第67回 世界の労働者・市民の「戦争反対!」の声を聞き、野蛮な軍事侵攻を即時中止せよ!

ロシア(プーチン政権)による軍事侵攻への憤り

 ロシア(プーチン政権)が、2022年2月24日、ウクライナへの軍事的攻撃を開始しました。国連憲章をはじめとする国際法違反の今回の侵攻は、多くの人々の殺戮と破壊を伴う野蛮な戦争です。
 これに対して、世界各国の労働者・市民が「戦争反対」の声を上げています。ロシア各地でも政府の軍事侵攻に抗議する「反戦デモ」に多くの人々が参加しました。日本でも東京・渋谷をはじめ全国で「戦争反対の声!」が上がっています。
 私は、次の日すぐに、Tweetをしました。

神戸空襲と家族の苦難

 1948年生まれの私は、戦争を直接体験していません。しかし、母や姉から戦争の辛い話を聞いて育ちました。1945年3月17日の神戸空襲では、「自宅は直撃を免れたが、対岸の住宅街が大量の焼夷弾を集中的に受けて空が昼間のように真っ赤になった。本当に怖かった」。まだ幼かった上の姉は、連日の空襲で「何時でも逃げられるように、夜、『防空頭巾』を横に置いて寝た」「空襲後の街には、焼け焦げた死体が積み上げられていた」と、実際の経験を話してくれました。神戸空襲は、アニメ「火垂るの墓」で描かれています。多くの市民が同様な経験をしたのです。このアニメを見るたびに、家族から聞いた話が重なって、戦争がもたらす恐ろしく悲惨な現実を想像させられました。

 神戸空襲では、父が勤務していた市内の化学工場が、軍事物資を製造させられていたためか、米軍による空襲の直撃を受けて破壊されました。その後、家族は、大阪南部(現・堺市)へ疎開して、食糧難のなかで肩身の狭い居候時代を過ごしました。母や姉が語る、当時の苦労話は「火垂るの墓」の清太と節子の話と重なりました。そんな苦難の日々を経て、何とか父が生きていてくれて私が生まれたことをありがたく思いました。ただ、戦争中と戦後の過酷な勤務が遠因となって父は身体を壊し、戦後10年目に48歳で亡くなりました。そして、物心が付くころから「戦争は多くの市民に直接・間接に大きな不幸をもたらすもの」と考えるようになりました。

 後に、高校、大学時代に憲法の勉強をして、日本国憲法が「戦争放棄」を定めたこと、日本が戦争をしない平和国家を目指してきたことに心から誇らしさを感じることになりました。

憲法第9条で世界に平和国家化を宣言した日本

 歴史の時間に、第二次大戦時代の日本が、今回のロシア(プーチン政権)と同様に、朝鮮半島や満州・中国、さらにアジア諸国に侵攻してそこに暮らす人々の生活を破壊、抵抗する人々を数多く殺戮をしたことを学びました。かつて進んだ文化を日本に伝えてくれた隣国を、第二次大戦時に軍事力で侵略したことを学び、また、色々な書物を通じて知るたびに、恥ずかしさと申し訳なさを感じました。
 先日、今回のロシア軍のウクライナ侵攻に対して、東京で反戦デモに参加したロシアの青年が「ロシア人として恥ずかしい」とTVインタビューで話していました。まさに第二次大戦での、日本と重なりました。アジアの人々の大切な生命や生活を破壊した歴史的事実について、実際に戦争時代を過ごした上の世代には、「話したくない」と自ら積極的に話さない人も少なくありません。しかし、私たち戦後世代は、歴史から目をそらさず、しっかりと歴史的事実を踏まえることが必要です。後に、ハングルを学び、韓国の研究者と数多く交流することになりましたが、お互いの交流のためにも、歴史を踏まえることが不可欠だと確信しました。
 日本国憲法が第9条を定めたのは、日本は「もう二度と侵略戦争をしない」ことを国内外に宣言して、今後は軍事国家ではなく、平和国家として国際社会へ復帰したいという意志を表明することでした。「憲法第9条では国は守れない」と言う人もいますが、私は、日本が平和国家として国際社会に復帰する上で、憲法第9条が不可欠であったのだと思います。平和国家をめざす日本だからこそ、アジア、さらに世界が受けれてくれたことを忘れてはならないと思います。

 今回の軍事侵攻では、ロシア(プーチン政権)は国際社会から強い非難を受けています。強大な軍事力や核兵器で他国を脅かす姿勢を取り続けるのであれば、国際社会はそうした軍事国家を許すわけにはいきません。もし、今回の戦争が終わった後、ロシアが国際社会に復帰できるためには、第二次大戦後の日本が憲法第9条で示したように、もう二度と武力で他国を威嚇しないこと、国際平和を希求することを国内外に表明することが必要です。

イタリアでの経験

 第二次大戦では、日本は、ナチスのドイツ、ファシストのイタリアと三国同盟を結びました。この三国は、今回のロシアのように武力で他国を威嚇し、軍事侵攻をして、国内外で戦争による多くの犠牲者、被害を生みました。
 1988年、イタリアのボローニャに滞在したとき、近くのボローニャ市庁の前に、ナチス・ドイツによって虐殺された多くの市民、抵抗運動に参加していた人々の顔写真(陶板)を見ました。ナチス・ドイツ支配下のイタリアについては、ロッセリーニ監督の『無防備都市(Roma città aperta)』などに描かれています。ボローニャでも多くの市民がナチスによって残虐に殺戮されたことを知りました。

