1981年の発足以来、大阪過労死問題連絡会の会長を務められてきた田尻俊一郎先生が昨年9月4日に81歳で亡くなられて、今年3月26日に新会長を仰せつかりました。その後1ヵ月ほど経って、「過労死」の名付け親である、労働医学で高名な細川汀先生からお手紙をいただきました。それにはつぎのように書かれていました。
「このたびは田尻先生の後を継いでいただいてまことにありがとうございます。私も大阪時代(58〜77)には、多くの医師・弁護士の知人があり、「むちうち症」「保母病」「チェッカー病」「交換手病」などにとりくんでいました。過労死は60〜70年代はタクシー運転手に目立つようになり、いくつか意見書を書きましたが、すべて業務外。朝日新聞大阪本社発送部の若い夜勤労働者の過労死が中央の労働保険審査会で業務上になり、(過労死の労災認定は)それが突破口でした。この事件から田尻先生に参加してもらい、後の運動はお任せしました(本事件については細川先生が労働医学の立場から、また田尻先生が臨床医の立場から意見書を書いています)。彼も十分に力を発揮してくれたと感謝しております。家族の会も順調に活動されているようで喜んでいました。いまは、田尻先生の後を継ぐ若い医師が(大阪だけでなく全国的に)少なく、何とか若い人を育てるようにみんなに呼びかけています」。
過労死問題のパイオニアである細川先生に励まされて身の引き締まる思いです。先生のおっしゃるように、過労死問題に熱心に取り組む若い産業医は少ないかもしれません。しかし、私が知るかぎり、過労死問題に取り組む若い弁護士はかつてとは比べものにならないほど増えています。
細川先生には歯がゆい思いがあるかもしれませんが、日本学術会議では、日本産業衛生学会が中心になって、過労死問題をはじめとする「雇用労働環境と労働者の健康・生活・安全」について、提言をまとめる作業を進めています。その関連で、私は、本年5月28日に福井市で開催された両者共催のシンポジウムで「就業形態の多様化と労働者の健康破壊」について報告し、大阪過労死問題連絡会が中心になってまとめた「過重労働対策基本法案」の制定の意義にも触れました。
この法案は、「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである」という文章ではじまります。これは、2000年3月24日に出た電通青年社員過労自殺裁判の最高裁判決がもとになっていま。
これが法律になれば、国の過労死・過労自殺の調査研究や、過重労働防止対策は格段に強化されます。自治体の取り組みも促進されるものと期待されます。また被災労働者やその親族に対する救済や支援の充実も期待されます。
こうした期待を現実のものとするためにも、国家議員や関係省庁に働きかけて、過重労働対策基本法の制定になんとかこぎつけたいものです。