Karoshi 過労死の国・日本(4) 繰り返される悲劇

産経新聞 2011年8月11日

「23年前の繰り返し」激安を支える月100時間残業

 ドイツの公共放送「ARDドイツテレビ」の日本特派員だったマリオ・シュミット(41)は昨年8月、報道番組で日本の過労死問題を取り上げた。「仕事のために自分を犠牲にするという倫理観のある日本だけでなく、ドイツでも『自分は仕事で疲れ切って死ぬかもしれない』と追いつめられる人は少なくない」との思いがあったからだ。

 EU加盟国の中でも労働時間短縮に率先して取り組むドイツは、週35時間制を敷く国として知られるが、シュミットによると、それは「夢の世界」。現実には、過重労働に悩まされている国民は多いという。

 ARDドイツテレビの取材を受けた京都市北区の吹上了(さとる)(63)と妻、隆子(56)は平成19年8月、長男の元康=当時(24)=を急性心不全で亡くした。東証1部上場の居酒屋チェーンの新入社員として滋賀県内の店舗で働きはじめてから、わずか4カ月後のことだ。

給与のからくり

 元康はほぼ毎日、従業員のだれよりも早く午前9時ごろには出勤し、終電で帰宅していた。仕込み、昼営業、仕込み、夜営業と間断なく仕事を強いられ、休憩時間は包丁の練習や使い走りに費やされていた。

 そうした実態もさることながら、問題は会社の給与体系にあった。公表していた初任給は19万4500円。ところが、実際には基本給を12万3200円に抑えた上で、残りを「役割給」と称し、月80時間残業しなければ満額支給しない仕組みをとっていたのだ。

 厚生労働省が脳・心臓疾患の危険が生じると判断する平均残業時間は、まさに月80時間である。

 きちょうめんな性格だった元康は、入社後の研修で知らされた初任給のからくりを、ノートに書き残していた。死後、ノートを見つけた隆子は「組織ぐるみで長時間の残業をし向けられていた」と痛感したという。

 吹上夫妻は、会社に加え、経営陣4人を相手に、安全配慮を怠ったとして民事訴訟を起こし、1、2審とも勝訴した。過労死をめぐって大手企業経営陣の個人責任を初めて認めた判決だったが、会社側は上告している。

価格破壊の裏側

 実は、役割給のほかにもうひとつ、見過ごせない争点があった。残業時間の上限を労使で決める「三六(さぶろく)協定」だ。この会社では繁忙期などの特別な事情があるときに限ってではあるが、月100時間に設定しており、1審判決が「労働者への配慮がまったく認められない」と指摘する根拠となった。

 すると会社側は、2審になって同業他社13社の三六協定を証拠として提出。中には特別な事情があるときの上限を月135時間に決めている企業もあり、これを基に「外食産業で、残業を上限100時間とすることは一般的だ」と主張した。

 企業は利益を出すために人件費を抑える。従業員は安い給料を残業代で補おうとする。価格破壊の裏側にあるこの構図が、長時間労働を常態化させている。

 吹上夫妻の代理人を務めた大阪過労死問題連絡会の弁護士、松丸正(64)は「低価格を売りにする外食産業が、過労死の危険のある三六協定を常識としているなら、社会常識に反している」と批判した。

 2審判決は「誠実な経営者なら、労働者の生命・健康を損なわない体制を構築し、過重労働を抑制する義務があることは自明」と断じている。

 ただ、三六協定が問題になり、海外メディアに取り上げられたという点では、元康の過労死は、23年前に米紙が初めて報じた「karoshi」と何ら変わりがなかった。(敬称略)

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