 イタリアのCGIL(労働総同盟)の役員と話したときに、「日本と違ってイタリアでは労働組合、労働法が活き活きしているのは何故か?」と率直に尋ねたことがあります。当時の日本は、労働者派遣法が施行され、また、過労死弁護団が結成されるなど、非正規雇用、長時間過密労働、労働組合の無力化など、経済の「発展」の裏側で、それを支える労働者の労働、権利、生活での大きな後退が目立ってきていたからです。CGILの役員は、イタリアでもファシズムの時代、それに続くナチス・ドイツの時代に労働者が苦難の時期を過ごしていたと話しました。ただ、「ファシストやナチスと命をかけての闘いがありました。ファシストを倒すきっかけになったのは、連合軍の相次ぐ空襲で作業が中断した工場で、経営者が中断時間の賃金をカットしたことに、「俺たちのせいでないのに賃金カットは許せない」とするイタリア人労働者が抗議し、それがストライキに自然発生的に拡大したことでした。

 そのレジスタンスに、労働組合員が先頭になって数多く参加しました。それで、戦後、大きな尊敬を勝ちとったのです。多くの仲間が犠牲となったが、「労働を基礎とする民主的共和国」と明記する憲法を制定することができたのです」と、誇らしげに話しました。

 昨年(2021年)10月9日、ネオ・ファシストによるCGIL本部への襲撃がありましたが、これに対する大規模な抗議集会が報じられました。平和と民主主義を支えるために、イタリアでは、労働組合が現在も、大きな社会的影響力をもっているのは事実です。政治的目的のストライキが合法とされるのも、そうした歴史的背景があるのだと思います。今回のウクライナでの戦争に対しても、CGIL(イタリア労働総同盟)は、いち早く、「戦争反対」を表明しています。 

憲法第9条の意義を広める市民・労働者の運動が重要

 こうしたことを考えたとき、日本の労働組合も、侵略戦争反対の声を上げ、反戦運動を広げるべきだと思います。とくに、第二次大戦後、国際社会から日本が受け入れられるためには、日本国憲法第9条が果たしてきた役割はきわめて重要だったと改めて痛感します。この憲法第9条の意義を改めて広く議論するべき時だと思います。

 最近、日本で、憲法第9条を改悪する動きが台頭しています。しかし、それは再び日本が、今回のロシア(プーチン政権)のように軍事力で他国を威嚇する国家になってしまい、国内外の人々の不安を増幅させるものです。「他国からの侵略を受けたときのために憲法第9条改正(改悪)が必要だ」という議論には、第二次大戦とその後の歴史的経緯への反省の視点が欠けています。こうした議論は、国際連合の役割を軽視することにつながり、国際社会、とくにアジア諸国から日本の軍事国家化に対する強い疑念の高まりを呼び起こします。国際紛争を武力でなく、国際社会の正義と秩序を重視する日本国憲法第9条の意義を理解することが重要です。日本が、二度と侵略戦争をしないために、まさに憲法第9条が表明した平和国家として国際社会で尊敬される国になるように「反戦」の声を上げることが必要です。

 私は、今回のロシア(プーチン政権)の軍事侵攻に対して強い憤りを感じます。「軍事侵攻を止めよ」と声を上げたいと思います。私一人の声は小さいかもしれませんが、世界で多くの人が「戦争反対」の声を上げれば、大きな力になると思います。ロシア権力者の弾圧にもかかわらず、自由や生命を奪われる危険性があるのに、ロシア国内で反戦の声をあげる市民が少なくないことは、希望を感じるニュースです。

市民・労働者が先頭になって反戦・平和をめざす誇れる日本を

 労働法を専攻してきた私は、「誰もが人間らしく働き暮らせる社会にする」ことを基本信条にしています。国連やILOが目指す人間らしい労働(Decent Work)・人間らしい生活(Decent Life)の実現が、とくに日本では重要です。戦後の国際社会は、戦争ではなく平和を前提に、人間らしい「仕事の世界」実現を目指してきました。侵略戦争は、これまで国際連合や関係機関が長年築いてきた国際的前提・常識を根底から覆すものです。決して許されない蛮行です。

 人間らしい労働(Decent Work)・人間らしい生活(Decent Life)から遠ざかる労働社会では、労働者が声を上げる余裕がなくなります。働く人が、生活に追われて声を上げることができなくなることは、平和と民主主義にとってきわめて危険です。人間らしい労働(Decent Work)・人間らしい生活(Decent Life)を実現する運動と、反戦・平和を実現する運動は相互に密接に結びついていると思います。

 市民団体・労働組合は、働く現場での権利実現とともに、広く平和や民主主義を実現する視点をもって運動をすすめる「ケンタウロス」のような役割を果たすことが必要だと思います。何よりも、すべての働く人を代表して、広く連帯・団結することが必要だと思います。

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