NHK「エマージェンシーコール 緊急通報司令室」2022年1月13日放送

「(この仕事)、暇なのに越したことはない」

 NHKのホームページには「思わぬ事件や事故、ケガや病に見舞われたとき、24時間365日応答してくれる119番通報。通報を受ける指令室にカメラが密着!赤ん坊が泣き止まないと心配する人、深夜に不安を抱えて電話をかける人、そして思いがけず訪れた家族の一大事・・・通報者と緊急通報指令室のオペレーターの会話だけで日本の今を描くノンフィクション番組。今回の舞台は、年間およそ30万件の通報が寄せられる横浜市消防局。救急車・消防車が出動するまでの知られざるドラマとは。」とある。

 声だけだが、救急の現場で起こっている出来事をリアルに伝えている。

 この番組を見ていて、ふたつ思ったことがあった。

 まず、119番・緊急通報司令室はなくてはならない仕事で、私たちの危機を助けてくれるだけではなく、その存在があるだけで、私たちの不安を少なくしてくれるものである、ということが本当によく分かった。その存在が私たちの社会基盤を支えるものであり、私たちの存在も支えてくれるものであることが実感できた。命を支える入り口としての司令室の存在は、本当に尊いものであると感じた

 司令室の方々も、声だけの情報から現場を掴み取ろうと自己研鑽を重ねている姿から学ぶことは多いと感じた。

 ふたつめは、「暇なのに越したことはない」ということばだ。

 仕事は充実しているほうがいい、という考え方がある。忙しいことを「充実している」と勘違いしてきた、と思った。緊急通報司令室は、なくてはならない存在だ。しかし、緊急通報司令室が忙しいということは、人の命が危機に晒されている、ことが多い、ということだ。慌てふためいている通報者から的確な情報を得て、救命のための的確な指示を出す、現場の救急隊員に引き継ぐその為に、通報者への問いかけ方を考え続けている。日々の研鑽を怠らない、しかし、その研鑽の結果が発揮されないのに越したことはない、と言うこれこそが社会の根底を支えるプロの一言なのではないか、と考えた。

 2022年2月15日、京都府下の新型コロナ感染者は、入院が638名、自宅療養者23,333名だ。2月17日には死者が8名出ている。大阪府は2月16日の1日の感染者が12,467名、入院者数が3,156名、自宅療養者が75805名、入院等調整中60,158名、大規模医療・療養センター3名、である。

 保健所の合理化、保健所数の削減をした、とマスコミやSNSで議論がなされている。当の政治家も自説を述べていて、誰が悪い、誰のときにこうした、と責任の所在について発信している。

 しかし、今、「入院等調整中」が6万人を超えるというのは、行政が機能していないことを意味しており、知事が「野戦病院」と称し、マスコミに発表して設置した「大規模医療・療養センター」の利用者は、たった3名だ。(このことについては、日刊ゲンダイに記事がある。吉村知事は大誤算…肝いり臨時医療施設はごっつい不人気 稼働800床で利用者たった3人   

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/301339)

ここで、政治家の政策の是非を論じたり、行政停滞を責めたりしたいのではない。

 この番組で聞いた「暇なのに越したことはない」、でも、社会の危機では持てる能力を持ち、いつでも発揮できる、と思える行政のあり方、社会のあり方を考え直してみる機会ではないだろうか

この記事を書いた人

伏見太郎