中日新聞 2014年9月6日
格差をめぐる議論や抗議が欧米で盛んです。現状への不満から極右勢力が伸長、格差論議に一石を投じる本がブームに。日本だけが独り静かです。
欧州と日本を行き来している経済協力開発機構(OECD)の玉木林太郎事務次長兼チーフエコノミストは首をひねります。
「欧州ではいかにして格差を縮小するか日々問われているが、日本では成長論ばかり。対岸の火事ではなく、もっと格差の問題に声を上げるべきではないか」
日本の議論は下火に
OECDは七月、加盟三十四カ国で所得格差が広がっていると発表、日本も年々拡大しています。にもかかわらず、ここ五年ほど議論はすっかり下火です。
経済の長期停滞や若者の高失業率、格差への不満から五月の欧州議会選ではフランスや英国などで極右が議席を大量獲得。移民排斥や欧州統合反対を掲げる勢力ですから各国は大いに慌てました。
一方、米国では上位3%の高所得層に富の五割以上が集中するほどに格差が大きい。才覚と努力次第で成功できた「アメリカンドリーム」は今は昔、「1%対99%」が定着し、「金融街を占拠せよ」などの抗議運動が巻き起こったのは記憶に新しいところです。
この春からは格差論議を高める本が一大ブームとなっている。若きフランス人経済学者、トマ・ピケティ氏の「二十一世紀の資本論」という七百ページに迫る大著です。分厚い経済専門書なのに異例の売れ行きを記録しています。
この本の特筆すべきところは、欧米や日本など二十カ国以上を対象に、過去二百年以上にわたる税務などの膨大なデータを十五年かけて調べ上げ、ある衝撃的な事実を突き止めたことです。
分厚い経済書が警告
それは「経済成長率よりも資本収益率が常に上回っている」、つまり労働者が汗水たらして働いて得る賃金の上昇(国民所得の伸び)より、金持ちが不動産や金融資産から得る利益の増え方の方が高い。持つ人と、持たざる人の格差は拡大していくという受け入れがたいともいえる事実でした。
例外は戦争と大恐慌時。資本が破壊されて一時的に格差は縮小するのです。不気味なのは最近の格差の水準が、第一次世界大戦直前に近づいていることだと、ピケティ氏は「警告」します。
さらに格差は相続によって親から子へと継承され、氏はこの「世襲資本主義」は果たして公正なのかと問い掛けます。
先進国では長らく「経済成長すれば格差を縮小させる」という説が有力でした。国内総生産(GDP)の生みの親でノーベル経済学賞受賞の米経済学の泰斗、クズネッツ氏が一九五〇年代に唱えたクズネッツ仮説です。この常識を揺るがしたと言っていいでしょう。
もう一つ、日本にとって同じくらい重要な命題があります。「格差拡大は成長を妨げる」。OECDや米格付け会社スタンダード&プアーズが最近明らかにしました。かいつまんでいえば、消費を担う中間層が減少し、何より所得格差は教育機会の格差となって深刻な問題をはらむというのです。
教育機会の減少は単に低所得層が増えるだけでなく、若者の可能性の芽を摘む。将来の国富の喪失につながることこそが、最も深刻な問題の本質です。
日本の子どもの貧困率は二〇一二年に過去最悪の16%超に達しました。安倍政権は対策の大綱をまとめましたがまったくの期待外れです。飛び級などごく一部のエリートへの英才教育に力を入れるより、失われかねない可能性をすくい上げてほしい。
安倍晋三首相は内閣改造後の所信で「頑張った人が報われる社会に」と強調しました。皆が同じスタートラインから走りだすなら首相の言葉も理解できる。でも、今の格差社会は努力や能力より出生がどこかで決まってしまう。
貧困家庭に生まれればスタートラインのはるか後方から、対して富裕層の子弟や二世政治家は限りなくゴールに近いところからスタート、頑張っても追いつけないほどの格差がある。日本人は確かにもっと声を上げるべきです。
崩れる社会の安定性
格差を生むグローバル資本主義に早くから懐疑的な佐伯啓思・京都大学大学院教授は言います。「今は普通のサラリーマンが本当に疲弊している。統計に表れず、目には見えない形で。市場経済がうまく機能するには社会や政治の安定が必要だが、問題はその安定性が崩れてきていること。日本型経営のいい部分を発展させるなど中間層の安定を急ぐべきだ」
成長が重要というなら、やるべきは大企業や富裕層を富ますトリクルダウンではなく、所得再分配など格差を縮める政策なのです。