が設けられる予定である。
また、経営危機的状況にある企業は、労働時間短縮や契約の一時停止ができるように、ERTEを改めて新たな雇用安定制度としてRED(Mecanismo RED de Flexibilidad y Estabilización del Empleo)を利用することができる。これは最長1年間が原則であるが、産業部門の永続的変化で労働者の再教育や職業上の移行が必要な場合は、さらに6ヵ月の延長を2回できる。このREDの発動は、労働組合、使用者団体との協議を経た上で、それぞれの事例毎に政府が決定する。産業部門別の適用では、影響を受ける人々の再教育計画が必要とされる。
* 改革案の内容については、2021年12月30日付けの官報(BOE-Boletin Oficila del Estado)に全文があるが、関連した記事として、「政府は不安定さと一時雇用を終わらせるための労働市場の改革を承認する」(lamoncloa 2021年12月28日)、「閣僚会議、労働改革を承認 -一時的労働の抑制に焦点」(europress_2021年12月28日)、「スペインの労働改革:一時的雇用の排除と均衡の向上」(アネ・アランギス 2022年1月6日)参照。
労働改革案に対する二大労組の共同声明
この改革案の基になった政労使合意について、二大労組(CCOOとUGT)が次のような共同声明を発表しました。
CCOOとUGT「労働改革の承認を歓迎」(2021年12月28日)
両組合は、本日開催された閣僚会議で労働改革案が承認されたことに満足感を表明し、この王政令(Real Decreto)が議会の広範な多数決によって承認されることを希望する。
この合意と、最低賃金を平均賃金の60%に引き上げる過程が近日中に完了することによって、スペインは雇用の質の向上と有期雇用(temporalidad)の削減において大きな一歩を踏み出し、進歩的労働法の先頭に立つことになる。
2021年12月28日
CCOOとUGTは、2012年に国民党が実施した労働改革の中心的側面と、わが国の労働者の権利と賃金を大きく引き下げてきた他の改革事項の両方を修正することに、9ヶ月以上の交渉の末、先週合意に達したことに満足感を表明した。
この合意は、労働者階級の労働権の明確な回復と改善を意味する野心的な合意であるので、わが国の歴史において議論の余地のない道標となるものである。
この改革は、3つの基本要素に基づいている。
・団体交渉の力の均衡と価値を回復する
・有期雇用契約を制限する
・解雇に代わる企業内柔軟措置を導入する
団体交渉の力の再均衡化は、UGTとCCOOにとって絶対的に重要な鍵である。2012年の労働改革では、労働協約の存続が問題視された。労働協約で合意に至らなかった場合、消滅する可能性も生じた。私たちは今、労働協約の余後効(協約の期間が終わっても効力を維持すること)を取り戻した。企業別協約が労働者、とりわけ女性労働者の労働条件を引き下げられるというルールについても同様である。産業部門別協約の下に企業別協定が存在することはなくなる。
スペインは長い間、有期雇用労働の面ではヨーロッパのチャンピオンでした。この契約により、業務・サービス提供契約(contrato de obra o servicio)は廃止され、有期雇用契約の利用は制限される。この改革によって生じる有期雇用契約は、業務・サービス契約が最長4年であったのに対し、最長6ヶ月、団体交渉によって最長12ヶ月まで延長できるようになる。
雇用のパンデミック時に大量破壊を避けるために使用されたERTEは、スペインでは前例のないものであった。それは、知られている最大の経済危機の中で初めて、経済の落ち込みよりも多くの雇用が破壊されなかったということである。CCOOとUGTは、解雇を制限し、一時的な調整方式を可能にすることを求めている。これらの提案は、主にREDメカニズムに大きく反映されている。つまり、REDメカニズムは、労働時間の一時的調整を可能にし、解雇制限と引き換えに労働者の失業を引き起こさない社会的給付の支払いを可能にする。
