6月末、見逃していた評判の映画「メイド・イン・バングラデシュ」をやっと見ることができました。期間限定で再上映されることを知って、暑い真昼の九条(大阪)の街を探し歩いて、何とか小さな上映館にたどり着きました。
定年退職後、時間ができたこともあり、韓国やイタリアに関連した話題の映画を見る機会が増えていました。しかし、コロナ禍のために映画館への足が遠のき、ほぼ2年ぶりの映画鑑賞でした。満員でも20人ほどの小さな上映劇場でしたが、観客はわずか4人でしたので、ゆっくり見ることができました。
ラストに近づき息詰まる展開に
映画は、バングラデシュの首都ダッカの縫製工場で働く、若い女性労働者が、あまりにも過酷で劣悪な職場環境を変えようとして努力する姿を描いていました。
主人公のシム(23歳)は、地方で生まれ育ちましたが、まだ幼いときに結婚を強いられそうになるのを嫌って、ダッカに逃げてきて働くことになった女性でした。まだ10代の若い年齢で労働運動に参加した活動家の実話が元になっているということでした。
男女差別、社会的格差、貧困など、多くの困難があるバングラデシュ社会の中で、最も弱い、若い女性が、人間扱いしない企業や男性らから自立していきます。労働者としての権利に目覚めて、労働法を勉強して労働組合を作るまで、上司をはじめ男性たちから理不尽な対応に困惑するいくつかのエピソードが次々に描かれます。
企業や職場の管理者たちは、労働安全や賃金支払いを義務づける労働法規を守ろうとしません。労働組合作りの動きがあれば、徹底して抑圧します。法律を守らず、労働者の人権を徹底的に無視する既製品縫製企業は、輸出世界第二位を誇る、バングラデシュの基幹産業です。政府の労働官僚は、そうした基幹業者の法違反を監督するどころか、組合を作ろうとする労働者側の申請情報を、企業側に通報していたのです……。
労働人権無視の絶望的な状況を描く場面の連続に息が詰まりました。しかし、意外なラストシーン。「あっと」思うストーリー展開でした。
鑑賞直後の感想「日本も同じだ。他人事ではない」
色々な思いを抱きましたが、映画を見てすぐに強く意識したのは、「日本も同じだ。他人事ではない」という思いでした。
ただ、映画館を出ると日本の現実に戻ってしまいました。この日は、夕方からAsu-netの総会が予定されており、また、メディア取材もあって忙しいこともあったので、その思いをまとめることができませんでした。
映画を見てから一か月を経過して映画の背景を調べながら、何故、「日本も同じだ。他人事ではない」と感じたのか、反省的に整理してみることにました。
バングラデシュにおける労働人権の実態
ハングラデシュの労働環境が世界的に注目されたのは、3,600人を超える縫製労働者が死傷した、2013年の「ラナプラザ」事件でした。この事件については、その後の経過を含めて、次回のエッセイで検討することにします。ただ、いくつかの国際人権団体は、その事件以前から、グローバル化の中で進むサプライチェーンの広がりが、アジア・アフリカ諸国で労働環境の劣悪化をもたらしている、と警告していました。
縫製業に関連しては、オランダを本拠に1989年から活動を始めた「Clean Clothes Campaign(クリーン・クローゼス・キャンペーン(略称「CCC」)」という国際的ネットワークが注目されます。このCCCは、世界の衣料品やスポーツウェア業界で働く、労働者の生活、人権などを守るための幅広い活動を世界45ヵ国以上で展開しています。
2007年1月、バングラデシュ政府は、反政府の言論、結社、集会、および表現の自由を抑圧する緊急事態宣言を発し、2008年には、ダッカでアパレル労働者がデモをしたことに対して、労働者の権利擁護団体の職員が治安部隊に拘束されました。CCCは、政府に反対し、職員の即時釈放を要求し、労働組合の抑圧を止めるようにキャンペーンを行い、釈放を勝ちとっています。
大規模な国際人権団体として知られる「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch – 略称「HRW」)は、バングラデシュ政府が、貧困削減、経済開発、医療保健、教育、人権保護などの分野で極めて重要な監視機能を果たす5万近くのNGO団体を規制しようとした法制定に反対しています。
このHRWは、ラナプラザ事件の2年後、バングラデシュにおける労働人権の状況について、「出る杭は打たれる:バングラデシュの縫製工場における労働者の権利問題(“Whoever Raises their Head Suffers the Most” Workers’ Rights in Bangladesh’s Garment Factories)」という、詳細な報告書を出しました。
