高齢労災は20分に1回 「生涯現役」という憧れの現実 (2/18)

高齢労災は20分に1回 「生涯現役」という憧れの現実
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55619190U0A210C2000000/
日経ビジネス コラム(ビジネス)2020/2/18 2:00

巨大な2台の建機に頭を挟まれた力ない従業員──。労働災害の中でも思わず目を覆う凄惨な現場だった。2019年3月、東京都内にある土木工事会社の敷地内。60代のシニア社員が1台の建機をトラックの荷台に積み込む作業の途中、その悲劇は起きた。

トラックの荷台と地面の間に2枚の道板をかけ渡し、この社員が建機を自ら運転してトラックへ乗せようとしていたところ、片側の道板がずれて落下した。足場を失った建機は社員を乗せたまま横転。建機が横転した先にあったのが巨大なトラッククレーンで、建機の運転席にいた社員は不運にも、自ら運転していた建機とクレーンの間に頭部を挟まれることになった。

■ベテランゆえの油断か、集中力の低下か

建設作業に詳しい者に言わせれば、大きな疑問が二つあるという。一つは道板がずれたこと、もう一つは運搬作業スペースのすぐ横に、クレーンが置かれていたことだ。

一般的に、建機を運搬車両に積み込む際は、作業手順を事前に確認し、道板の位置を含め万全の注意を払う。さらに万一の時のために周辺状況の整備や確認も欠かさない。道板が外れることも、横転先にクレーンがあることも普通ならあり得ないことだという。

ましてや被害に遭った社員はこの道、30年以上の大ベテラン。運搬作業は何百回、何千回と繰り返しきたはずだ。

ベテランであるがゆえの油断なのか、それとも高齢化による集中力低下が招いたミスなのか。いずれにせよ、「人生100年時代」が到来しようとしているこの先の日本では、こうした事故が珍しくなくなっていくかもしれない。

企業広告から街中のビジネスマンの会話まで、ここ数年ですっかり市民権を獲得した感のある「人生100年」という言葉。流行の発端となったのは、16年に出版されたベストセラー『ライフシフト──100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社、リンダ・グラットン&アンドリュー・スコット著)だ。

医学の進歩によって、07年に米国やカナダ、イタリア、フランスで生まれた子供の50%は104歳まで生きる見通しで、今40歳の人も95歳までは生きる確率が50%ある。人生70〜80年というのは過去の話となり、人々は人生設計を根本から見直す必要がある──。そんな主張がこの本の骨子だ。

海外に限らず、日本でも「人生100年」は到来しつつあり、厚生労働省によれば、日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳(18年)。女性は6年、男性は7年連続で過去最高を更新し、厚労省は「さらに延びる可能性が高い」との見解を示している。

この「人生100年」、多くの人は「天からの恵み」と受け止めているようで、様々なメディアで「長生きの恩恵を享受するための理想の老後プラン」が語られている。

生涯現役で最期まで輝き続ける、シニア起業でもう一花咲かせる、地域交流で誰かの役に立つ、趣味三昧で人生を満喫する……。夢の老後設計は様々だが、中でもシニアやこれから高齢期を迎える中高年の4割が目指しているのが、最初に挙げた生涯現役だ。

内閣府が現役世代向けに実施した就労希望年齢に関する調査では、28.9%が「働けるうちはいつまでも働きたい」と回答。「75歳くらいまで」(7.1%)、「80歳くらいまで」(2.7%)も合わせれば約4割に達し、「仕事をしたいとは思わない」と答えた人は1割にとどまった。「お金がなく、嫌でも働かざるを得ない」という事情の人もいるとはいえ、少なからぬ人が生涯現役に憧れていることがうかがえる。

「人生100年」の火付け役である書籍『ライトシフト』も、生涯現役の魅力を強調。「若者たちのメンターやコーチ、サポーター」を務め、「若い世代のロールモデル」になり、「エクスプローラー(探検者)」や「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」、「ポートフォリオ・ワーカー(様々な仕事を並行して行う者)」などとなって、『生き方の指針』を示せ、と読者を鼓舞する。

だが、加齢によって気力・体力が衰える中で、本当にそんなことが簡単にできるのだろうか──。そんな素朴な疑問を持った取材班が「生涯現役の現実」を取材する過程でたどり着いたのが、冒頭の事件だったというわけだ。

