「非日常」の出来事が身体に突き刺さるような映画

★映画の中の「非日常」が終わったあともその「非日常」が身体を浸蝕し、打ちのめされることがある。そんな映画を初めて観たのはヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」(イタリア・1948年製作)だ。それから数年後、第二次大戦末期のワルシャワ蜂起を描いたアンジェイ・ワイダ監督の絶望的な映画「地下水道」(ポーランド・1957年)に絶句し、今井正監督の「仇討」(1964年)は封建社会の不条理になんともいえない気持ちになった。テオ・アンゲロブロス監督の「旅芸人の記録」(ギリシャ・1975年)はギリシャ現代史の悲惨さと画面の迫力に圧倒され、そして最近ではクリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」(2004年・アメリカ)に打ちのめされた。

★1970年に新藤兼人監督の「裸の十九歳」を観終わったあと、場内で「事件」が起った。
 映画は連続射殺犯・山田道夫(原田大二郎が好演)が十九歳で逮捕されるまでの軌跡を描いた物語である。
 道夫は青森のりんご園の渡り職人の七番目の子として生まれるが、彼が幼いときに父親が蒸発する。それから母親(乙羽信子)は行商しながら、底が抜けるような貧しさの中で八人の子どもを育てる。しかし暮らしは楽にならない。母親は道夫の姉(十五歳ぐらい)に知人の男(小松方正が怪演)のところに行って「金を借りてこい」と命じる。姉は幼い道夫を連れて行く。男は姉に金を渡す。次の瞬間、男は道夫の口に焼き芋(だったと思う)を突っ込んで、姉を納屋に引き摺ってゆきそこで陵辱する。災難はそれで終わらない。帰り道に若い男たちに取り囲まれ、また暴行される。姉は発狂してしまう。
 道夫は中学校を出ると集団就職で上京するが、抱いていた希望と現実の差はあまりにも大きかった。どの仕事も続かない。職を転々とし、堕ちていく。新藤兼人は、道夫が転落していく軌跡を、これでもか、これでもかと執拗に描いた。ある日、道夫は米軍基地の将校の家に忍び込み、拳銃を盗む。彼はそれを「心の支え」にした……。

★映画が終わって劇場内が明るくなったとき、まわりから溜息が漏れた。ドンと音がした。並びにいた三十歳ぐらいの作業服を着た男が前の椅子の背凭れを蹴ったのだ。
「クソッ、なにが『自分に負けたからよ』じゃ」と男は声を荒げた。「おれにはあいつの気持ち、よう分かる」そう言い残し、出て行った。男が怒ったのは中学校の同級生だった女子大生(役は鳥居恵子)が道夫の逮捕後にマスコミの取材に応じた場面だ。女子大生が「彼は弱かったのよ。自分に負けたのよ」と語ったその「言葉」にムカついたのだ。

★40年前のこの映画を、いま「派遣切り」に遭っている青年が観たらどんな感想をもつだろうか。最近「派遣切り」で職と住居を失った青年の相談にのることが多い。相談にのっているとき、相談者が「山田道夫」と「椅子を蹴った作業服の男」に重なるときがある。
2010.2.25(月藻照之進(つきもてるのしん))

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