川西玲子 新型コロナウィルス禍で改めて問われた公共労働

新型コロナウィルス禍で改めて問われた公共労働

                   ASU-NET副代表理事 川西玲子

 新型コロナウィルスの出現は、改めて私たちの社会の在り方を、問い直す機会となりました。私たちはくらしの安全・安心を求める当然の権利があります。今回のコロナ危機に凝縮して現われた公共サービスと権利の問題を考えてみます。
効率が追及され続けてきた経済第一社会、最大の要員と言われる経済のグローバル化、や地球規模での環境破壊等、新型感染症の登場や拡大は、どれも経済最優先社会が引き起こした人災的要因が大きいと、多くの人が指摘し、コロナウィルス後の社会や世界の在り方についてあちこちで議論が始まっています。
 
 この緊急事態を乗り越えるために、政府は緊急事態宣言を発令し、営業自粛や在宅勤務などを要請してきました。しかしこれに応じられない公共サービスで働く「キー・ワーカー」又は「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれる、地域や社会の生活に、必要不可欠な業務に従事する人たちがいます。

 地方自治体に勤務する公共労働者でいえば、直接感染リスクと闘いながら日々奮闘している医療・保健従事者だけではありません。一日も手を抜くことができない介護施設職員やホームヘルパー等の介護士、3密にならざるを得ない保育所の保育士、濃厚接触が避けられない学童保育指導員、障害者支援員もいます。また急増したといわれる虐待などの相談にのる児童相談員・DV相談などの女性相談員、すぐにでも対応しなければいけない生活保護のケースワーカー、病院や施設の調理員、感染リスクが高いと言われる、ゴミ収集の清掃作業員、公共交通機関の労働者など、思いつくだけでもこのようにたくさんの職種があります。

 これらの皆さんは、感染リスクの恐怖とたたかいながら、なおかつ過重労働のなかで使命感を持って、日々支援を求める人たちの支えになっています。
 また、さらに問題なのは先ほど挙げた職種は、地方自治体では、委託や非正規化が進行している職種でもあります。なくてはならない業務を、あってはならない劣悪な処遇で支えているのです。そこには厳しい雇用環境の弊害が強く現れてきています。

 私も所属している「官製ワーキングプア」研究会として、緊急に公務非正規を対象に「コロナによる公共サービス労働者への影響調査」のアンケートを当該職員に取りました。まだ第1次集約ですが、多くの不安や不満が記載されていました。
例えば「仕事の量や時間が増えたけれど、サービス労働になって、賃金は増えない」。「正規職員は在宅勤務になったが非正規・派遣は在宅勤務は認められない」。「感染のリスクがあるのにマスクや手袋は自前で準備しなければいけない」給食や保育園では「手当がないまま自宅待機」となり生活が苦しい」。「休業だから」と言って解雇された。など正規・非正規の雇用格差が様々な形で表れています。

そして、もう一つコロナで浮き彫りになったのは、これまでの日本の公衆衛生政策の失敗です。当初いつまでもPCR検査の数が増えなくて、その原因さえなかなか公表されないのを不思議に感じた方も多かったと思います。保健所の数や職員が削減されて激減していて、とてもその役割を果たせる状況になかったのです。日本の6倍もの検査を初期段階から実施して、抑え込みに成功した韓国や台湾のやり方を、日本政府は長い間学ぼうともしませんでした。日本のPCR検査数はOECD35ケ国中、34位で後進国並みでした。

また、保健所は、日常的に感染予防や食品衛生、精神保健の相談など地域社会の公衆衛生の要となる、専門性の高いスタッフによって、地域の安心と安全を支えてきましたが、この20年間で、なんと全国の保健所の数は2分の1になり、大阪市は24ケ所あったものが1ケ所になってしまいました。常駐していた医師もいなくなり、保健師一人当たりの人口は1万人にまでなっています。
圧倒的に人が足らないのです。このような中で未知のコロナウィルスが襲ってきたのです。

 さらに日本より一足早く医療崩壊に直面した、イタリア・スペインの悲惨な状況が報道されると、日本の医療関係者は震えあがりました。なぜなら緊縮政策による保健所や医療の切り捨てを日本も同じように率先してやってきたからです。医師の数はイタリアより日本の方が少ないのです。
 いま、予想された通り、第3波に見舞われ医療崩壊の危機が叫ばれています。