この報告書は、44の工場で働く160人以上の労働者からの聞き取り調査を基にしたもので、その大多数は北米、欧州、オーストラリアの小売業者向けの衣料品製造に携わっていました。そこでは、映画「メイド・イン・バングラデシュ」に描かれた状況と重なる労働人権無視の事例が数多く報告されていたのです。
これらの縫製工場では、賃金や手当の不払い、支払い遅延、妊娠中の女性に対する職場での差別、身体的虐待、言葉による虐待、残業の強制、汚れた飲料水と不衛生な施設などの劣悪な労働環境がありました。とくに、縫製労働者の圧倒的多数が女性である一方、上司や監督者はほとんどが男性であることから、精神的虐待が性的な色合いを帯びることもありました。また、労働組合を作る動きに対しては、身体的暴行、威嚇・脅迫、性的暴力の脅威、組合組織者や組合員の解雇、不当な刑事告訴などの反組合的行為など、労働組合の存在そのものを否定する経営者による徹底的な組合潰しが行われていたのです。
ラナ・プラザ事件の後、世界からの批判を受けてバングラデシュ政府は、労働法の一部規定に改正を加え、労組の登録手続きを容易化しました。それによって組合結成・登録は促進されたということですが、労組のある縫製工場は未だ10%以下にすぎないということでした。
最近のバングラデシュ労働事情 = 世界最悪10ヵ国の一つに
国際労働組合総連合(ITUC)は、世界156カ国、延べ1億7,428万人が加盟している世界最大の労働組合組織で、日本では連合が加盟しています。そのITUCの最近のレポート「Global Rights Index 2022」は、「バングラデシュは、働く人々にとって世界で最も悪い10カ国のひとつ」と指摘し、「逆進性の強い法律」「組合結成の妨害」「ストライキに対する残忍な弾圧」を挙げています。そして、全体的な問題点を次のように述べています。
バングラデシュでは、労働者の権利が厳しく制限され続けている。450万人以上の労働者を雇用する国内最大の産業である衣料品部門では、組合結成の試みは執拗に妨害され、ストライキは産業警察による極端な残虐行為で迎えられ、実弾射撃や警棒、催涙ガスで労働者を解散させられた。少なくとも6人の労働者がストライキ中に警察に射殺され、他の多くの労働者が重傷を負った。
バングラデシュの労働者は、平和的抗議の権利を行使したために大量解雇や刑事訴追にさらされた。当局はまた、非常に負担の大きい登録手続きを課すことによって、組合の設立を挫折させた。
バングラデシュ労働組合法の問題点
労働法研究者の一人として、映画を見て抱いた率直な疑問は、バングラデシュでは、①労働組合が事業所別(企業別)でしか認められないのか?②労働組合の労働省への登録申請の際に、主人公(シム)を援助していた労働者権利団体の役員(ナシマ・アパ)が付き添って行かない(行けない)のは何故か?の2点でした。
これに関しては、企業別にしか労組結成を認めず、また、第三者の労使関係への介入禁止をする独裁政権時代の韓国・労働組合法を想起させました。韓国では、独裁政権の下で労働組合法が改悪され、従業員だけの組合組織しか認められず、集団的関係においては労使以外の「第三者介入の禁止」(弁護士、労働法研究者などの助言、講演も禁止)が規定されたのです。※
※ 朴洪圭「資料 韓国労働法の形成と展開-政治および労働運動に関連して-」立命館法学1999年5月号(267号)参照。
バングラデシュでは、政府や企業を監視するNGOを抑圧する法制定の動きもあり、それが労働者権利団体の役員の援助活動を困難にしていたのだと考えます。
また、労働組合法にも根本的な問題、限界があると思います。つまり、団体交渉を交渉単位(事業所単位)に限るという問題があると思います。ジェトロの解説によれば、「『組合を結成したい』旨の労働者の署名(全体の30%以上)を集めること」、「労働者の過半数が投票し、その投票数の過半数が組合結成に賛成の場合に設立される。なお、労働者の過半数が投票しない場合や、賛成票が過半数に満たない場合は、設立許可は降りない。この場合、1年間は選挙できない」とされています。※
※ジェトロダッカ事務所「バングラデシュ労働組合法の概要」(2020年9月))。なお、香川孝三『アジア労働法入門』(晃洋書房、2022年)199頁以下参照。
つまり、こうしたバングラデシュの労働組合法は、アメリカの労働組合法(NLRA)の定める「団体交渉代表選出」制度とかなり類似した制度設計です。このアメリカ法が定める事業所(企業)別に労働者側の団体交渉代表者選出を限定する法制度が、使用者の反組合的行為(不当労働行為)を生み出し易く、アマゾンなどでの組合結成困難として現れ、大きな社会問題になっていることを既に紹介したことがあります(エッセイ第71回参照)。