■着実に増える「転落」「巻き込まれ」「熱中症」

実際、「労働者の高齢化が進む中、高齢ワーカーによる悲惨な労働災害は着実に増えている」と、労働当局の担当者は指摘する。

▼休憩室で横になっていたところ、近くにあったリネン用品が積まれていたロールボックスパレットが倒れ、下敷きになり死亡(製造業の60代)
▼金属部品加工の作業中、回転中の切削刃に巻き込まれて死亡(製造業の70代)
▼事務所の庭木の剪定(せんてい)作業中にバランスを崩し、脚立から地面に墜落して死亡(医療保険業の70代)
▼天井クレーンの操作ボタンの調節のため、点検台(地上高7メートル)で作業していたが、落下して死亡(製造業の60代)
▼木製の足場を掛けて作業をしていた際、バランスを崩し地上まで約9メートル落下し死亡(建設業の60代)
▼フォークリフトのカウンターウエート(装置が安定するように設置された重り)の上に上っていたところふらついて後ろ向きに倒れ、地上に転落し死亡(貨物業の70代)
▼事業所内の庭の草刈りの作業中、倒れたところを発見される。熱中症によるものと思われる(広告業の80代)
これらは、この1、2年で東京・大阪で起きた労災死亡事故の一例にすぎない。

厚労省によると、60歳以上の男女が労災事故に遭った件数(今統計では10歳刻みでのみ集計)は、18年時点で10年前と比べ1.5倍に増えた。社会の高齢化で、働く高齢者自体が増えたことが大きい。

今ではすべての労災事故のうち4人に1人が60歳以上とされ、その数は全国で3万3000件超に上る。単純計算で1日あたり3.3万件÷365日=約90件/日、つまりは20分に1人以上の高齢労働者が全国のどこかで事故に巻き込まれている計算だ。

目立つのは、高所からの転落による墜落死と、機械の操作ミスによる挟まれ・巻き込まれのほか、熱中症を中心とする「高温低温環境での死亡事故」だ。偶発的な不幸な事故というよりも、「若い頃には当たり前のようにできた作業」でミスをしたり、「若い頃にはできた」と油断したり無理をしたりして、亡くなるケースが多いという。

■憧れのスーパーシニアは確かに存在するが……

もちろん、健康面、集中力ともに何の問題もなく、憧れの「生涯現役」を貫いているスーパーシニアが存在するのも事実だ。

〔写真〕山形県酒田市の井山計一さんは93歳の現役バーテンダー。多い時で1日50〜60回、シェーカーを振る(写真:向田幸二)

山形県酒田市の井山計一さんは93歳の今も現役バーテンダー。確かに加齢とともに足が弱くなり、つえが手放せない毎日ではある。

自身が考案したカクテル「雪国」の注文が入ると、急にスイッチが入ったかのように背筋がピンと伸び、シェーカーを振る。多い時でその数は1日50〜60回。「俺よりうまいやつはいないと思っているから……。まだまだ死ぬ気がしない」と笑う。

仕事は月曜日、火曜日を除いて週5日間。健康の秘訣を聞いてみると「特別なことは何もしていないなあ」。毎朝起きて、「今日は何を食べようか」「どんな楽しいことがあるだろうか」と思いを巡らすのだという。決して派手ではない何気ない日常の連続を心の底から楽しんでいるようだ。

東京都小金井市に住む三星(みつぼし)玲子さんは84歳。国分寺駅近くで大手化粧品メーカー「ポーラ」のショップを運営する。

〔写真〕東京都小金井市の三星玲子さんは84歳の現役化粧品販売員。約80人の顧客を抱え毎日の外回りも欠かさない

独立開業して今年で45年。現在も、30〜80代まで12人の販売員を率いる経営者であり、自身も現役の販売員だ。ポーラでは、販売店のオーナーや化粧品の販売を手掛ける80代は約2600人にも上る。その中で三星さんは直近で、同世代の販売員の平均的な売り上げの7倍にもなる実績を持つ。

常連を含め約80人の顧客を抱え、日中は1〜2件の外回りを今もする。20年以上欠かさないラジオ体操と、営業も兼ねて1日6000〜7000歩の距離を歩き続けていることが健康の秘訣だという。「仕事が私の人生そのもの。仮にショップが潰れてしまっても、販売は最期の時まで続けたい」。そう語った。

だが、こうしたスーパーシニアは、限られた一部の人材と言わざるを得ない。

政府統計によれば、65歳以上の就業者数は16年連続で増加しており、足元で890万人に及ぶ。ただ、世代別の働いている人の比率(現役比率)は70〜74歳で32%となり、85歳以上となると3%まで減る。今後、人手不足が極端に進めばそうした超高齢者向けの求人も出てくるかもしれないが、いくら医学の進展があってもそれに応えられる人材が増えるかは未知数だ。

小さなミスが生命の危険につながる製造業や建設業でなく、サービス業であれば道は開けるのではないかと思う人もいるかもしれない。だがそれはそれで、命を取られないまでも、別の「憂鬱」が待ち受ける。

(日経ビジネス 山田宏逸、定方美緒、神田啓晴、津久井悠太)

[日経ビジネス電子版 2020年2月3日の記事を再構成] 

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