「裁量労働制」データ捏造から読み取れるもの

         兵庫県立大学客員研究員 大阪損保革新懇世話人  松浦 章

 

はじめに

 

「企画業務型裁量労働制」の対象拡大をめぐっての国会質疑で、安倍首相は労働時間ねつ造データを示し“裁量労働制は一般労働者より労働時間が短い”という答弁を行った。その後首相は撤回はしたものの、厚労省から提出されたデータを使用しただけだと居直りに終始している。しかし、虚偽のデータに基づいて法案が作成されたとすれば、白紙に戻すのは当然のことであろう。

 

同時に、この問題の背景には、国民の生命や健康をまったく顧みない日本政府の根本姿勢がある。

 

1 「裁量労働制」適用者の長時間労働は自明であった

 

「裁量労働制」で働く労働者の労働時間が長いというのは、報道されている2014年の「労働政策研研究・研修機構」による調査のみならず、それ以前の調査でもすでに明らかになっていたことである。筆者の知る限りでも、2005年の同機構「日本の長時間労働・不払い労働時間の実態と実証分析」、2008年、同機構研究員・小倉一哉氏による「日本の長時間労働―国際比較と研究課題」などでの指摘が存在していた。労働時間問題にかかわる研究者にとっては、裁量労働制が長時間労働の温床であることはいわば常識であったと言えよう。ましてや厚労省が、その所管である「独立行政法人労働政策研究・研修機構」のこうしたデータの存在を知らなかったとは考えられない。

 

安倍首相にしても同様である。日本経団連がなぜここまで「企画業務型裁量労働制」の適用拡大にこだわってきたのか、その理由が長時間労働の改善などではなく「時間にとらわれることなく『自由』に働いてもらう」というものであることは、首相自身もよくわかっていたはずである。裁量労働制の拡大がさらなる長時間労働をもたらすものであることを(おそらく)知りながら、それを隠蔽するために、これは使えるとばかりに捏造データを国会に持ち出してきたのであろう。とにかく国民をだまそうとする。ばれたら居直って恥じない。こうした感覚が今の政府の異常さを物語っている。

 

2 「裁量労働制」拡大の狙いは「労働時間概念」の破壊

 

「企画業務型裁量労働制」拡大の影響は、労働時間が少し長くなるといった程度の問題にとどまらない。今回の「法改正」の背景には「労働時間概念」を捨て去ろうとする財界の強い要望がある。労働者は「オフィスにいても、いつも仕事をしているとは限らない」という日本経団連の言葉がその狙いを的確に示している。労働者に対して失礼な話であるが、この考え方はすでに現実のものになっている。

*「労働時間概念」の議論は、労働基準法第32条「使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない」の解釈問題として行われてきた。行政解釈や通説は、労働者が使用者の指揮命令下に置かれた時間を労働時間と解する。

 

損保業界の最大手、損保ジャパン日本興亜の社内文書「2016年度下期労働時間対策」には下記のとおり「法定外残業時間」が「在社時間」と書かれている(網掛けは筆者)。

 

【みなし労働時間適用者】

 ◆1カ月あたりの在社時間の平均

従業員区分

職員(総合系・専門系・技術調査系)

20164月〜8月実績

 

40.38時間

 (−1.92時間)

( )内は前年度同期間(20154月〜20158月)との比較

在社時間=終業時間−始業時間−休憩時間(1時間)−8時間

 

これによると、「みなし労働時間」適用者の法定外「在社時間」は平均1か月40.38時間となっている。同社の「みなし労働時間」は、「企画業務型裁量労働制」が19時間(法定外11時間、1か月約20時間)、「事業場外労働制」は8時間(法定外0時間)である。実際の在社時間はもっと長いと思われるが、会社の示した数値で見てもはるかにオーバーしていることになる。明らかに賃金不払い労働であるが、同社では社員が長時間働いていても、あくまでも「在社時間」であって「残業時間」ではないと言うのであろう。安倍首相は、国会にデータを持ち出すのであれば、こうした実態をこそまず確認すべきであろう。

 

