第71回 休講脱線 暁を抱いて闇にいる蕾

ドキュメンタリー映画「鶴彬―こころの軌跡―」が、10月24日(土)〜11月6日(金)まで、大阪市内の第七藝術劇場で上映されています。なんとか観たいと思いますが、家の引っ越しを3日後に控えて、荷物の整理に追われ、行けそうにありません。

鶴彬(つるあきら)については、以前、私のホームページの随想欄「ささなき通信」で触れたことがあります。目下引っ越し騒ぎでこの連続講座の更新も難しいので、今回は穴埋めにこの旧い随想を再掲することをお許しください。

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2004年1月3日

今年の賀状は時代を憂えあるいは怒るものが目立ちました。兄のいる佐世保では昨秋、自衛隊が迷彩服を着て軍艦マーチを奏でて市中を行進したそうです。いまや軍靴の足音が忍び寄るというより、間近に聞こえるようになりました。

3年前、入院中のすさびに、田辺聖子の『道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代』上・中・下(中公文庫、2000年)を読みました。川柳も水府も知りませんでしたが、いい勉強になりました。水府が次の句を詠んだのは、日本が自作自演で「満州事変」(1931、昭和6年)から「上海事変」(1932、昭和7年)へと突っ走るようになったころのことです。

  旗立てることが日本に多くなり   岸本水府

南京事件の起きた1937年(昭和12)には鶴彬(つるあきら)が、またノモンハン事件があった1939年(昭和14)には渡辺白泉がこう詠んでいます。

  手と足をもいだ丸太にしてかへし   鶴彬

  戦争が廊下の奥に立ってゐた   渡辺白泉

日中戦争は太平洋戦争へと拡大していきました。そして1945年(昭和20年)の敗戦に至り、青竜刀(せいりゅうとう)は、田辺聖子が「痛哭の一句」と紹介した句で広島の核の惨状を次のように詠みました。

  進化とは地球を灰にすることか   青竜刀

平和は1日してなることはありませんが、戦争は一瞬に始まることがあります。あの9.11直後、ニューヨークのツインタワー跡地は「グラウンドゼロ」(爆心地)、ユニオンスクエアからマンハッタンの南一帯は「ウォーゾーン」(交戦地域) と呼ばれました。街には一斉に大小無数の星条旗が立つようになりました。アメリカはあの日から待ってましたとばかり戦争体制に突入したのです。

日本もアフガニスタンからイラクへ、ひたすらアメリカの後に従っています。戦争を煽る人物が首都の知事であるこの国で、戦争を止める力がどれほどあるのでしょうか。あまりあてにはできませんが、頼れるものがあるとすれば、それは世論の高まりだけです。

私は剣花坊ほど楽観してはいませんが、せめて鶴彬の希望を信じたいと思います。

  黎明の大気の中にひらく花   剣花坊

  暁を抱いて闇にいる蕾   鶴彬

 

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