第45回 韓国政府の全教組「非合法化」処分を違法とした大法院判決(上)

大法院・全教組「法外労組通報処分」違法と判決

 韓国の大法院が、9月3日、政府が2013年10月に「全国教職員労働組合」(略称、全教組)に対して行った「法外労組」通知処分が違法であるという画期的な判決を下しました。2013年当時、朴槿恵大統領の保守政権でしたが、全教組には全国に約6万人の組合員が所属しており、そのうち解雇された教員が9人でした。政府・労働部は、解職(解雇)された教員を組合員にし続けているのは、「労働組合法」に違反しているとして、「全教組は法外労組である」という通報(=通知)処分を行ったのです。

この動画は2020年9月3日の判決の様子です。判決文を読むのは金命洙(キム・ミョンス)大法院長官です。韓国の大法院(=日本の最高裁判所に当たる)は、重要な事件では法廷の様子を動画(youtube)で生中継します。本件も5月20日の公開弁論と、9月3日の判決の法廷の様子が生中継されました。

 裁判は、全教組(原告)と政府(被告)の間で、約7年間、仮処分と本案訴訟が繰り返され、憲法裁判所でも争われ、結論も勝訴・敗訴が何度も変転するという複雑な経過をたどりました。その結果、事件は重大訴訟事案となっていました。

 しかし、政府は、頑なな態度で全教組=法外労組として、その労組活動を否認し続けました。全教組は、やむをえず、裁判外でも権利救済活動を展開しました。そして、国家人権委員会(2010年、2017年)、ILO(国際労働機関)結社の自由委員会(2014年から23回)、さらに国連の経済的・社会的・文化的権利委員会(2017年)、同市民的・政治的権利委員会(2019年)からも、韓国政府への勧告が繰り返し出ることになりました。

 事件は、国内の労働界や教育界だけでなく、国内外の社会が注目する問題になったのです。とくに、2017年5月の大統領選挙での重大争点の一つとなり、文在寅候補は解決を公約として挙げるなど政治問題にもなっていました。178ヵ国3200万人教員を組織する「国際教員団体連盟(EI)」が、2015年、2017年の全教組支持の決議案に続いて、2020年5月、大法院に対して「全教組の法的地位を回復させる」ことを要請しました。

 その結果、大法院が、どのような立場を示すかが大きな注目を集めることになり、その判決は「歴史的」とも言えるほどに重大な意味をもつことになったのです。

初訪韓時(1994年)に会った「非合法」全教組組合員

 全教組は、独裁政権を打倒した「1987年民主化革命」で大きな役割を果たした意識的な教師たちが中心となって1989年5月28日に設立された民主労組でした。そして、労働者としての権利だけでなく、「真の教育(民族教育、民主教育、人間化教育)」実現を掲げたのです。これに対して、独裁政権が終わったのにかかわらず、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)政権が、教師が労働組合を作ることを敵視して厳しい弾圧の姿勢を続けて労働組合としての法的地位を拒否し続けました。その結果、全教組結成で1527名の教師たちが罷免、解任されるなどの大きな困難に遭いました。しかし、「真の教育」を熱望する国民たちの支持を背景に、全教組は政府の弾圧に屈することなく「非合法組織」として活動を続けたのです。

 1994年9月26日、ロッテ・ホテル(ソウル市)で国際労働法・社会保障学会(=ILO付設の学術団体)が開催されました。この国際学会には、日本からも多人数の労働法学者が参加しました。私も初めて韓国を訪れ、88-89年のイタリア滞在期間中に交流のあった欧州の研究者と再会することができました。当時、韓国政府はOECD加盟を急いでおり、OECDから、教師と公務員の結社の自由、労働組合活動を保障することを強く求められていました。この労働法関連の国際学会開催は、独裁政権からの変化に疑念を抱かれていた当時の韓国政府が、世界に向けた「パフォーマンス」だったと思います。

 国際学会の公式日程が終わった後、私は、恩師の片岡曻・京都大学教授、大学院の先輩であった西谷敏・大阪市立大学教授と一緒に、韓国の若い労働法研究者にソウル市内を案内してもらいました。そして、研究者たちが3人を招いて、小さな「日韓の交流会」が開かれました。私は、94年当時、韓国の労働法の事情をほとんど知りませんでした。そのとき、「独裁政権時代には大学にまで軍部介入があり、図書館で多くの図書が閲覧禁止となって、片岡教授の本も『禁書』となっていた」ことなど、驚くべき話を数多く聞きました。とくに驚いたのは、法外労組(非合法)の全教組に所属していたために解職を経験した教師の方が「秘密裡に」参加されていたことです。