これに対して、日本の労働法の歴史を考えた場合、第二次大戦敗戦直後(1945年12月)に労働組合法が制定されました。当時は、軍国主義時代が終わったばかりでしたので、労働組合結成を助長することが、日本社会の民主化に重要として積極的に位置づけられました。※
※その後、1949年の現行労働組合法は、アメリカの後退した労働組合法制度を一部導入して、企業別労働組合組織の固定化につながってしまいました。公務員の労働基本権制約も導入され、戦後の日本労働法は、短期間に形成されましたが、すぐに逆行して解体・変質を経験することになったのです。
労働人権抑圧が顕著なバングラデシュでは、形式的にアメリカと類似した制度を導入するだけでは不十分です。労働者団結助長という点でかなり積極的な労働組合法制度の導入が必要と言うしかありません。企業別に労働組合を閉じ込めるアメリカ、韓国、日本の法制度は、バングラデシュの労働人権実現を助長するよりも、障壁になる危険性が大きいと考えます。
その点では、日本の敗戦直後の労働組合助長の法制度(憲法による労働基本権保障、失業者を含む広い労働者概念、刑事罰を伴う不当労働行為制度、国・自治体による労働組合助成制度、民主的な労働行政、労政事務所設置など)が参考になると考えます。
他人事でないバングラデシュの労働事情
バングラデシュは遠い国ではない
映画を見た直後、何故か、遠い国バングラデシュの話とは思えない感覚を抱きました。
日本の職場も本質的には同じではないか?
企業の利益のために、働く労働者の生命や生活を尊重しない雇用管理、労務管理が広がっているではないか?
確かに、一人当たりGDP(名目)では、日本は、39,340米ドル(IMF調査、2021年)で、かなり下落してはいるものもの世界第28位ですので、世界149位(2,147米ドル)のバングラデシュは約20分の1ですから、まだまだ大きな差があるとされています。しかし、日本でも、労働組合とは無縁で労働人権が軽視、無視された働き方を強いられた労働者が少なくなくありません。労働組合や市民・労働団体が主催する、多くの労働相談には切実な訴えが数多く寄せられています。※
※ 日本でも、30年以上前になりますが、労働組合が活発にストライキをして抵抗していた時代には、労働争議への警察権力の介入の事例も少なくありませんでした。私が若い頃には、公務員だけでなく、民間企業でも争議行為をめぐる刑事弾圧との闘いが労働法・労働運動の重要な課題でした。現在、日本ではストライキが激減し、ほぼゼロの状況ですので問題になることが少ないのですが、ストライキをする労働組合への刑事弾圧は日本でも重要な労働人権問題であり続けています。「組合活動に対する信じがたい刑事弾圧を見過ごすことはできない―関西生コン事件についての労働法学会有志声明 2019.12.9」参照。
無権利な「名ばかり個人事業主」の広がり
まず、法的に労働者と変わりが無いのに、労働法・社会保険法などが適用されない、無権利な就労者です。私が編集した『ワークルール・エグゼンプション 守られない働き方』(2011年)や『ディスガイズド・エンプロイメント 名ばかり個人事業主』(2020年)には、こうした働き方の実例(の一部)が紹介されています。(エッセイ第44回)彼ら・彼女らには、残業代の支払や労災保険の適用もありません。
イナックス・メンテナンス事件では、「代行店主」(個人事業主)とされた労働者たちが、余りの低劣条件を改善しようと組合を作りましたが、使用者(企業)は、「労働者」でないとして団交にも応じてくれません。苦労の末、最高裁で勝利してようやく団交にこぎつけるのに5年間かかりました。バングラデシュでは、労働組合の登録までに多くの困難があるということですが、日本でも「名ばかり個人事業主」については同じような状況があると思います。
日本政府は、経営者団体の期待に応えて、こうした「名ばかり個人事業主」の「誤分類」という脱法・違法行為を取り締まらずに放置し続けてきました。むしろ、最近では、「フリーランス」という曖昧な「名称」を多用して、一層「誤分類」を拡大する政策を進めています。その点では、バングラデシュ政府と共通していると思いました。
組合作りが困難な非正規雇用
「労働者性」が認められても、パート、アルバイト、有期、派遣などの非正規雇用労働者の場合、労働組合を作って自らの権利を実現することは簡単ではありません。こうした非正規雇用労働者は、政府統計でも全体の約4割、女性の場合は5割を超えています。
