介護保険20年 当初の理念実現したか 小竹雅子氏、山口高志氏に聞く (3/4)

介護保険20年 当初の理念実現したか 小竹雅子氏、山口高志氏に聞く
https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/202003/CK2020030402000165.html
東京新聞 2020年3月4日 朝刊

「介護を社会全体で支えよう」と2000年4月に始まった介護保険は、4月で発足から20年。「家族の介護負担を減らす」「必要なサービスを自由に選べる」などの当初の理念は、実現したのか。要介護者の多い75歳以上が人口に占める割合が急増する時代を迎え、制度はどうあるべきか。介護保険情報をインターネットなどで発信し続ける市民団体「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」主宰の小竹雅子さん(63)と、保険制度の設計にも携わった厚生労働省介護保険計画課長山口高志さん(46)に聞いた。 (編集委員・五十住和樹)

◆介護保険情報の市民団体主宰・小竹雅子氏(63) 法改正は軽度者外し

 −介護保険は介護の社会化を理念に始まった。
介護よりも「介護問題」が社会化された。これまで家庭で主に女性たちが担っていたさまざまな課題が、社会問題として共有化された。孤立死や高齢者虐待なども可視化された。この二十年の成果は「お嫁さん」が介護から解放されたことだが、代わりに「実の娘」や配偶者の介護(老老介護)が増えた。家族の介護負担は多少軽減されたと思うが、基本的には家族の介護を前提で行われている。
利用する本人が介護サービスの中身を決める権利があるとした点や、介護技術が向上し、認知症研究も進んだことは評価できる。

 −今年の法改正のテーマの筆頭は「健康寿命の延伸」。地域で介護を支える取り組みも推奨する。
なぜ、介護保険で健康寿命を延ばさねばならないのか。二〇〇五年に介護保険を最初に見直した時、予防重視型システムへの転換と言われた。予防重視は健康寿命の延伸とつながっている。介護が必要になったときにどんな支援が必要かを深めるのでなく、良くなろうという指向。病気や障害がある人への支援のはずが、病気や障害をなくそうと言っているのに等しい。介護保険はそもそも介護が必要になった人にサービスを提供するために、保険料を集めているはずだった。

 −〇五年改正で要介護認定に「要支援1と2」を新たに設け、介護状態にならないようにする介護予防サービスに移行。一四年改正で予防サービスの訪問介護とデイサービスが保険給付から外れ、市町村の地域支援事業になった。
結局、認定ランクの軽い人を給付から追い出そうという話。健康寿命の延伸を掲げ、要介護1と2の人まで訪問介護を取り上げようと仕組んでいる。介護保険における介護予防や健康寿命の延伸は、軽度者外しに使われている。

 −国は介護費用や保険料の上昇を抑えるためとしている。
税の投入を増やせばいい。安い給付額で頑張っている在宅の人たちをたたくのでなく、介護費用が高い施設サービスの在り方を考えるべきだ。利用料も当初は一割負担だったのが、所得の高い人は部分的に二割、三割に。ならば〇・五割とか〇・三割の人もあっていい。ケアマネジャーが今、一番苦労しているのは、理想的なケアプランを提示しても「そんなにお金が払えない」と訴える利用者や家族が多いことだ。

<おだけ・まさこ> 1956年、北海道苫小牧市出身。81年から市民団体「障害児を普通学校へ・全国連絡会」で活動。2003年から介護保険に特化した「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」で、電話相談などをしている。

◆厚労省介護保険計画課長・山口高志氏(46) 地域のつながり支援

 −介護保険は国民の意識をどう変えたか。
皆で支え合おうという理念は二十年でずいぶん浸透した。介護の問題を家庭が抱え込まず、相談できる場所もできた。多くの民間事業者が参入し、サービスの拡大にも役立った。

 −サービスの利用者は当初の三倍を超え、高齢者の平均保険料は二倍に。
制度の持続可能性を考えれば、必要なところに給付を重点化・効率化しなければならない。介護資源の最適な配分という視点は、追求し続けないといけない。不断の見直しをしていかないと制度がもたなくなるという危機感はある。
−生活援助をボランティアが行う仕組みも二〇一五年から始まったが、資格のあるヘルパーら専門職による生活援助は自立した生活の維持に不可欠では。
高齢者の地域での生活ニーズは多様であり、専門職と地域住民の皆で支えていくことが大事。ただし、介護保険の一番の理念は自立支援と重度化防止で、その部分は守る必要がある。専門職による生活援助が重要というのはその通りだ。

 −利用料は全員が一割負担だったが所得による応能負担になった。特別養護老人ホーム(特養)入所は要介護3以上の人にするなど給付も絞っている。
高齢者の所得水準にはかなり差があり、不動産など資産収入がある人もいる。制度の持続性からも、能力に応じた負担をお願いせざるを得ない。特養は多くの待機者もいる中で、要介護度の比較的高い人の利用を優先した。