 その1994年3月には、当時の金泳三政権が、「全教組が教育について対案を提起する」という立場に立ったことを理由に、全教組「合法化」の代わりに「条件付き復職」の方針を示しました。そして、全教組は、学校に戻って教育改革を実践し「全教組合法化のために復職する」という苦悩に満ちた決断を下して、教師約1300人が4年ぶりに教壇に戻っていました。しかし、政府は「先脱退、後復職」という原則で、全教組からの脱退を復職の条件にしていたために、復職した学校教師は、公然と「全教組組合員」であると名乗ることができなかったのです。独裁政権当時、市民を監視していた「韓国中央情報部(KCIA)」(1961-1981)は、当時、「国家安全企画部」(1981-1999)と改称されていましたが、依然として進歩的な知識人や労働組合員を厳しく監視していたのです。

「教員労働法」施行と全教組の合法化

 1999年7月1日、全教組は合法化されました。労組として出発して10年を経過してようやく合法化されたのです。

 1998年、金大中政権が発足して、労働組合の参加を得て「労使政委員会」を構成して全教組合法化に向けて動き出しました。これは1996年に韓国がOECD加盟する際に、その前提条件として当時の労働関係法制が国際基準に反することから、8項目について改善が求められていました。その一つが「教師の合法的な労組設立の保障」であり、そのための措置を取る必要があったからです。

 そして、「教員の労働組合の設立および運営などに関する法律」(教員労働法)が99年1月6日に国会を通過し、1999年7月1日から施行されることになりました。教員については、公務員と同様に争議権は制限されるなど一部の特例を除いて、労働組合法の適用を受けるとされ、団結権と団体交渉権が認められることになりました。全教組は同年7月1日午前9時、組合員6万2654人で労働部に設立申告書を提出して、10年間の非合法時代に終止符を打ちました。「真の教育」のために10年余りの間、任意団体として活動してきた全教組はついに合法的な労働組合組織に生まれ変わったのです。

 全教組は合法化以後、「真の教育」実践活動を持続的に展開していきました。そして、教員処遇と教育環境改善に向けて団体交渉闘争をはじめ、多様な活動を繰り広げます。毎年現場の研究・実践結果を集めて発表する「真の教育実践大会」を開催し、研修と資料の啓発を通して様々な真の教育資料を提供しました。また、競争と統制中心の政府の教育政策に対抗して、教育関係法制・改正、政策開発、教育代案のために努めたのです。

 そして盧武鉉政権になって全教組は本格的な活動を展開することになりました。労働組合運動の中でも全教組第9代委員長(2001~2002年)であったイ・スホ(李秀浩)氏が、2004年、民主労総委員長に選出されました。全教組自体は、教師全体の中では決して多数ではありませんでしたが、弾圧を乗り越えた組織として社会的には大きな影響力を持っていたことを示す、特筆すべき事実です。

全教組の組織率推移の正確な情報は見つかりませんでした。雇用労働部調査では、盧武鉉政権時代(2003-2008年)に教員労組員は10万人を超え、組織率も25~30%に達しています。ただ、2010年段階で、教員団体(労組外を含む)所属教師数は22万1000人、このうち全教組は6万人余で27%を占めていたとの情報がありました(聯合News2010年12月14日)。

国家権力と全教組の10年に及ぶ長い闘い

 2008年、保守党(=ハンナラ党)の李明博氏が第17代大統領に就任しました。金大中・盧武鉉と続いた10年間の「進歩」政権が終わったのです。李明博大統領の保守政権(2008-2013年)は、金大中・盧武鉉政権時代に合法化され本格的な自主的活動を始めた全教組に対して、教員労組法等の法令違反を口実にして労働組合の自由に対して執拗に権力的制約を加えようとしました。国家権力と全教組の10年に及ぶ長い闘いが再び始まったのです。

解職者組合員認定規約の是正命令

 2010年3月31日、李明博政府の労働部が、全教組に対して解職者組合員認定規約の是正命令を出しました。

 韓国の「労働組合及び労働関係調整法」(以下、労働組合法)は、労働組合設立について行政官庁への設立申告を義務づけ(10条)、行政官庁が「申告証」を交付すると規定しています(11条)。ただ、「設立申告書又は規約が記載事項の脱落等により補完が必要な場合には、大統領令で定めるところにより、20日以内の期間を定めて補完を求めなければならない」(12条2項)と定めています。全教組の場合、この「行政官庁」が労働部長官でした。

 問題となった全教組の規約=「1999.6.27.規約附則」は、次のような条文でした。

第5条(解雇組合員の組合員資格)
①規約第6条第1項の規定にかかわらず不当解雇された教員は、組合員となることができる。
②従前の規約に基づき組合員資格を有していた解雇教員のうち復職していない組合員及びこの規約の施行日以後不当解雇された組合員は、規約第6条第1項の規定にかかわらず組合員資格を維持する。

