衆議院厚労委員会における寺西笑子さんの意見陳述

2014年5月23日で寺西笑子さんが過労死家族の会を代表して意見陳述を行いました。

上の衆議院TVインターネット審議中継でも視聴できますが、文字編集版を以下
に掲載しておきます。

2014年5月23日 衆議院厚生労働委員会

意見陳述

全国過労死を考える家族の会 代表世話人 寺西笑子でございます。

このたびは、衆議院厚生労働委員会 採決にあたり意見陳述の機会を与えてくださったことに、後藤 茂之委員長はじめ、厚生労働委員会のみなさまに厚く御礼申し上げます。

私たちは、愛する家族をある日突然に長時間過重労働やパワーハラスメントで命を奪われました。夫や妻、娘や息子など、かけがえのない大切な家族を失った遺族が悲しみを乗り越え、励まし合って支え合う「家族の会」を創ろうと声をあげたことから、1989年11月に「過労死を考える家族の会」が誕生しました。

以来、毎年11月に、国へ「過労死防止対策」を求めて要請行動をおこない、「過労死のない社会」を願って活動しています。

私ごとですが、夫は、1996年2月に過労自死しました。

飲食店の店長だった夫は、平成不況のあおりを受け会社が生き残るために、サポート体制が無い中、達成困難なノルマを課せられ年間総労働時間4000時間にも及ぶ長時間過重労働を強いられました。

真面目で責任感が強い夫は、身を粉にして必死の努力を重ねたことで、業績は回復したものの、会社が命令した右肩上がりのノルマには達しなかったため、連日パワーハラスメントを受けたあげく人格否定され、意に添わない異動を言い渡されたことで、身も心も疲労困憊になり、うつ病を発症して投身自殺を図りました。

過労自死に追い込んだ社長は、土下座して泣いて謝りましたが、数日経てば
手のひらを返したような態度になり、職場に箝口令が引かれました。

「会社は酷いところ」と言っていた同僚や部下までが、本当のことを言ってくれなくなって実態解明は困難を極めました。

無我夢中の長い裁判の中で、過酷な労働実態は明らかになり名誉回復することはできましたが、夫は二度と生きて返ってくることはなく、命を救えなかった悔しさが胸に刻み込まれ、どうすれば死なずにすんだのかを考えていくことが私の生きてゆくテーマになり、「家族の会」で活動しています。

過労死は今もなお増え続けており、相談者は絶えることはありません。
近年、入社数ヶ月でうつ病になり息子さんが自死された親御さんや幼い子供を抱えた妻が悲愴な状態で相談に来られています。

懸命に育てた息子や娘を亡くした親は、親自身の人生までもが奪われ、乳飲み子を抱えた妻は、明日からの生きて行くすべさえ奪われるのです。

ましてや「これから」という人生を奪われた本人の無念は、如何ばかりでしょうか!

労災申請するには、こうした高い壁が立ちはだかり、申請しても遺族が立証するには限界があるため泣き寝入りする遺族がほとんどで、認定される遺族は氷山の一角であります。

職場は違っていてもその背景には、真面目で責任感が強い優秀な人が長時間過重労働で心身の健康を損ない、過労に陥り命を奪われている実態があります。

これからの日本社会を背負って行く若者が過酷な労働環境に追いやられ、優秀な人材を亡くすことは、日本の未来をなくすことであります。

私たちは繰り返される過労死をなくしたいとの切実な思いから、過労死をなくすための対策を、国にお願いしたいと切望するようになりました。

この国の過労死をなくす法案を、衆議院厚生労働委員会 全会一致で本会議に送っていただきますように心からお願い申し上げます。

この日本に初めて過労死という文言の入った法律をつくり、国をあげて、過労死を防ぐ対策を進めてくださるよう切にお願い申し上げます。

また、私たちの願いを受け止めてくださった、馳 浩議員連盟 世話人代表はじめ、泉健太事務局長および超党派議員連盟の先生方に、お世話になりましたことを心より感謝申し上げます。

四半世紀続いた過労死をなくし、明日にでも過労死するかも知れない命を一人でも多く救うために、「過労死防止月間」を今年11月から実施できますように、
来年度よりは、さらに本格的な施行ができますように、この法案を今国会で必ず成立させていただきたいと切に思います。

「過労死防止法」法案成立後 私たちも努力してまいる所存です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

寺西 笑子

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