 −高額な戦闘機を買うなら社会保障を厚くすべきとの声もある。
介護保険はあくまでも社会連帯の仕組みで、保険料による運営は制度の根幹。公費の投入は抑制的であるべきで、今の50%という水準が基本と考えている。

 −介護人材の不足は深刻だ。
介護の人手不足は目下最大の課題。処遇改善や介護の魅力発信、ロボットの活用など、手を尽くしていかなければならない。介護職が満足できる賃金水準を確保しつつ、保険料も上がりすぎないバランスを探っていく必要がある。

 −今回の法改正は「地域のつながり」が強調されている。
制度開始当時には弱かった視点。介護保険は地域づくりにも主眼を置き始めた。元気な高齢者らも参加する地域の支え合いを、介護保険が支援するということだ。

<やまぐち・たかし> 1973年、群馬県高崎市出身。96年に当時の厚生省に入省し、98年から「介護保険制度施行準備室」に所属して制度の仕組みづくりなどに携わった。2019年7月、介護保険事業の企画立案を行う現職に。 

◆色あせた「自由選択」の理念

 介護保険は、介護が必要と認定されれば在宅や施設で医療や福祉のサービスを総合的に利用できる仕組みで始まった。だが法改正を重ねるにつれ介護予防や健康づくりにまで拡大。制度は複雑さを増している。
制度創設を提言した老人保健福祉審議会は1996年、「社会的な連帯で介護を支える社会をつくる時だ」と国民に訴え、新たな負担への協力を呼び掛けた。だが、介護費用の増大で「高齢者が必要なサービスを自由に選べる」という当初の宣伝文句は色あせた。
調理や洗濯などの生活援助は「ヘルパーが何でもやるから高齢者の身体機能を弱めている」「家政婦のように使っている」などと批判にさらされ、一貫して保険から削られる方向で進んできた。
「要支援1と2」の人には、生活能力の低下を防ぐことを目的とした「介護予防サービス」を新設。さらに、訪問介護(生活援助を含む)とデイサービスという人気メニューを保険給付から外し、市町村の地域支援事業にした。自治体の財政力で格差が発生。サービスの単価設定が切り下げられ、採算が合わないとして大手事業者が相次いで撤退。「介護難民が出る」と国会でも問題になった。
今年の法改正ではさらに「要介護1と2」の生活援助などを地域支援事業にする案が出た。「在宅生活を続けられない人が続出する」と批判が噴出。地域支援事業にある「住民主体のサービス提供」などの態勢が整わず、見送りになった。

<介護保険> 介護が必要と認定された高齢者らに介護サービスを提供する、市区町村が保険者の公的保険。保険料は、65歳以上の高齢者は原則として年金からの天引き、40〜64歳は健康保険料と一緒に徴収される。市区町村の介護認定審査会で、要支援1から最重度の要介護5までの認定(7段階)を受けると、要介護度に応じて利用できるサービスの限度額が決まる。
ケアマネジャーがつくるケアプランに基づいて要介護認定者に提供されるメニューは、訪問介護など居宅サービス12種、特別養護老人ホームなど施設サービスが4種、地域密着型サービスが10種。要支援認定者は「介護予防サービス」を受ける。利用料はサービス利用分の1割だが、所得の多い人は2割、3割も。事業所に支払われるサービス価格(介護報酬)は国が定め、3年ごとに見直す。
保険給付費の財源は、50%が税金(国が25%、都道府県と市区町村が12.5%ずつ)で、50%が保険料。65歳以上の月額保険料は市区町村が決めるが、団塊ジュニア世代が高齢者となり高齢者人口がピークを迎える2040年度には平均で9200円に達するという試算もある。

◆介護保険の歩み
1997年 介護保険法成立
2000年 介護保険制度スタート
2005年 法改正で「予防重視型システム」へ転換。施設サービスの居住費・食費を全額自己負担に。低所得者に補足給付
2006年 従来の「要支援」「要介護1」を「要支援1、2」「要介護1」に再編し、要支援1と2の人向けの介護予防サービスを新設▽「地域密着型サービス」を新設
2011年 法改正で「地域包括ケアシステムの推進」
2015年 特養への入居は原則要介護3以上に▽要支援1と2の人の介護予防サービスのうち、訪問介護とデイサービスが給付から外れ、市町村の地域支援事業に▽「一定以上の所得」がある人の利用料は2割負担に
2017年 法改正で「地域包括ケアシステムの深化」
2018年 「特に所得の高い層」は3割負担に▽自立支援・重度化防止を評価する国の指標で交付金を出し、自治体を競わせる制度を創設
 

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