4月8日に発表された「働き方ネット大阪」の声明には「地震列島日本」という表現があり
ます。
それで気になって、たまたま次男が国立天文台編『理科年表』などにもとづいて作成していた犠牲者100人以上の日本の大地震の略年表を、犠牲者1000人規模以上(推定を含む)の大地震・大津波に絞って、簡単にしてみました。なお私はこの分野についてはまったくの素人ですから、学術的な参考になるものではないことを断っておきます。
これほどの件数の大地震・大津波があったことにまず驚きました。言い換えればあまりにも知らなさすぎたことに恥じ入っています。大地震と言われて、すぐに頭に浮かぶのは1923年の関東大震災や1995年の阪神・淡路大震災くらいです。あとはまったく断片的で不確かな情報にすぎません。津波ではたとえば、1792年の雲仙普賢岳の噴火と、それにともなう眉山の崩壊で、「島原大変肥後迷惑」と言われたことは知っていましたが、1万5000人以上の犠牲者が出たというのは記憶にありませんでした。
地震列島というからには日本中でどこでも大地震は起こりうるということです。大阪に住
む者として気になるのは、福井原発ですが、1948月6月28日の福井地震は、M6.7で福井平野とその周辺で3769人もの死者を出しています。この略年表にはありませんが、死者100人以上の地震をとると、福井、京都北部、兵庫北部でも、いくつも大地震が起きています。
私は子ども時代の貧弱な記憶から九州、とくに自分の生まれた大分県は大きな地震は
ないと勝手に思っておりました。ここに掲げた略年表には示していませんが、実際は、1596年に豊後地震(大分地震)が起きており、ウキペディアの説明には、「死者800余
人、別府湾の瓜生島(沖ノ浜)と久光島の2島が沈んだ」とあります。
大地震は立て続けに起きている時期があります。1854年7月の伊賀上野地震、同年12月23日の安政東海地震、翌12月24日の安政南海地震、翌年11月11日の江戸地震も、まさしく連続大地震です。同じ年、または数年間に、複数の大地震が起きている時期は他にもあります。
1945年の敗戦前後には、1000名を超える死者を出した四つの大地震(鳥取地震、東南海地震、三河地震、南海地震)が4年連続で起きています。このことについても部分的にしか知りませんでした。南海地震を除く三つは、「戦意を低下させない」ために軍部が厳しい報道管制を敷いたと言われています。1944年生まれの私には報道管制の影響はないはずですが、戦後、物心がついても、聞いたり、学んだりした記憶はありません。日本の大地震と大津波の歴史がまともに学校教育で取り上げられていれば、世論はそうやすやすと原発の開発と増設を認めなかったのではないかと悔やまれます。
東電福島第一原発の原子炉溶融事故では、当初とくに津波の規模について「想定外」という言葉が多用されました。いまではかなり知られていることですが、津波の高さは、
1896年6月の明治三陸沖地震では、岩手県綾里湾奥で38.2mに達しています。1933月3月の昭和三陸沖地震では、岩手県大船渡で28.7mが記録されています。どちらも近代日本で起きた津波なのですから、「想定外」などという言葉は歴史に学ぶ者なら使ってはいけなかったのです。
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日本の大地震・大津波 略年表 (出典)国立天文台『理科年表』など
日時
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場所・地域
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推定M
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人的被害の規模
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869年7月13日
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三陸沿岸(貞観津波)
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8.3〜8.6
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津波による死者約1000人
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1096年12月17日
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近畿・東海道
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8.0〜8.5
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死者おそらく多数(1万人以上と推定)
伊勢・駿河に津波
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1293年5月27日
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鎌倉
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7
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死者 数千〜2万3000人あまり
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1498年9月20日
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東海道全域
(明応地震)
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8.2〜8.4
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死者3〜4万人 大津波,伊勢大湊で5000人
志摩で1万人,志太(静岡)で2.6万0人
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1596年9月5日
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京都・畿内
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7.5
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伏見城石垣崩落で圧死500,堺で死者600人
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1605年2月3日
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東南海(慶長地震)
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7.9〜8
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紀伊,阿波,土佐に津波 死者
1万〜2万人
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1611年9月27日
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会津
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6.9
