第44回 「何時解雇されるも一切異議申しまじきこと」

労働者派遣法が成立する前年の1984年に出た藤本武『組頭制度の研究』(労働科学研究所)という本があります。藤本さんは労働科学研究所に永年勤められ、野呂栄太郎賞を受賞された『国際比較 日本の労働条件』(1986年)をはじめ、2002年に90歳で亡くなるまで労働問題にたいへんすぐれた業績を遺された研究者でした。

藤本さんとは『日本の労働条件』が出たあと研究上の交流もありましたが、この本のことは労働者派遣法の成立過程について修士論文を書いた大学院生の鳥羽厚史さんから教えられました。

最近ではたびかさなる規制緩和で、労働を商品として取引する派遣制度の本質的な問題点が噴き出していますが、この本を読むと、労働者派遣という制度は、名称は違うものの、戦後、職業安定法で禁止された人夫供給を業とする「組頭=親方制度」(同法の規定でいえば「労働者供給事業」)にほかならないことがわかります。

この本の第1章(執筆は1952年)は「組頭=親方制度の本質」について次のように述べています。

「組頭制度の本質は、商品としての労働力の売買に介入し、その間にあって組頭=親方が利益をうる制度である。中間搾取という点では募集人制度と同一であるが、募集人の場合にはただ一回募集時においてそれを行うにとどまるのに対し、組頭の場合は日々の労働ないし賃金についてそれを行う。……この間にえられる彼の利益は、本質的にはこれらの〔人夫の〕管理に対する労賃ではなく、賃金からのピンハネである」(13ページ)。

藤本さんが述べているように、近代的な労働契約においては、雇用主と労働者は形式的には自由人として相対し、主従の関係も、身分的拘束も、暴力もありません。労働者は私生活においては自由で、労働組合を結成して自己の生活を守る自由ももっています。

ところが、戦前の日本の労働社会には、そういう形式的な対等性や自由はほとんどなく、とくに組頭制度の下では、極端な場合は労働だけでなく寝食の全生活が組頭あるいはその配下の小頭によって監視されていました。

組頭制度の下における労務供給請負契約も、対等の契約といえるようなものではなく、著しく片務的、従属的なものでした。藤本さんが紹介している「組頭」(拙者)と、供給先(工場)との契約は次のように書かれています。

「拙者又は拙者配下人夫工場規則に違反し、又は不都合の所為ありたるときは勿論、貴工場のご都合により何時解雇されるも一切異議申間敷事(申しまじきこと)」(15ページ)。

今、自動車産業や電機産業で数十万人という規模の派遣切りが行われているのを見るとき、工場の都合で何時解雇されても一切文句はいわない、いわせないという組頭制度の慣行は、今日もなくなっていないと言わなければなりません。

藤本さんはこれと同様の事項をもつ契約は枚挙にいとまがないと言っています。そして「かかる関係が上層(組頭・工場間)において成立すれば、その下級的、従属的地位にある組頭の下に統括される労働者の地位は一層みじめなものとなるのは当然である」(15ページ)と指摘しています。

先日、エルおおさかで「フツーの仕事がしたい」(土屋トカチ監督)という映画を観ました。月552時間にもおよぶ超長時間労働で心身ともにボロボロになり、ユニオンに加入し立ち上がったセメント輸送運転手を追跡した感動的なドキュメンタリーでした。彼が闘って勝利した会社に労働者を送り込んでいた派遣会社の親方は、運転手を支配下において、組合脱退工作のために身体を拘束したり暴力を振るったりするなど、さしずめ現在に甦った組頭でした。藤本さんの本を読んだ後だっただけに、よけいにそう思ったのかもしれません。

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