朝日社説−−最低賃金―引き上げを出発点に

朝日新聞 8月7日

まじめに働けば生活できる社会を目指して、時間あたり賃金には最低限度が設けられている。その「最低賃金」の目安が全国平均で15円引き上げられることが、厚生労働省の中央最低賃金審議会で決まった。

民主党は昨年の総選挙の政権公約で「全国最低800円」を掲げていた。早期実現を求める労働側と、景気の先行きや中小企業の不振を懸念する使用者側との間で、審議会は徹夜の激論となった。それでも過去最高水準の上げ幅で決着した背景には、最低賃金の意味の激変がある。

日本の最低賃金は、親の家から通う若い働き手の初任給の水準だが、正社員を前提に年功賃金で30代には家族を持てる設計になっていた。ところが、1990年代からの不況の中で、何年働いても賃金が上がりにくい非正社員が3人に1人に増えた。最低賃金の低さが「ワーキングプア(働いても貧困な人々)」に直結しやすい構造だ。

現在の最低賃金の全国平均は713円。フルタイムで働いても年収150万円程度だ。こうした年収200万円未満の働き手のうち、世帯主は5人に1人近くもいる。最低賃金が生活保護を下回る「逆転現象」が起きている地域も12都道府県に増えた。これでは、働く意欲が損なわれかねない。

欧州では、「働き手が生活できる賃金の保障が企業の役割。それができなくなったら退出してもらい、新しい産業を興す」との原則から、最低賃金を引き上げる動きが続いてきた。

先進国で最低水準とされた米国も格差や貧困が問題視され、連邦最低賃金が09年までの3年間で40%増の7.25ドルに引き上げられた。日本でも今回、働き手の生活保障への企業責任が再確認された形だ。

ただ、課題は山積している。

青森や沖縄など最低賃金が低い地域で、10円の大幅引き上げとなった。底上げへの決意が示された形だが、同時にこれら高失業地域の産業振興や、地域を支える中小企業の支援強化は、待ったなしになった。

最低時給800円が実現しても、年収はフルタイム労働で200万円に及ばず、住宅も教育費も賃金依存の日本ではやっていけない。欧州では高負担と引き換えに社会的サービスを充実させ、賃金以外の支えを強めてきた。支えのあり方の再考も必要だ。最低賃金の引き上げに見合った生産性の高い働き手を育てるために、公的な職業訓練の充実も問われる。中小企業への支援と並んで、社会貢献・社会参加の場としての「社会的企業」の整備も進めたい。

最低賃金引き上げは、「脱貧困」に向けた総合的な枠組み作りを抜きには機能しない。「出発点としての引き上げ」であることを肝に銘じたい。

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