第79回 マイケル・ムーア監督「キャピタリズム 〜 マネーは踊る 〜 」

マイケル・ムーア監督「キャピタリズム〜マネーは踊る〜」

闘う労働者への「愛の物語」

マイケル・ムーアの話題の新作を観た。彼はアメリカの銃社会を抉った「ボウリング・フォー・コロンバイン」、ブッシュのイラク戦争を暴いた「華氏911」、企業本位の医療保険制度に切り込んだ「シッコ」などの監督として知られる。今回の映画は、これらの問題の根源をなす資本主義の仕組みを、恐慌の真っ直中のアメリカを舞台に大胆に映像化した快作である。

1%が95%より多くの富を所有

住宅ローンが払えなくなって、ある家が銀行から差し押さえを受ける。映画はその家の立ち退きの強制執行に、数台のパトカーを連ねて保安官たちが来て、ドアを破って入ってくるところから始まる。

次の画面にはあこぎな不動産業者が登場し、差し押さえ物件の転売はぼろい商売になることが語られる。

会社が社員に生命保険を掛け、夫が死んで会社が儲けたことを知って、妻と家族が悲しみ怒る一幕もある。

ハドソン川の不時着で乗客155人の命を救った機長が、「過重労働を強いられるパイロットの年収が200万円では安全を確保できない」と議会で告発する場面もある。

1980年11月、B級映画のスターであったレーガンが新自由主義の宣伝マンとして大統領に当選してから、すべてがおかしくなった。それはウォール街によるアメリカの乗っ取りであった。

それを機に富裕層への減税と金融の規制緩和が進み、アメリカは1%の最富裕層が底辺の95%より多くの富を所有する社会になった。それから最近までのあいだに、株価は14倍になったが、賃金は凍結され、経営トップは従業員の500倍の報酬を得るまでになった。そのあげくが一昨年9月のリーマンショックとそれにつづく恐慌である。

「合法化された強欲システム」

全編に流れているのは、資本主義は経営者と金持ちがマネーを愛してやまない金、金、金の「合法化された強欲のシステム」だというメッセージである。原題の副題が「愛の物語」となっている理由もまずはそこにある。 

とはいえ、民衆は強欲のシステムにただ搾取されているだけの存在ではない。映画には、いったん立ち退きをさせられた住居の封鎖を解除した地域住民の闘いがでてくる。

工場が銀行の融資を断られ、突然解雇された従業員たちが、全国的な支援を受け、銀行から解決金を勝ち取る闘いも描かれている。

そうした場面を撮るムーア監督の目は、民衆と祖国に対する慈愛に満ちている。最後のBGMに流れる「インターナショナル」の替え歌からも、この映画が闘う労働者に対する「愛の物語」であることが伝わってくる。

ムーア監督の父親はミシガン州フリントのGM工場で働いていた。そのGMも、金融危機にともなう信用と消費の収縮で車が売れなくなり、今は株式の6割を政府が保有する「オバマの会社」になっている。

アメリカの後を追った日本では

この二〇年あまり、日本もアメリカの後を追って、新自由主義の道を突き進んできた。その果てが雇用の破壊と個人消費の縮小であった。そこにやってきたのが一昨年秋からの輸出の減少と、生産の大幅な落ち込みである。その結果、今では、派遣切り、非正規切りにとどまらず、正規切りが拡がっている。

この映画では日本はましな国として取り上げられている。しかし、この国では、株主重視の企業経営が強まるなかで、賃金が抑え込まれて、配当と内部留保と役員報酬が増やされ、労働者は踏んだり蹴ったりの目に遭ってきた。それを知れば、ムーア監督は日本を舞台に「キャピタリズム」のパート?を作るかもしれない。

(9日から東京・日比谷・TOHOシネマみゆき座ほか全国拡大ロードショー)

                                          2010年1月7日「しんぶん赤旗」学問文化蘭に掲載

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