労働基準法違反で有罪判決をうけた電通も同様である。電通でインターネット広告を担当していた高橋まつりさんは、常軌を逸した長時間労働を余儀なくされていた。しかし勤務管理のデータ上では「三六協定」を遵守していたことになっていた。上司からの指示で、時間外労働時間が、「三六協定」上限の70時間を超えないように、「勤務状況報告書」を修正させられていたからである。長時間会社にいながらも、「中抜け時間」があるとされた。日本経団連の言う「会社にいても仕事をしているとは限らない。だから労働時間とはみなさない」という考え方で、過労自死するまでの長時間労働を強いられてきたのである。

 

3 「企画業務型裁量労働制」拡大の危険性

 

しかしその電通でさえ、営業職への「企画業務型裁量労働制」適用については、現行の労働基準法の規定ではハードルが高いと、これまで制度導入を断念してきた。それが、営業職にまで拡大されたときに何が起こるのか。高橋まつりさんのような働き方が、「合法」化されることになるのである。

 

さらに問題は、「裁量労働制」の適用要件に、「高度プロフェッショナル制度」のような収入のしばりがないことである。現に政府は26日の閣議で「契約社員や最低賃金で働く労働者にも適用が可能」とする答弁書を決定した。しかし考えてもみてほしい。自分の裁量で自由に仕事ができ、自由に出勤・退勤ができる非正規雇用者がいるであろうか。非正規雇用者どころか、現在「裁量労働制」が適用されている正規雇用者ですら、そんな働き方ができている労働者はいないであろう。しかし、「あなたは今日から裁量労働だ」と言われたら、大半の労働者は、従わざるをえない。結果、際限のない長時間労働が、すべてのホワイトカラー労働者に広がることになる。

 

4 ドイツと日本の根本的な違い

 

安倍政権の「働き方改革」には、過労死や長時間労働で疲弊する労働者に思いをはせるといった姿勢が見られない。しかし、この姿勢は「働き方改革」にとどまらない。自公政権には、国民の生命や健康に配慮するという考え方がまったく欠如しているということである

 

熊谷徹氏というジャーナリスト(元NHK記者)が、昨年『5時に帰るドイツ人、5時から働く日本人』という本を出版した。今はフリーで、ドイツに27年間住み日本とドイツ社会の定点観測を行っている。保険毎日新聞という保険業界の専門紙に「ヨーロッパ通信」というコラムも書かれており、私たち損保関係者には以前からなじみのある方である。同著では、6か月平均で8時間以上働いてはならないドイツが、労働生産性では46%も上回っている事実を明らかにしている。同氏はその背景にきびしい労働時間規制があると述べている。このこと自体、安倍政権の「働き方改革」と真逆と言えるが、「真逆」の政策はそれにとどまらない。

 

熊谷氏はドイツの原発政策にも言及している。

 

「ドイツ政府は、2022年末までに原発を全廃し、2050年までに電力消費量の中に再生可能エネルギーが占める比率を、80%までに引き上げることを決めた。再生可能エネルギーは、国民を危険にさらす可能性が原子力よりも低いからだ。しかも、福島原発事故からわずか4か月で脱原発を法制化した」

 

ドイツは、地震が非常に少ない国として知られている。地震を1度も経験したことがないという方も多いという。したがって原発のコストははるかに低い。それが原発廃止政策によって、再生可能エネルギー拡大のためのコストが「賦課金」として国民や企業の肩に重くのしかかっているという。さらに、保険毎日新聞のコラムでは、CO2削減目標を後退させざるをえなかったとも書かれている。しかしドイツ政府の脱原発政策に躊躇はない。国民の生命と健康が第一と考えているからである。

 

一方、日本の政府・財界の判断基準はどうか。安倍政権、日本経団連の姿勢は、「コストがかかっても躊躇はない」というのは一緒であるが、その政策は真逆である。国民の生命が脅かされようと関係ない、企業の利潤が第一だというわけである。シビアアクシデントによって、周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えるという姿勢は見られない。彼らにとってリスクとは、利潤という経営上のリスクでしかないのである。

 

おわりに

 

「働き方改革」や原発の再稼働に見られる政府のこの姿勢をこそ、私たちは問い続けなければならない。

 

財界が「労働時間概念」を捨て去ることを強く求め、そのとおりに労働基準法が改正されたとしたら、長時間労働とサービス残業、ならびに、過労死まで「法認」されることになってしまう。雇用・労働の規制緩和と決別し、労働基準法「改正」を何としても阻止しなければならない。

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