神津里季生の「おやっ?」と思うこと〜労働組合とメディア論 (1/4)

神津里季生の「おやっ?」と思うこと〜労働組合とメディア論
https://imoriki.hatenablog.com/entry/2020/01/04/121627
2020-01-04 はてなブログ

ー「合流協議」について思うことー

☆有権者の目線は?

 立憲民主党と国民民主党との間でのいわゆる合流協議が、両党幹事長間での段階を終え、年をまたいで両党首に引き継がれることとなっています。それぞれの当事者や関係者が熱い気持ちでこの問題に関わってきていることは当然で、そのこと自体は尊重されるべきですが、その熱さに比べて世の中の目線、有権者の目線が冷ややかであることも、一方では冷静に見極めておくことが必要だと思います。

 「どうせまたガタガタするのだろう」とか「元のさやにおさまるだけで反省もなしか」、「選挙目当て・金目当てに違いない」等々の厳しい反応は根強いものがあります。民主党政権がバラバラになって以降、やることなすことがマイナス方向に向かい続けた7年間でしたから、先の臨時国会における共同会派結成の日がまだ浅い中では、当然すぎる反応として見ておかねばならないと思います。

 一方でこの合流への動きの是非を問う世論調査の回答が、必ずしも「非」だけに偏らず「是」とする割合もそれなりにあることには注目すべきでしょう。しかしそれでも、合流に対する素直な期待が「是」につながっているとは思えません。そうではなくて、そこまで現政権に嫌気がさしている人が多いと捉えておくことが普通の解釈でしょう。両党にチャンスが巡ってきた原因は現政権の失態であり、この間繰り返されてきた忖度・隠ぺい・改ざんの疑惑の積み重ね以外の何物でもありません。

 それだけに今回ここでも協議が失敗し野党間の分断を深めてしまったら、多くの有権者はいよいよ「仕方がないから今の政治で我慢しよう」となるでしょう。それは両党にとっても日本の民主主義にとっても致命的です。私たちは長い道のりをさらに遠回りしなければならなくなるでしょう。謙虚さ・丁寧さが何より重要な局面にあると思います。

☆私たちが求めていること

 両党の協議に入るに際して先月18日にお見えいただいた枝野代表・玉木代表それぞれに、連合の立場から申し上げたことは以下の三点でした。

・二大政党的運営を理想とする私たちからすれば究極的には望ましい姿と言える。

・しかしこのことがまちがっても再びバラバラ感・ガタガタ感を招来することになってはならない。

・すでに共同会派に向けた動きのなかで要請してきたことと同じく、お互いの立場を尊重しつつ、丁寧にものごとを進めていただきたい。

 そして引き続き衆議院の各選挙区における候補者調整の促進と地方連合会との連携強化について求めてきたところです。

 当たり前の話ですが、政治の主役は主権者たる国民です。全ての選挙区において、多くの国民が納得できるような明確な選択肢が示されなければならないと思います。

 私たち連合は、働く者・生活者こそが主役の社会を求めています。そのことに全力をつくす候補者が、各選挙区で一本化されることは大変に重要です。今回の動きが政党の合流に向かうことももちろん大事なことですが、それよりも肝要なことは、この一本化作業において必要な「ふところの深さ」が、今後の運営を貫く基盤となりうるのか否かであると思います。

☆野党間の小さな違いではなく与党との大きな違いを目立たせてほしい

 政策面で不安視される問題もメディアでいくつか取りざたされていますが、この点もふところの深さが問われるところです。広範な有権者の目線に立って、そもそも何が大事なことかを見失わないでほしいと思います。

 例えばエネルギー政策です。この間両党は、結果としてお互いの間の小さな違いを目立たせてきた感がありますが、そもそも多くの有権者にとってはその小さな違い自体が差し迫った重大な問題とは全く映っていないのではないでしょうか?示してもらいたいのは将来のあるべき姿でありそこに向かっての工程表なのです。そのうえで、原子力エネルギーをどうするのか、地球環境の問題をどう受けとめるのか、といった骨太の点で政権与党との大きな違いを示すことこそが求められているのではないでしょうか。

 そうしてみたときに、かつて前身の民主党が確立していた政策は、福島第一原子力発電所のあの事態を政権与党として経験してきたなかであっただけに、非常に重たい意味を持っていたと思います。連合もほぼ同時期に、(2030年代とまでは特定しないものの)原子力エネルギーへの依存脱却を明確にする考え方を同様に確立し今日に至っています。現在の政権与党が依然として原子力エネルギーを20%強とする基本的考え方を継続している状況とは大きく異なるのです。

 ところで、市民連合と野党との間で昨年7月の参院選の際に示された「13項目」の政策を振り返ってみると、エネルギー政策については「福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意のないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーの確立と地域社会再生により、原発ゼロを目指すこと」とされています。この内容は、細かな表現やニュアンスの違いを別とすれば、連合の考え方ともニヤリーイコールといえるものです。