つまり、UGTとCCOOにとって、この合意は労働規制と労働法制の傾向の変化を強固にするもので、労働者階級に有害な改革が20年間続いた後の転換点であり、両組合は今後数ヶ月間、新しい改革と新しい提案をさらに継続していくものである。
したがって、両労組は、憲法の下で与えられた役割を果たした社会的パートナー(労使代表)の話し合いの結果である、この重要な合意を、議会が高い視点で承認する責任を果たすように諸政党に求める。
改革案については、現政権が成立したときの公約である「2012年改革」の完全な見直しに反するという批判が左派政党の中にあります。しかし、二大労組は、長期間にわたる政労使交渉を粘り強く進めた当事者であり、機械的な反発をするのでなく、雇用の質の向上と有期雇用削減への「大きな一歩」という立場を表明しました。国会での審議では、右派の前政権与党・国民党(PP)の批判だけでなく、左派からの批判も十分に予想されます。現政権は、国会内では過半数を維持していませんので、政府の改革案が承認されるかどうかは予断を許さない情勢です。今後の動向から目を離すことができません。
おわりに
以上、メキシコ、チリ、スペインの昨年までの新たな動向に関心をもって関連情報を整理してみました。まだスペイン語については言葉だけでなく、関連した事情も分からないことだらけです。しかし、これら諸国では、大きかった新自由主義の弊害を打破する労働組合などの取り組みが、労働法改革という形で前進していることが分かりました。その詳細、とくに困難な状況の中で、どのように運動が進んできたのか、個別の労働者の状況や声をもっと数多く調べたいと思っています。
従来、労働法・労働問題の研究では、独仏、北欧など、労働運動が進み、労働人権を手厚く保障する先進国が注目されてきました。たしかに、独仏や北欧は大いにモデルとするべき国で、その研究には大きな意義があります。しかし、新自由主義が席巻して「非正規大国」と呼ばれるまでに「労働後進国」となった日本からは、法・政策、とくに、運動面でも、近づくには余りにも遠いモデルとなってしまいました。
これに対して、韓国、メキシコ、スペイン、チリ、さらにアメリカ合衆国などは、新自由主義の影響がきわめて強く、労働関連の法・政策でも後れた状況がありました。しかし、こうした国々で、労働組合が粘り強く闘い、政治的潮流による分断を乗り越えて労働者全体を代表するために、共同行動を進めていること、困難な状況で新たな状況を切り開いていることには大いに励まされます。
多くの点で、日本とも類似した問題、課題が多い国々です。例えば、メキシコ、韓国、日本では、労働後進性を端的に示す点として、企業(使用者)が、「外注化(アウトソーシング)」という名目で偽装請負(違法派遣)を広く利用して、労働者を分断し、労働組合の力を弱め、賃金などの労働条件を抑制していることで共通しています。3ヵ国の中では、韓国が、労働組合による積極的な「不法派遣」摘発の取り組みをして、法・行政・裁判にも違法な企業行動を抑制する考え方が広がってきました。この韓国に加えて、メキシコ政府が派遣・下請の原則禁止法制を導入したことは注目されます。スペインの新改革案でも、今回は詳しく検討できていませんが、違法な派遣・下請を抑制する姿勢が現れています。私は、日本の労働者派遣法の問題を指摘し続けてきましたが、相次ぐ派遣法の改悪で日本は世界の中でも異様な「派遣大国」になっていると思ってきました。スペイン語圏諸国の動きは、こうした思いを再確認させるものです。* 当面、メキシコで例外的に容認される「専門職の下請」に対する登録制度や、登録のための要件(政府ガイドライン)の内容を調べて見たいと思います。
今後も、スペイン語の勉強を続けて、有益な情報を紹介していきたいと思います。
* 脇田滋「ガラパゴス化」した日本の労働者派遣法 異形化した制度と抜本的見直しの課題」季刊労働者の権利336号(2020年7月)