 他方、韓国の労働組合法第2条4号は「労働組合」の定義を定めていますが、解雇された者を組合員とする場合には、「労働組合」に当たらないと定めています。そして、同条4号ラ目は、「勤労者でない者の加入を許容する場合」を挙げています。「ただし、解雇された者が労働委員会に不当労働行為の救済申請をした場合には、中央労働委員会の再審判定がある時までは、勤労者でない者と解釈してはならない」と規定しています。

 教員労働法2条、14条も、関連した規定を定めています。つまり、教員労働法上の「教員」とは、「初等・中等教育法」第19条第1項で規定する現役教員をいう。ただし、解雇された者でも労働委員会で不当労働行為の救済申請をし、その再審判定がある時までは教員とみなすと定めています。

 李明博政府の労働部(正式には、2010年7月5日、「雇用労働部」と名称変更)は、こうした法令に反して解雇教員の組合員資格を認める全教組規約の是正を命令したのです。

 これに対して全教組は、この労働部是正命令を拒否し、2010年6月29日、この是正命令の取消訴訟を提起しました。ところが、2012年1月12日、大法院は、労働部による全教組労組規約是正命令を正当とする判決を下しました。

 2012年9月17日、労働部は全教組に対して2回目の規約是正命令を出しましたが、2013年1月23日、全教組は、これを拒絶しました。その後、李明博大統領の任期が終わり12月19日第18代大統領選挙が行われ、そして2013年2月、同じく保守政権であった朴槿恵政府が始まり、全教組への弾圧がさらに加速化されることになりました。

朴槿恵政府、全教組に「法外労組」通報処分

 2013年10月24日、朴槿恵政府・雇用労働部は全教組に対して「労働組合ではない」と「法外労組通報処分」を行い、ファックスで通知しました。この「法外労組通報処分」は、「労組設立申告の返戻事由が発生した場合、官庁が30日間の期間を定めて是正を要求し、労組がこれに従わなければ、官庁が労組でないことを通報できる」という労組法施行令9条2項をその法的根拠とするものでした。

 1987年の民主化闘争の後、独裁政権時代の労働組合法が定めていた行政官庁による「労働組合解散命令」制度が1987年11月に廃止されました。ところが、わずか5ヵ月後の1988年4月、法律ではなく施行令(行政立法)で、政府による「法外労組通報制度」が新たに導入されたのです。当時の盧泰愚大統領は、法律の委任がないにもかかわらず、国会での議決を要しない「施行令」という形式でこの制度を導入したのです。これは、事実上、「労働組合解散命令」をこっそりと生き返らせたと言えるものです。

 しかし、その後25年間、この「法外労組通報制度」は、一度も適用されたことがありませんでした。朴槿恵政府は、憲法や国際労働規範だけでなく、さらには労働組合法や教員労働法にも反する疑いの強い「禁じ手」と言える「法外労組通報処分」を強行したのです。

 この処分による主な実際的効果としては、次の4つがありました。
 〔1〕在籍専従〔市・道〔=自治体〕の教育監〔=使用者〕から休職許可を受け、労組業務を担当していた専従者〕の職場復帰、
 〔2〕組合事務所の明け渡し〔=市・道教育監が建物所有者と賃貸借契約を結び、無償で行ってきた支部事務所の賃貸支援を打ち切り〕、
 〔3〕組合費チェックオフ〔源泉徴収〕中止、
 〔4〕全国市・道教育庁と全教組各支部との間で結ばれた団体協約の解除など
です。

 この「法外労組通報」によって全教組が被る不利益は甚大なものでした。また、「法外労組」とされたことから、政府の労働統計でも労働組合員としてカウントされないなど、多くの不利な状態が6年10ヵ月も続くことになったのです。

「目撃者たち 全教組潰し、9年戦争」 この動画は、韓国の独立メディアであるニュースタッパが2017年に公開したものです。

 この動画は、日本語字幕はありませんが、2017年当時、全教組9年の政治権力との闘いを報じる優れたドキュメンタリーです。
 朴槿恵政権が執拗かつ緻密に全教組潰しと言える弾圧行為をしていたことを、組合員の話だけでなく、弾圧側の保守団体代表への突撃インタビューを含めた取材映像で明らかにしています。
 とくに、政権中枢の大統領秘書室が定期的に「全教組潰し」対策会議を頻繁に開いて、情報を集め、多様な攻撃を行っていました。個々の教師のSNSやネットでの書き込みまで監視していました。(前身がKCIAの)国家情報院から国税庁まで含む、あらゆる国家機関を動員した対策でした。
 当時、多くの高校生、教師が死亡し、学校関係者にとって衝撃的であった「セウォル号事件」が問題になっていました。これを取り上げた教師への攻撃が紹介されています。
 また、「反国家的教育剔抉連帯」など保守的な市民・保護者団体を通じて、国が決めた教育課程以外の時事問題などを素材にした教育(=「契機授業」)を行う教師として告発させていたことも、代表への突撃インタビューで紹介されています。

(下)に続く

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