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死者3700人以上
|
1611年12月2日
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三陸沿岸・北海道東岸
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8.1
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死者2000人〜5000人 仙台藩の死者
1783人 南部藩・津軽藩「人馬3000余」
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1666年2月1日
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越後西部
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6.75
|
死者約1500人
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1703年12月31日
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江戸・関東
(元禄地震)
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7.9〜8.2
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小田原で死者2300人以上,津波により
犬吠崎から下田で死者数千人
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1707年10月28日
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東海道・伊勢・紀伊
(宝永地震)
|
8.6
|
紀伊半島から九州まで津波,大阪で
死者7000人,全体で死者2万人以上
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1741年8月29日
|
北海道・津軽
|
6.9
|
大島の噴火による津波で死者1467人
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1751年5月21日
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越後・越中
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7.0〜7.4
|
死者1500人以上
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1760年3月8日
|
津軽
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7.25
|
津軽藩で死者1300人
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1771年4月24日
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八重山・宮古群島
|
7.4
|
津波により石垣島などで死者1万2000人
|
1792年5月21日
|
雲仙普賢岳
|
6.4
|
地震による崩土が島原湾に入り,津波に
より島原・肥後で死者1万5000人以上
|
1828年12月18日
|
越後
|
6.9
|
信濃川流域で死者1443人以上
|
1847年5月8日
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信濃北部・越後西部
(善光寺地震)
|
7.4
|
死者総数8600人強 松代藩2695人,
飯山藩586人,善光寺領内2486人
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1854年7月9日
|
伊賀・伊勢・大和
(伊賀上野地震)
|
7.25
|
上野・奈良などで死者1500人以上
|
1854年12月23日
|
関東・東海
(安政東海地震)
|
8.4
|
関東から近畿まで被災,死者2000〜3000人
|
1854年12月24日
|
近畿・東海・南海
(安政南海地震)
|
8.4
|
津波により紀伊・土佐などで死者数千人
波高は串本で15m,久礼で16m
|
1855年11月11日
|
江戸(江戸地震)
|
7.0〜7.1
|
倒壊・出火などにより死者4000人以上
|
1891年10月28日
|
岐阜西部(濃尾地震)
|
8
|
死者7273人,上下差6mの根尾谷断層
が発生
|
1896年6月15日
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岩手県沖
(明治三陸沖地震)
|
8.25
|
津波で死者・不明2万1959人,
波高は岩手県綾里湾奥で38.2m
|
1923月9月1日
|
神奈川・東京
(関東大震災)
|
7.9
|
関東沿岸に津波,全体で死者・不明約
14万人 多数の朝鮮人が虐殺される
|
1927月3月7日
|
京都北部
(北丹後地震)
|
7.3
|
丹後半島を中心に死者2925人
|
1933月3月3日
|
三陸沖
(昭和三陸沖地震)
|
8.1
|
津波による死者・不明3064人
波高は岩手県大船渡で28.7m
|
1943月9月10日
|
鳥取東部(鳥取地震)
|
7.2
|
鳥取市などで死者1083人
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1944月12月7日
|
紀伊半島(東南海地震)
|
7.9
|
静岡・愛知・三重などで死者・不明
1223人
|
1945月1月13日
|
三河湾(三河地震)
|
6.8
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死者・不明2306人,東南海地震の余震
|
1946月12月21日
|
紀伊半島(南海地震)
|
8
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西日本各地で津波,死者1330人
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1948月6月28日
|
福井(福井地震)
|
6.7
|
福井平野とその周辺で死者3769人
|
1995月1月17日
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阪神淡路大震災
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7.3
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神戸・芦屋・西宮・宝塚などで震度7,
倒壊と火災により死者・不明6436人
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2011月3月11日
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東日本大震災
|
9
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宮城県を中心に大津波 死者・不明
2万7000人以上,最悪の原発事故
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