日本の場合、労働組合組織は、正社員を対象とすることがほとんどで、非正規雇用労働者を積極的に組織し、代表しようとする労働組合は多いとは言えません。私自身、在職時代に私立大学の教職員組合の責任者を務めましたが、非常勤講師や非正規職員の加入に消極的な組合の雰囲気を変えることができませんでした。また、折角、加入をしても目立った取り組みをしてくれないので、組合を辞めてしまう非正規雇用労働者を引き留めることができませんでした。
日本は、地域労組などに相談して駆け込み加入できる点で、バングラデシュの組合事情よりもまだ良い点があると思いますが、職場で組合によって守られないという点では、日本の非正規雇用労働者の状況は、バングラデシュの労働者と変わりがないと思います。
国や自治体が生み出す無権利労働
国や自治体では、無権利な「非正規公務員」が増え続けています。毎年、東京、大阪などでは「官製ワーキングプア」集会が開催されていますが、最近の「会計年度任用職員制度」導入で、「非正規公務員」の地位の一層の改悪が進んでいるという話を聞くと、政府自身が、労働人権無視を進める先頭に立っていると言わざるを得ない状況です。とくに、「改革」の名目で進められる公務員削減、民間委託は、公共部門における労働人権無視の働かせ方を増やし続けています。とくに、大阪府・大阪市の「維新行政」は、労働組合(職員組合)の権利・活動の抑圧という点で、反労働法的な性格が強く、憲法やILO条約に反する労働政策という点でバングラデシュ政府と共通していると思います。
とくに、日本の外国人労働者政策は、労働人権保障という国際動向に反する点で際立っています。とくに、「外国人技能実習生」制度は、アメリカ国務省の報告書(Country Reports on Human Rights Practices 2021)でも非難されるなど、世界的にもその問題点が指摘されています。
以上の通り、労働人権保障の国際動向に背を向ける点で、日本とバングラデシュには共通性があることから映画鑑賞直後に「他人事ではない」という感覚を抱いたのです。
たしかに、グローバル化の中で、日本やバングラデシュでは「逆進的な動き」がありますが、その一方、労働人権保障に向けて前進的に努力し続ける世界の労働者・市民の粘り強い取り組みがあります。次回のエッセイでは、そこに焦点を当ててみる積りです。
〔参考 関連文献・Web情報〕
- 〇『メイド・イン・バングラデシュ』〔編集・発行:パンドラ、発行日:2022年4月16日〕(長田華子「世界の縫製工場を支える、女性たち:『メイド・イン・バングラデシュ』が問うもの」、南田和余「バングラデシュ『映画と社会』、田中千世子「『なめんなよ!』の闘争心」)
- 〇長田華子「世界の縫製工場バングラデシュで何が起こっているか―労働の課題と企業の挑戦」大原社会問題研究所雑誌№702(2017年4月)
- 〇映画「メイド・イン・バングラデシュ」公式ページ
- 〇Film on Bangladesh’s garment workers spotlights women driving change(Reuters_2019年12月17日)
- 〇安いファッションが抱える搾取の構造 日本も「他人事ではない」理由(朝日新聞デジタル2022年4月26日)
- 〇中村千晶「残業代を払わない?ふざけんな!」 繊維産業で働く女性たちを描いた映画「メイド・イン・バングラデシュ」(2022年4月17日)
- 〇バングラデシュの女性監督 過酷な女性の現実、映画に文化往来(日本経済新聞2022年4月21日)
- 〇バングラデシュ縫製工場労働者を3年リサーチ「女性たちは働き、自分自身と家族の生活を支えている」(2022年4月10日)
- 〇佐々木美佳「映画『メイド・イン・バングラデシュ』を見て」しんぶん赤旗2022年4月13日
- 〇日本貿易振興(ジェトロ)ダッカ事務所『バングラデシュ労務管理マニュアル改正労働法(2013)および労働規則(2015)のポイント解説』(2016年3月) 〇ジェトロダッカ事務所「バングラデシュ労働組合法の概要」(2020年9月)
- 〇香川孝三『アジア労働法入門』(晃洋書房、2022年)199頁以下参照。
- 〇ITUC「バングラデシュ:RMGセクターにおける反組合差別」2013年6月27日
- ○米国国務省各国の人権慣行レポート 2021(Country Reports on Human Rights Practices 2021 )
- 〇チェ・ホンヨプ「バングラデシュの労働法と労働現実」2016年6月(최홍엽, 방글라데시의 노동법과 노동현실)