職場のトラブルどう防ぐ? 「働き方改革」叫ぶ前に労働時間管理の徹底を

 
井寄奈美 / 特定社会保険労務士

 

A男さんは従業員約50人のIT関連企業で総務課長を務めています。ある日、社長命令で、社内の「働き方改革」のリーダーを務めることになりました。しかし、改革以前に見直すべきことがたくさんあり、困ってしまいました。
 
できていなかった社員の労働時間管理
 
 社長は15年前に、5人の仲間と会社を創業しました。開発した業務ソフトがヒットして売り上げを伸ばし、順調に社員数も増えました。体育会系の社長で、創業当初は会社に寝泊まりすることもいとわず働いていました。

 

社長は「若いときは、寝食を惜しんで仕事をすることが自分の身になる」と考えていました。しかし、最近はせっかく採用した社員の離職が増え、世間で話題の「働き方改革」を自社でも実施しようと考えたのです。
 
 A男さんの会社では、労働時間管理がきちんとされていませんでした。社員が自分で始業と終業時刻を社内システムに入力する仕組みで、ルールがあいまいなこともあり、数分の遅刻であれば定時の始業時刻を入力してもおとがめなし、といった状況でした。

 

就業時間は午前9時から午後6時です。また1カ月60時間分のみなし残業代が設定されていました。社員には、残業するしないにかかわらず、みなし残業代を含めた毎月同額の給料が支払われていました。そのため、始業と終業の時刻を正確に入力する社員もいれば、残業したとしても、定時の就業時間を入力する社員もいたのです。
 
 しかし、みなし残業代を支払う場合でも、みなし残業時間(このケースでは月60時間)を超えて働いた場合は、別途残業代を支払う必要があります。ところがA男さんの会社には、「社員はみなし残業時間内で残業する(しているはず)」という暗黙のルール(思い込み)がありました。そもそも社員が実際に何時間働いているか把握していなかったのです。
 
調査で明らかになった多額の未払い残業代
 
 社長が「働き方改革」と言い始めた背景には、社員に長時間労働の懸念があったからでした。まずは、個々の社員の実労働時間を把握する必要があります。Aさんは、過去1年分のビルの入退館カードの記録と出勤簿を照合しました。その結果、月60時間を超えて残業をする社員が相当数いることがわかったのです。
 
 ある社員は、みなし残業時間を平均で月50時間もオーバーしていました。合計で月110時間の時間外労働です。1年間の超過残業は600時間、深夜割増を含めて未払い残業代は140万円を超えました。

 

社長に結果を伝えると、「入退館記録は在社時間の記録だよね。会社にいた時間にずっと仕事をしていたのかどうかわからないよ」と言います。確かに社長の言い分にも一理ありました。終業後に談笑したり、資格試験の勉強をしたりする社員もいたからです。

 

しかし、労働時間を管理していなかったので、今となっては社員が会社に残って何をしていたのかは確かめようがありません。未払い残業代について順次対応していくことにして、今後こうしたことが起こらないよう労働時間管理と残業代の取り扱いについて、営業部門や制作部門の責任者も交えて話し合いました。

 

その結果、次のルールが決まりました。就業時間は指紋認証機能のあるパソコンを起動した時を始業時刻、電源を落とした時を終業時刻として記録する▽残業は事前申請制とし、上司の承認を得る▽総務部で社員の日々の残業時間を管理し、月の累計残業時間が30時間、50時間、70時間に達した時点で注意喚起メールを上司と本人に送る▽みなし残業時間を超えた時間には別途残業代を支払う──の四つです。
 
 ルールはすぐ実行に移されましたが、突然の変更に戸惑う社員もいました。しかし、A男さんは「働き方改革」のリーダーとして、本丸の改革を進めていくためにも、まずは新しいルールを社内に浸透させることが必要と信じ、試行錯誤しています。

 

改革以前に会社がしなければならないこと
 
 A男さんの会社で行われたことは「働き方改革」ではありません。本来は会社がやらなければならないことばかりです。しかし小さな会社では、できていないケースも多いようです。まずは自社の現状を直視することが改革の第一歩です。
 
 会社は社員の労働時間を正確に把握し、社員にも時間を意識して働いてもらわなければなりません。そして、限られた時間内で仕事をこなすために、業務分担や人員配置、業務プロセス、取引先、取引形態の見直しを検討する必要があります。

 

A男さんの会社は、改革のための土台を築く段階にいます。今後、働き方を見直すためにも、過去の負の遺産である未払い残業代の精算を早く決着させる必要がありますが、社長はその決断をできていない状況です。
 
 「いつかやらなければ」とずるずる先延ばししても、職場環境の改善は進みません。現場の社員の意見もくみ取りながら、経営トップが強い意志を持って取り組む必要があります。

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