2020年12月12日の朝日新聞は「教員の勤務時間の上限を繁忙期に引き上げる代わりに、夏休みなどに休みを固め取りできるようにする「変形労働時間制」について、北海道議会は11日の本会議で、導入のための条例案を賛成多数で可決した。来年度から実施する。文部科学省などによると、条例の可決は全国初という。」と報じている。
これは、1年単位の変形労働時間制をイメージしているものである。
北海道教育委員会によると、「週休日(土日)の振替に係る勤務時間のスライド」「変形時間労働制」「振替の特例」がポイントであるようだ。
道教委は週休日(土日)の勤務時間のスライドの代表的な事例として運動会が挙げられている。
「変形時間労働制」については、事例として修学旅行が挙げられている。
そして、「振替の特例」が設定されている。道教委の説明によれば、「次の業務を要因として週休日の振替等を行う場合で、学校長が、規則第 3 条第 1 項 に規定する振替期間内での振替等が困難であり、かつ、学校運営上特に必要と認める 場合に限り、振替期間の末日を「前4週後8週後直近の長期休業期間(夏季休業又は 冬季休業のいずれか)の末日、さらに、冬季休業期間で対応しきれない場合は、学年 末・学年始休業期間の末日」とする。」としている。
教育職員の時間外勤務縮減のための取組事例集 | 教育庁教職員局教職員課 (hokkaido.lg.jp)
これらの問題について、若干考察してみよう。
- 土日の振替に係る勤務時間のスライドについては、要は土日の業務について勤務時間をスライドさせてよい、ということである。運動会を例に取っているが、部活動の引率などもこのことが適用される、ということである。ただ、早めに出たら早めに帰れる、という意味では現状を追認しているだけ、とも言える。
- 1年の変形時間労働制とのことであるので、年度当初に計画を策定する前提である。従って、行事に関する変形時間労働制としての事例が挙げられている。しかし、時間外労働の源としては行事による時間外労働の問題は1年の中でそれほど大きいものではない。これまでも修学旅行で超過した時間を修学旅行の翌日以降に振り替えている学校は多い。問題は、教員の時間外労働の問題が行事にあるものではなく、恒常的な学習指導、生徒指導による業務量の多さに問題がある。
本来、変形労働時間制を取った場合、そこで決められた超過勤務時間は通常の場合よりも厳格に図られなければならない。労基署の監督官も通常の企業に対する指導の場合、変形労働時間制の場合、超過勤務時間が守られていない場合は厳格に指導する、と言っている。しかし、公立学校の場合、労基署の監督下にないことから、変形労働時間制の導入は百害あって一理なし、とも言える。守らなくても誰も処罰されないのである。
上記のような状況において、今回の条例制定は、道教委がわざわざ修学旅行を例に挙げることで変形時間労働制を導入している、としか思えないのである。週単位の変形時間労働制、つまり週40時間を前提とした振替休日の付与、という方法でも消化可能なものを、わざわざ1年単位の労働時間に拡大することで「変形時間労働制を導入」し、記録上の働き方改革を行ったように見せようとする意図が見え隠れする。
- 「振替の特例」について、要は振替休日の付与に関して、年間通してフリーにする、ということである。労基法上、振替休日は(昭和63年3月14日基発150号)「振り返られるべき日については、振り返られた日以降できる限り近接している日が望ましい」と記載されている。そもそも、労働時間は週40時間であり、超過勤務が発生する場合は給与支給単位期間(通常月給)の中で振替休日は設定されるべきである。ただし、月末などについては若干の調整が許されるようであるが。従って、道教委が示している8週間以内、できない場合は「学年 末・学年始休業期間の末日」、つまり年度末までに付与などということは、制限を加えているようで加えていないことから論外である。
給特法が諸悪の根源
「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」、1971年に制定された、教育職員に関する法律である。2021年4月に今回の道教委の変形時間労働制の導入の根拠となった改定が行われた。
要は、教員の働き方を「改革」しなければならない、という世論に押されたことからの改定であるが、今回の改定は数字上の「やり取り」でなんとか「帳尻合わせ」をしようという改定である。長期休暇中に休みを集中させ、日常は12時間労働も辞さない現体制を追認し、いかにも残業がないように見せかけるだけの改定である。
教員の長時間労働は、日常的な業務過多にある。業務の分散化、もしくは教員の増員による個人の負担軽減しか方法はない。
また1971年の給特法当時の先生方から聞く声は、「当時はこんなに業務は多くなかった」ということである。IT化に伴う業務の増大は計算に入っていない。教員の業務の増大化は、教員を巡る法律の制定にも見て取れる。例えば、いじめ防止法、障害者差別解消法、必要だから制定された法律であるが、社会の大きな変化によって制定されたものである。その法律の制定が必要であるということは、教育の世界でも当然の対応が要求される。必要不可欠の対応である。
つまり、1971年当時に想定されていなかった業務が教員の仕事にプラスされているということだ。しかしながら、教員の増員はなされておらず、適切な業務の分担はなされず、相変わらず担任に依存し、一部の教員に負担が偏る構造が残存している。
そのような業務の増大を分析、考慮しないまま、労働時間のやり取りを行うような変形労働時間制でごまかすことがなされようとしている。
そして、問題なのは「いくら残業しても残業代が支払われない」ということに諸悪の根源があるということだ。公立の先生の場合の教育職員調整手当4%は一ヶ月の勤務時間のだいたい4時間、5時間程度に過ぎない。これをもって残業代を支払わなくてよい、ということは時代錯誤もはなはだしい。固定残業代と考えても超えた分は全く支払われないことから、完全な労基法違反状態である。
定額給与で働かせ放題の教員の仕事は明らかに「違法」「脱法」「やりがい搾取」オンパレードの職場である。このような職場を放置する社会は正常であるとは言えない。
教育は国家百年の計とするのであれば、教員の負担を軽減すること、ひとりあたりの業務や責任の分散化を図るべきであり、適法な職場を実現し、長時間労働による精神疾患などでの離職休職を防止するべきであろう。