精神科医の立場から過労自殺に立ち向かう-粥川裕平・かゆかわクリニック院長に聞く

 精神科医の立場から過労自殺に立ち向かう-粥川裕平・かゆかわクリニック院長に聞く◆Vol.1

医療維新 2019年5月15日 m3.com地域版
 
 精神科医の立場から、睡眠障害の研究や労働者のメンタルヘルス、過労死などの社会問題に積極的に取り組み、過労死防止学会の発起人・幹事も務める、名古屋市のかゆかわクリニック院長粥川裕平氏。過労死問題に取り組む弁護士らのグループにもアドバイザーとして参加し、労災認定をめぐる訴訟で意見書を書くなど、社会的な活動も積極的に行う。同氏にその取り組みの詳細や、医療の枠に留まらず、社会的な活動を始めた経緯について伺う。(2019年3月25日インタビュー、計2回連載の1回目)
 
▼第2回はこちら(近日公開)
 
かゆかわクリニック院長 粥川 裕平氏
――精神科医の立場から、職場のメンタルヘルス・過労死問題に取り組むようになったきっかけを教えてください。
 14歳で医師を志し、高校生の頃から心理学と精神医学に興味を抱き始めました。大学2年次に精神科へと進むことを決め、その頃には統合失調症に特別な関心を持ち、また業務関連の精神疾患の重要性も感じていました。1970年代初頭、四大公害裁判が行われた頃です。大学を卒業し、総合病院や大学病院で研修の後、愛知県立城山病院に勤務していた1984年、東北新幹線上野地下鉄駅設計者の反応性うつ病による自殺未遂が労災認定され、新聞の一面に掲載されました。その時、指導教授と「これから社会が大きく変わる」と話し合ったことは今でもよく覚えています。これを契機に「職業と自殺」について一層興味を持つようになり、弁護士の方々を中心とした「過労死研究会」にも参加するようになりました。また、白ろう病(工具の使用等により手の皮膚が白くなり知覚異常が現れる障害)に取り組んでこられた名古屋大学医学部の山田信也教授から、「自殺」については精神科医が取り組んで欲しいと依頼されたこともきっかけの一つです。
 
――日本における一般的な職場環境の現状や課題。過労死の推移や傾向についても、見解を教えてください。
 戦後の日本は、まさにゼロからの出発で人々は睡眠時間を犠牲にして、高度経済成長を実現しました。先進国の仲間入りを果たし、「亭主元気で留守が良い」のキャッチコピーが流行語となった1980年代は、会社員をはじめ、平日の夜、家族と共に食卓を囲む労働者はほとんどいないという時代でした。ところが1992年のバブル崩壊を機に、労働者を取り巻く環境が大きく様変わりしていきます。終身雇用が瓦解し、製造業派遣法が施行され派遣社員や契約社員などの非正規雇用が増加して、全労働者の1/3をも占めるようになりました。同時に、長時間の過重労働や職場のパワハラが常態化し、過労死・過労自殺も増加の一途を辿っています。そうした事態に歯止めをかけようと、制定・施行されたのが、2014年の過労死防止法です。これにより、「残業時間を管理・制限されるようになったことで、収入は減ったけれど、睡眠時間を確保することができるようになった、体の疲れもとれるようになった」と話す患者は多いです。
 しかし、過労死や自殺の数は大きく減ることはないのではないかと考えています。バブル崩壊後14年連続した自殺者3万人超えからは減っているものの、日本人全体を見てみると、世代を限らず、高齢者・子どもたちの自殺数も世界的に見ると人口10万人対18人と世界の平均13人を上回り、自殺多発国であることは変わらないのです。働きざかりの世代が幸せでないから、上にも下にも波及している。みんなが希望を持ちにくい、生き辛い時代であるがゆえに、心の悩みを抱える人=精神疾患も増えているのです。
 
――医療の枠に留まらず、広く社会的な活動を始めた経緯について聞かせてください。
 私が名古屋大学に入学した時、授業料は月1000円でした。月8000円で暮らせた時代ですが、医師一人を養成するのに要する費用が2000万円という時代でしたので、まさに国民の血税で医者にしてもらったようなものです。だからこそ、多くの人に奉仕することが医者としての使命だと学生時代から考えていました。
 外来の患者をしっかり診ることはもちろん大切ですし、自分だけでは難しいと判断した際には、他科の医師、同僚の精神科医に協力を乞うことも大事なことです。しかし、患者さんの診療だけが医者の仕事ではありません。睡眠障害や精神科の専門家として、他の科の医師を指導したり、一般市民に向けた情報発信をしたりすることも、専門家としての社会的役割だと考えています。
 また、勤務医時代は労働組合運動にも携わっていましたので、社会的活動に参加することは、私にとって自然なことでした。勉強会のアドバイザーをしたり、過労死に関する意見書を書いたり、普段の臨床とは違う課題として長年に渡り、取り組み続けています。
 
――過労などを原因とする睡眠障害やメンタルヘルスの問題には、実際どのようなものが多いのでしょうか。
 圧倒的に多いのは、“睡眠不足症候群”という過眠症です。日中の眠気が堪えられず、仕事中でも居眠りしてしまう。それが原因で当院を受診される方や、上司から通院を促されて訪れる人もいます。睡眠は人間にとって必要不可欠なものですが、必要な量はそれぞれに異なり、平均的な睡眠時間を確保できていれば大丈夫というわけではないのです。4〜5時間でいい人もいれば10時間必要な人もいる。外観や性格や食事量と同様、睡眠にも個性があり、それを尊重する必要があるのです。そのため、自分にとってどれくらいの睡眠が必要かを理解し、その時間を確保できるように生活を整えていくことが大事です。うつ病や統合失調症など多くの精神疾患では睡眠障害の併発がしばしばみられますが、健康な場合でも睡眠不足がきっかけで心身ともに変調をきたしてしまう人も珍しくないのです。
 また、過労=体の疲れだけではありません。仕事や勉強はもちろん、長時間のスマホ操作も脳を疲労させます。体と同じように、脳も疲れるので休まないといけない。むしろ、しっかり眠らないと記憶も定着しないと言われています。体の疲労と脳の疲労のバランスをとることが必要で、いくら優秀な人でも、無理をしすぎると脳の疲労が原因でうつ病を発症してしまうこともあるのです。だからこそ、全ての人が必要な睡眠時間をしっかりと確保できる生活を送れる社会になること、いわば「眠り方改革」が、これからの大きな課題なのです。
 
◆粥川 裕平(かゆかわ・ゆうへい)
かゆかわクリニック 院長
精神保健指定医、日本精神神経学会専門医、日本睡眠学会専門医
日本精神神経学会、日本睡眠学会、過労死防止学会、所属
 
1976年名古屋大学医学部卒業。名古屋掖済会病院、名古屋大学附属病院、愛知県立城山病院、名古屋大学付属病院などを経て、2002年名古屋工業大学 保健管理センター所長・大学教授として着任。学生および大学職員のメンタルヘルス支援、また、大学・大学院の教授として、学生・院生の指導にあたる。2013年岡田クリニック常勤、同クリニック院長を経て、2015年5月かゆかわクリニック開院。睡眠障害の第一人者であり、過労死防止学会の世話人を務めるなど、精神科医の立場から社会的な活動も積極的に行っている。主な著書(編集・共著含む)として、『睡眠障害診療のコツと落とし穴』、『総合失調症を正しく理解するために』『うつ病診療のコツと落とし穴』など。
 
【取材・文:大熊智子】
 

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