東京社説 年のはじめに考える 原子力の時代を超えて

 東京新聞 2013年1月4日
 
総理、後戻りはいけません。国民の多くは、それを望んでいない。原子力の時代を超えて「持続可能」へ向かう。3・11を真に乗り越えるためにです。
 
ドイツの哲学者故マルティン・ハイデッガーは「原子力の時代」に懐疑的でした。一世を風靡(ふうび)した「存在と時間」の著者が、です。
 
一九五五年、南ドイツの小さな町での講演で「いったい誰が、どこの国が、こういう原子力時代の歴史的進展にブレーキをかけ、それを制御しうるというのでしょうか。われわれ原子力時代の人間は技術の圧力の前に策もなく、投げ出されているようです」と、核の脅威を語っています。
 
◆制御しがたい巨大な力
 
日米原子力協定が調印され、東京で原子力平和利用博覧会が開幕した年でした。米ソの核競争が激しくなっていたころです。
 
哲学者は続けます。
 
「われわれの故郷は失われ、生存の基盤はその足もとから崩れ去ってしまったのです」と。

 核兵器と原発。核は制御し難いものであることを、福島原発事故に思い知らされました。理不尽な力に故郷を追われ、多くの人々が避難先の仮住まいで、二度目の新年を迎えることになりました。哲学者が遺(のこ)した言葉は、予言のようにフクシマの心に迫ります。

 原子力の時代は、ヒロシマから始まりました。生存者に「太陽が二つあった」といわしめた計り知れない核分裂のエネルギー。その強大さに、唯一の被爆国さえも、いや、その力に打ちのめされた唯一の被爆国だからこそ、「平和利用」という米国産のうたい文句に魅入られたのかもしれません。

 戦災復興、そして高度経済成長へ。再び急な坂道を駆け上がろうとする時代。時代を動かす強力なエネルギーが必要だった。
 
◆核のごみがあふれ出す

 原子力の時代はヒロシマで始まって、フクシマで終わったはずではなかったか。水素爆発の衝撃は神話のベールを吹き飛ばし、鉄骨やがれきの山と一緒に横たわる、それまで見ないようにしてきたものが露(あらわ)になったはずだった。

 フクシマは教えています。

 人間はいまだ、自然の猛威にあらがう技術を持ちません。これからも持ちうることはないでしょう。雨風に運ばれ、複雑な地形の隅々にまで入り込んでしまった放射能を集めるすべはありません。

 ひとたび事故が起きたとき、電力会社はおろか、政府にも、広範で多様な損害を満足に償うことはできません。補償は莫大(ばくだい)な額になり、安全のための補強にはきりがない。ほかよりずっと安いといわれた原発の発電コストが、本当は極めて高くつくことも、福島の事故が教えてくれました。

 核のごみ、危険な使用済み核燃料の処分場は決まりません。各原発の貯蔵プールからいまにもあふれ出そうとしている。
 
その上、原発の敷地内やその周辺からは、大地震を引き起こす恐れのある活断層が、次々に発見されています。日本列島は地震の巣です。原発を安全に運転できる場所など、あるのでしょうか。
 
このような欺瞞(ぎまん)や危険に気付いたからこそ、昨年の夏、前政権が全国十一カ所で開いた意見聴取会では約七割が、討論型世論調査では半数が「二〇三〇年原発ゼロ」を支持しています。
 
原発の是非を外側から論ずるだけではありません。人や企業は原発への依存を減らすため、自らの暮らしと社会を変えようとし始めました。
 
電力会社があおる電力危機を、私たちは省エネ努力で乗り切りました。節約型の暮らしは定着しつつあり、後戻りすることはないでしょう。太陽光や風力など、自然エネルギーの導入を近隣で競い合う、そんな地域や町内も、もう珍しくはありません。
 
原子力の時代を超えて、その進展にブレーキをかけようとしています。
 
◆地域が自立するために
 
3・11以前、都会から遠く離れた原発の立地地域は、安全と地域の存続をはかりにかけて、悩み続けてきたのでしょう。
 
交付金や寄付金頼みの財政は、いつまでも続きません。
 
今ある港湾施設や原発の送電網などを利用して、新しいエネルギー産業を創設し、雇用を生み出すことができれば、本当の自立につながります。ふるさとを未来へと進める仕組みを築く、今がそのチャンスです。
 
原子力の時代の次に来るもの。それは、命や倫理を大切に、豊かな暮らしと社会を築く、「持続可能の時代」であるべきです。
 
発足早々、原発の新・増設に含みを持たす安倍政権には何度も呼びかけたい。時代を前へ進めることが、政治家と政府の使命であり、国民の願いでもあると。

 

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