 にもかかわらず昨年9月には厚生労働省が「医療体制の見直しを求める」として、全国の自治体に対して、全体の3割にも上る424の公的病院を統廃合する計画を発表し、病院の名前まで一方的に公表してきました。それによって公的病院が1つもなくなる自治体や、1日1往復のバスしかない町で、隣町まで行かなければならない等、高齢化が進む地方では大変な事態になります。
「医療が受けられない町ではもう住めない」と全国の自治体関係者や住民から、不安と怒りの声が湧き上がっていました。ちょうどその最中にこのコロナ危機が起こりました。厚労省は、これでもまだこの無謀な計画を中止するとは言っていません。

 ではなぜこのような事態になったのでしょうか?この背景には、医療や社会保障にはお金をかけたくない、大企業やグローバル企業が儲ける仕組みを作りたいのです。そのためには法人税をなるだけ低く抑え、総理がいつも口にする「日本を世界一企業が働きやすい国にする」という、経済第一を目指す政府の考え方があります。
しかし、私たちには「いつでも、どこでも安心して医療を受ける権利があります。憲法で保障された基本的人権です。住んでいる地域によって、病院にかかれなくなるようなことがあってはなりません。

 財政難を理由にするけれど、軍事費だけは8年間、毎年、毎年過去最高を更新し続けて、2020年当初予算の軍事費は5兆3000億円にもなりました。アメリカのトランプいいなりでアメリカ製兵器の爆買いが、今年だけで、4713億円になります。どこまで軍事費を増やし、一方で医療や教育、生活関連の予算を後回しにするのでしょうか。

 格差社会は命の格差に直結します。コロナ危機も社会的弱者、例えば零細な個人事業主、派遣や有期雇用労働者、アルバイトに頼る学生、シングルマザーや老人、貧困家庭などに、より強く影響が現れています。
仕事と住居を同時に失う派遣労働者が、リーマンショックの時のように賃金補償もないまま職場から追い出され、ネットカフェからも追い出され、”スティホーム”と言われてもそのホームすらありません。
 長引くコロナ禍により、貯蓄も使い果たし、この年末にかけてさらに厳しい状況が予測されています。
 本来は、国や自治体が憲法25条の「人間らしい最低限度の生活補償」の義務があり対応する責任がありますが、日本の貧困な住宅政策では、このような人々をフォローすることができず、NPOなどが必死に支えているのが現状です。

 貧困と格差が拡大する中で、質の高い公共サービスは経済力の格差を緩和し、実質的な平等を保障することができます。社会的弱者のためにこそ公共施策はあるのです。

 新型コロナ危機は、あらゆる問題を凝縮して、私たちに問題提起しています。
日本社会はこれまで、経済発展、効率化をひたすら求めて、人権保障の公共サービスさえも市場原理に委ね、企業の経営手法を導入して効率化を追求してきました。
 目先の利害を追求し、人件費を削ることで、当然備えておくべき危機管理がおろそかになり人権保障も一定の線引きをして、それ以下は「自己責任」の一言で切り捨てる方向に走っています。

 しかし、この間私たちが体験してきたことは、地球温暖化、地震や自然災害、新型ウィルスなど突然、くらしの基盤が脅かされて、安心、安全の普通の生活が破壊されていく恐怖が、誰にも起こってくるということを思い知らされました。
 これからの社会は何に価値を置き、本当に私たちが後世に引き継ぎ、守るべきものは何なのか、すべての人に問われていると思います。

 ASU-NETでは「コロナ禍と日本の未来を考える」連続講座を開催します。
 12月16日には、弁護士の尾林芳匡さんに、まさにこのテーマ「コロナ禍と憲法・地方自治」についてお話ししていただきます。多くの皆さんのご参加をお願いします。

◆関連ページ
働き方ASU-NET連続講座 コロナ禍と未来を考える 全3回 Web開催
連続講座第1回 12月16日(水)コロナ禍と憲法・地方自治 尾林芳匡 弁護士

この記事を書いた人

川西玲子