 大きくまとまることの大事さに心を砕いたことの苦労をみてとることができます。

 これらのことを関係者は重く受けとめるべきと考えます。

☆どこに向けられたメッセージなのか

 よくあるステレオタイプの報道は、「電力総連を抱える連合は脱原発を容認しない」というものです。このこと自体が粗雑な取り上げ方で事実誤認であることは前項で述べたとおりですが、この種の報道の持つ問題性の重たさはさらに別のところにあります。この種のステレオタイプの報道が罪深いのは、困難な状況のなかで心血を注いで働いている電力総連の組合員の人たちの真情をなんらおもんぱかることなく、既に流布されているイメージだけを垂れ流していることにあります。

 電力総連の仲間にとって切実なことは、そもそものエネルギー政策の方向性自体を明確な根拠とともにしっかりと定めてもらいたいということなのです。そして、そこに向かってしっかりと政策資源を投入してもらいたいということなのです。さらに言うならば、必死に維持してきている働く意欲に傷をつけないでくれということなのです。

 与党も野党もその場しのぎの言辞にとどまっているような現状に対してこそ追及の目が向けられるべきです。ましてや、会社側の言い分を代弁する組織のように取りざたされることは論外であり迷惑千万です。働く者の視点に立ったメッセージを心より求めておきたいと思います。

☆世界と向き合うこと

このエネルギー政策も一つの典型ですが、日本は世界の潮流やニーズにあまりにも無頓着なのではないでしょうか?あの福島の事故を日本はどのように克服していくのか?世界の大きな注目に対してわが国はきちんとした姿をみせていく責任があると思います。しかし足元ではその国家的事業を支える政府の姿勢も社会的コンセンサスも心もとなく、人材をしっかりと育て確保していくような体制にあるのか等、極めて疑問です。

 そして地球環境の問題との整合性です。なぜ世界最先端の省エネ技術を持つわが国が「化石」などと揶揄されなければならないのでしょうか?

 いずれもわが国が内向きの、その場しのぎの政策の繰り返しだけで、世界に対するアピールも満足にできず、また理解されなくても仕方ないと言わんばかりの対応を重ねてきたことが、悪循環をきたしているのではないでしょうか?

☆「しぼんでいく国」としての危機感の欠如

 そもそもわが国は全ての問題において、せっかく持っている力をはっきするどころか、どんどんと「しぼんでいく国」になってしまっているのではないでしょうか?

 深刻なのは少子化・高齢化・人口減少の問題ですが、それだけではありません。

 約20年間にもわたるわが国の格差拡大・貧困社会の実態は、世界の流れとの隔絶とも相まって抜き差しならない状況をもたらしています。賃金水準も先進諸国との圧倒的な差を埋めるのは容易ではありません。大企業と中小企業の格差を拡げ続けてきた20年です。低処遇で不安定な雇用の姿を増大させ続けてきた20年です。ブラック企業なる言葉を人口に膾炙させてきた20年です。あげくのはてにギグエコノミーで雇用からの逃げ道を図る経営者が引きを切りません。(ここだけは世界の潮流にさとい)

 そうかと思えば、あまりの低処遇の実態から、せっかく専門資格を持っている人が大勢いてもそれが活用されない介護や保育の状況があったり、すり切れた雇用の実態からはじかれた無業者やひきこもりの人たちが増加し続けてきています。

 人手不足に悲鳴をあげて、あわてて外国人労働者に門戸を開いた形になっていますが、このような国にはなかなか来てもらえない実態もあらわになっています。

 税財政の問題も根本的なところにフタをしたままで、目先の支出削減策が毎年繰り返されるばかりです。雇用や生活保障のセーフティーネット等、欧州先進国の状況や先進事例とは無縁のままに行き詰っているのがわが国の実態ではないでしょうか。

 明確な海路図のないまま、先進国軍団からもはぐれたままの日本丸はいったいどこへ行くのか。そもそも政局の一つひとつに一喜一憂している場合ではないと思います。将来の姿がみえていないのです。

☆働く者ファーストで進むのみ

 分裂して小さくなっても依然としてガタガタしている人たちが再結集して本当にまとまれるのか、という声もあります。私は危機感さえしっかりと共有されれば、有権者の真の期待に応えるかたまりが形成されることは十分可能だと思います。

 しかし政治の世界につきものの怨念がどう災いするのかしないのか、不安も拭うことができません。前回総選挙の際の希望の党騒ぎで生じた怨念、そして分裂がきっかけとなって増幅されてきた怨念。しかし関係者にはよく考えていただきたい。あのときに話を破壊したのは旧民進党内部ではなく、外部の勢力なのです。メディアが一向に核心に触れないのをいいことに、今なお隠れたままとなっている外部の勢力なのです。そんなものに踊らされ続けて、怨念を乗り越えられなくていいのでしょうか?

 私たちは楽観にも悲観にも偏らず見守り続けます。結果がどうなろうとも働く者ファーストで前に進むのみです。団結こそ命です。

                         (了)

 

神津里季生 (id:imoriki) 17時間前
 

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